1st December

 いつの時代だろうか——。

 気がつくとオイラ達は産まれていて、幸運なことに、生まれたその瞬間から役目を与えられていた。

 『オイラ達』って言ったのは、オイラにはもう一匹片割れがいて、双子としてこの世に生を受けたからだ。

 二匹揃って時計ウサギ、刻ウサギ。だけども歴史のどの文献を見ても、たぶんそこにはオイラの存在は記されてはいない。


 二匹で産まれた『刻のウサギ』。

 幸か不幸か。

 片方は真っ白な愛くるしい姿で、もう片方はなぜか血の通っていない不揃いなぬいぐるみの姿で。


 人々は「天使と悪魔だ」と言った。


 名前も貰えず、笑うこともできない無表情なぬいぐるみの姿を人々は恐れた。恐れ、触れられず、何百年もの間、閉じ込められた。オイラは何をされても死ぬことはなかった。

 何も知らない無邪気な片割れがたまに持ってくる、外の世界の話だけが、唯一の楽しみ。

 オイラの時計の針は進まなかった。


 神様は白ウサギに無垢と永遠の幼さを。

 ぬいぐるみのウサギには知性と魔法を授けた。


 本当に神様なんているのだろうか?

 もしもいつか逢ったなら、まず一番最初にブン殴ってやる。


 百年経って、お祈りができるようになった。

 百年経って、文字の読み書きを覚えた。

 百年経って、傷口を縫い合わせることを学んだ。

 百年経って、表情をつくれるようになった。

 百年経って、物を食べることができるようになった。

 また百年経って、蝋燭と遊ぶことを覚えた。

 また百年経って、世界中の言語を操れるようになった。

 百年経って、また百年経って、ようやく牢の外の世界に出て。

 流れ星にだって乗れるよ、生きてる影絵だって操ることができる。



 ……けれども、誰も誉めてはくれなかった。



 ぬいぐるみの身体じゃ、引き裂かれても血は出ない。涙も、一粒も流せやしなかった。


 夢と現実の狭間にある"影の世界"、その世界で生きられる生き物はいない。

 『刻ウサギ』を見たものは、異世界に誘い込まれる。

 夢の世界の住人は現実へ、現実の世界の人間は夢へ。その交わることのない世界へと。


 オイラ達はその道先案内人のようなモンだ。夢と現実と、同じ身体一つでいつまでも行き来できるのは『刻ウサギ』だけ。

 普通の生き物が何も知らずに通れば、木っ端微塵に千切れてしまうその時空の捩れを、避けながらくぐりながらスイスイと渡り歩いて誘い込む。


 "在る"と"無い"は背中合わせ。


 何かが足りない人間を。

 うさぎ穴に落ちていって、おとしていって。


 おとぎ話に正直者のハッピーエンドが多いのは理由がある。

 残念ながら、今の時代の人間はそのチャンスや理由を見落とす者が多いけど。


 無事に元の世界に帰る——。


 それは"欠けたモノ"を取り戻してきたということ。

 反転の逆さま世界、影を挟んだ向こう側の世界に、人間は何かを置いてきてしまいがちだから。


 愛らしくていつも時間に追われてて。

 人の記憶に残る姿は、アイツだけでいい。


 恐怖でもいい、その感情がなんであろうと。

 オイラの姿を見た人間に、扉を開いてやれるのなら。もう誰も傷つかず、一人ぼっちになることの無い世界がいつか来るのなら。


 その子がもう泣かなくて済むのなら。



 オイラはいくらでも、"悪魔"と呼ばれてやる——。

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