鬼相手だからと言って容赦はしない。そこで土下座して謝罪しやがれ!

「謝りたい相手がいる。その者に会いたい」


 ちゃっかり伊吹に依頼を頼む酒呑童子を謝らせる程の者とは一体何者なのだろうか。知りたくて興味が湧いて仕方がない。人間は、欲に正直なのだ。そして、知りたいものを知り尽くさないと気が済まない。


 そんな抗うことが出来ない欲求に従い、伊吹は依頼を請け負った。


「分かりました。出来る限り力は尽くさせていただきます。では少々ついて来て下さいますか?」


 伊吹が酒呑童子を連れ立って辿り着いたのはある長屋だった。質素だが、広さは十分にあった。中に入ると、土間からでも分かるが、ごろごろと物が溢れていた。…それはもの凄く。特に、着物、帯、玩具、それから、書物が。


「ここは?」

「俺の家。もとい妖護屋の拠点」


 先ほどとは打って変わった口調に衝撃を受ける。


「ん?ああ、さっきのは仕事の時用。巫山戯た口調だと流石に依頼にも繋がらないでしょ」


 真面目に仕事に向き合っているんだと感心する。


「あ、あんたが利用した猫又返して」

「ああ、そうだった。すまない」


 ようやくそれの存在を思い出した酒呑童子は懐にいた猫又を渡す。丸々っていて可愛らしい。久々に猫の存在を感じた伊吹は嬉しそうに受け取る。

 一瞬、動きを止めた伊吹はさも何もなかったかのように猫又を自身の横に座らせ、ふかふかの布団をかけて撫でる。酒呑童子は後に続いて畳に着く。座布団がぺちゃんこなのはお気に召さないが。


「ではこの契約書に署名を」


 机の上に置かれたのは一枚の紙だった。古臭く、黄ばんでいる。伊吹いわく、貰い物だという。


「印は」

「勿論、血印」


 自身の指を切る依頼主の滴る涎は見なかった事にする。流石に、それは気色悪い。


「それで、なぜ血印を?」


 印を押した酒呑童子は、涎を袖で拭いながら心底不思議そうな顔をする。鬼も血印したことはないのだろうか。一番あり得そうであったのに。


「血印って破れなそうでしょ?一度交わした契約は絶対に破ってはいけない。破られてもいけない。特別な事情がない限りは。従ってどんな凶悪な妖怪にでも、人間にでも血で署名するように求めているんです」


 成る程、納得したと酒呑童子は伊吹へと渡す。紙端には血の後と涎の後が所々残っている。まぁ、わざわざ押してもらったのだから、無下にするつもりはない。


「はい、これで契約成立っと。…まだ涎出てんの?」

「…すまん。自分の血なのに美味そうに見えてきてな」

「どんだけ腹減って重症なんだよ」


 再び口元の涎を袖で拭く姿を眺める。これで平安で恐れられていた鬼であったのだから時とは残酷なものだ。


「なんで我慢してんの?今更人間の真似してもねぇ」


 人の真似をして、人を食わずにいるからといって彼の罪が無くなるわけでもない。死んで許されるわけではない。


「飢えているというか、人間でいう、我慢をしている。これ以上人間に討伐されたくはない。だからこそ、人の世に溶け込むしかない」

「そうか。あんた等、妖は今は幕府のせいで居場所失ってたな」


 江戸幕府。日本の核だ。人間は古く昔から人間中心の政治を行っていた。200年ほど長く続いているのは、江戸幕府がそれだけ他と違い、多大なる権勢、力、臣下を持っているからなのだろう。


 それゆえに幕府は害悪となる妖達に目をつけた。昔から手こずっていた相手だ。平安の頃は妖が見えていたが、時代を重ねるうちに信じるものは少なくなり、ほとんど見えなくなっていった。


 しかし、江戸が栄えたと同時に怪談、妖を面白おかしくした作り話が流行り、一気に信じるものが増えた。妖達は用無しではなくなり、人を脅かす日々が戻ってきたのだ。老中達は悩んでいた。妖達が再び現れれば被害は増えるばかり。


 しかし、多くの民達の命には代え難い。妖怪を野放しにすれば幕府への信用は下がってしまう。いつ反乱が起きるか分からない。


 苦悩の末に彼らは妖が見えない代わりに、陰陽師などを雇い、江戸全体に結界など張ったり、陰陽師直々に祓ったり、はたまた町民が札で祓ったり。全国各地に陰陽師を配置している。


 人の目に普通に見える妖もいるが、それらは認識された瞬間、最期なのだ。妖というのは何千年も前から人間達に害を加える。時世を重ねていくうちにその心象が強くなっていった。だから、恐れられる。


 そのせいか、年々減少傾向に。つまり、大昔と立つ瀬が逆転し、今度は妖が人間を恐れていっているのだった。


「それで、あんたが謝りたい相手の名は?」

「…茨木童子だ」


 茨木童子。平安の世で酒呑童子の臣下であった鬼だ。

酒呑童子も頼りにしていたといっても過言ではない。


 伊吹は、棚から書物を抜き取り、開いた。頁の題目には、茨城童子と記されている。


「…ただ、単身逃げたって言われてるあの鬼か」

「伝承ではな。事実は違う。お前が先刻俺が伝承では死んだいると信じていたように」

「そっか…茨木童子のその後の話は二つある。一つは一条橋の。二つ目は羅生門で。坂田金時の同志の渡辺綱って人が茨木童子の腕を刀で切った。その後腕を取り戻しに現れるって話。どっちで行われたかは定かでは無いけれど…。その後の話では摂津の話によると実家に帰った話や、追い返された話がある。その辺りのゆえんは分かるよね?」


 聞かなくても分かることだと、酒呑童子は頷いた。鬼と成り果てた彼を拾ったのは己だ。しかし、彼を捨てるような形にしたのも己だ。


 けれど彼は実家には帰らなかった。愛していた両親を傷付けたくは無かったから。それでも帰りたい思いが心のどこかではあったのだろう。だから腕を切り落とされても醜い姿になってしまっても家へと帰った。


 追い払われた茨木童子はどんな思いだったのだろう。愛していた両親から恐れられた彼は。


「追い出された以降の話は書かれていない。血を拒みながらも生ける屍となったか、死を望んで彷徨っているだけのただの化け物となったか。…茨木童子を探す?彼の帰る場所を全部奪ったあんたは」


 咎めるような口調に捉えられた。けれども、彼は正論を述べただけだった。そうだ、苦しめたのは全て己が元凶だ。


 それでも探さなければならない。贖罪をする為に。ただ、謝りたくて。己を受け入れてくれるかは不明だけれど。酒呑童子の決意が伝わったのか伊吹は笑う。


「決まったらしいね。良いよ、力は貸してあげるよ。けど、お前よりもーっと強い妖怪と出会っても俺知らないから。だって俺不運呼び寄せるし。あと、依頼したからって期待しないでよ。しっかりそこらへんの忠告は契約書に書いてるからな」

「ああ、承知しておく」

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