やっぱり笑顔で。…おい、雇うとはまだ決まったわけじゃ…え、なんで勝手に決まってんの、まだ交渉も話し合いもして無いんですが?
「あ」
と、伊吹が声を出した。今、彼がいるのは
大江山だ。酒呑童子が礼をしたいということ
で宴を開いていた。のだが、伊吹が思い出
したのはあの契約のことであった。血印してまで
契約したのだ。破られては困る。
酒を飲んでいる場合では無かった。周りに
転がっている
「おい、酒呑童子。お前俺との契約まだ切れねぇ
ぞ」
赤くなった顔で酒呑童子へ話す。呂律も回らなく
なってきている。なら、どうしてそこまで呑んで
いるのだろう。
…生粋の酒好きだからである。酒好きならそれ
くらい分かるだろう。
「どういうことだ」
酒呑童子が訝しむ。契約を果たしたと思っていた
のにいきなりそのような言葉を言われたのだから
仕方あるまい。
「お前はまだ果たせていないことがある。
それは……」
伊吹は大きく息を吸って叫んだ。もちろん、
人差し指を酒呑童子にさして。
「さっさと猫又を連れて来やがれ、この卑怯者
が!!あと報酬だ!」
「その依頼は終わったんじゃないのか」
「終わってねぇわ!お前が持っていったきりだろ。」
あのあと伊吹は、依頼主に誠意を込めて頭を下げた。
その言葉に茨木童子を含めた周りの鬼達が唖然と
した。え、猫?と。
あちらこちらに思わず言葉に出してしまう者達が
多いようだ。
「な、あれは仕方なかったんだと何度言ったら
分かるんだ!」
酒呑童子の言い訳に負けじと伊吹も言い返す。
「仕方ないで済まされるか、おい! お前
あの血印で契約したろ。言ってなかったけど
猫を連れてくるまで契約は切れないって書いた
んだよ! だから、さっさと俺の癒しを持って
来い、この元野良鬼が!」
衝撃の事実に酒呑童子は愕然とする。が、それは
周りも同じだ。家来の一人が酒呑童子に口煩く
咎める。当たり前だ。主人が馬鹿ともいえる行為を
行ったのだから。
「ちょ、酒呑様何勝手に血印なんて押してんです
か、馬鹿なんですか、そこら辺のことも考えろ!」
「彼奴が先に言ってくれなかったからだ!」
酒呑童子も伊吹へと口答えする。
「先に言え、馬鹿。知ってたら、契約しなかった
わ!」
「あー、良いんですねそういうこと言って。
お前ら和解させたの間接的に俺なんすけど?
じゃあ、良いわ。約束も守れないんだったら
知り合いに頼んで時間戻して貰うわ」
顔を背け、鴉に文を持たせようとする。
「んじゃ、徒軌(とき)に頼ん……」
その手が酒呑童子によって止められた。
「何」
「やめろ、本当に。猫なら幾らでも連れて
来てやるから」
酒呑童子の額に僅かだが汗が垂れて、頭を
抱える。二度と繰り返したくはない。この
瞬間全員が伊吹を怒らせたら本気で危険だと
その身を持って感じたのであった。
「なら、早く」
「茨木童子頼めるか」
茨木童子は既に猫を抱えていた。猫は腕の中で呑気
に休んでいる。可愛らしいものだ。伊吹は猫を見た
瞬間、顔が花の様に綻んだ。
「猫ちゃーん!!」
猫に手を伸ばし、嬉しそうに、幸せそうに猫に
頬ずりをする。そうしたまま、畳に倒れ込んで
いびきをかいて、寝てしまった。いびきが煩い
のか、猫は腕の中から逃げ出した。
「いや、いびき煩っ!」
「何も言うな、もうこいつの怒りを買いたくない
し、見たくない」
「俺には、もう普通にも見えないぞ」
鬼の一人が青筋を浮かべ、呟く。
「同感だわ……」
というか、と、鬼の一人は顔を歪める。
「酒臭っ……!」
伊吹を含めないその場の全員の息が揃った瞬間で
あった。
「本当に行くのか」
酒呑童子が他の者達が寝静まった後、縁側に
座った。二人の間には徳利と猪口が乗って
いる盆がある。
「はい、鬼から人間に戻った以上酒呑様に
頼ってばかりではいけませんし、生活費の
ことも。あいつと話し合ったら快く雇って
くれると」
茨木童子は伊吹との話を思い出す。
「え? 妖護屋に?」
「ああ。雇ってはもらえないだろうか」
頭を下げて懇願する茨木童子に伊吹は不思議がる。
「あんた、あの人と和解したんだからここに
居続けるんじゃないのか?」
「いられない。あの人達が許しても俺は仲間を
裏切ったという罪を背負った己を許せない。
それに、金を貯めて母の墓を作ってやりたい。
だからだ。あとは、お前に興味が湧いた。
妖の為に、人の為に尽力する姿が眩しくて、
お前のように誰かの為に頑張りたいと思った。
理由がそれだけでは駄目か?」
黙って茨木童子の話を聞いていた伊吹はかぶりを
振った。美しい鼠色の瞳が時折、光に照らされる。
「ううん。駄目じゃない、理由はそれだけでも
良い。あんたが罪を償う切っ掛けがあんたの人生の
夜明けなんじゃない?」
「夜明け、か。たしかにそうなのかもしれない」
けれど、確実にその夜明けを導いてくれたのは
他でもない伊吹だ。だから、茨木童子は彼に
感謝しているし、必ず彼を守ろうと決意した。
大切な恩人なのだから。だが、よく快く雇って
くれたものだ。心が広い男だと。優しき男だから
妖達は彼に魅了され、時には救い、頼りにしている
のだろう。勿論多くの人間達もだ。酒呑童子は頬を
緩ませた。
「なら良かった、要らぬ心配はかけては駄目
だな。……時折こっちに帰ってきてまた話そう。
縛りは無しで」
彼も幸せを願っている。酒呑童子の言葉は猪口に
入っていた酒と共に口に流した。茨木童子は無駄
な言葉を伝えなくともとっくに気づいているから。
彼なりの不器用な見送りに茨木童子は夜空を
見上げながら笑った。
「はい」
酒呑童子は酒を呑みながら夜行のことを思い
出した。
(約束は今はまだ果たせそうに無いが、いつの日か
茨木童子と部下達と、そして伊吹と貴殿の元へ向か
うよ。その日まで変わらずに待っていてくれ)
目を閉じるとあの時の百鬼夜行の騒がしくも
楽しげな太鼓の音が、笛、三味線の音が、そして
妖達の踊りが目に、耳に残り、焼き付いている。
その鮮やかな思い出、そしてあの頃と変わらない
深紅の鬼と薄桃の鬼は静かながらも共に穏やかな
時を過ごした。
早朝、伊吹と茨木童子は笠を被り、屋敷を
出た。ここで酒呑童子等とは別れる。そして、
茨木童子も彼等との二度目の別れだ。
「んじゃ、酒呑童子。あとその他の皆さん」
「その他?!」
「扱い酷くない?!」
非難が起きる。煩い。耳を塞いだ。
「いや、良いじゃん。名前しらねぇんだから。
兎に角、和解して良かったです。それに、安心
しました、皆さん生々としてます」
出会った当初は、屍が彷徨っているような表情を
していたが、今は。
「お前が尽力してくれたからだ。改めて礼を
言う、ありがとう。そして、茨木童子を頼む」
酒呑童子は、頭を下げ、伊吹に大切な部下を
託した。
「うん、託されたからには守るよ。あんた等の
大切な人だから」
「いや、お前が守られる側だろ」
「俺も、何とか流は会得してるし!」
「してんのかよ…」
弱そうに見えるが。まぁ、妖からの見解なので
参考にはならない。ああ見えても結構、浪士に
絡まれたら太刀打ちできる部類に入る。
それも沖田等、新選組の努力の賜物というべきか。
鬼達が、驚いて伊吹を見ている最中にも彼は
風呂敷の中を確認した。報酬も貰った。依頼は
完了した。万々歳だ。
「じゃ、行くか。茨木童子」
「ああ。酒呑様、お前等、ありがとう…いって
きます」
たとえ、笠を被り、陰に落ちていたとしても彼の
笑みは、輝いていた。
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