鬼相手だからと言って容赦はしない。そこで土下座して謝罪しやがれ!

「依頼か…。では、謝りたい相手がいる。


その者に会いたい」


酒呑童子を謝らせる程の者とは一体何者


なのだろうか。知りたくて好奇心が湧いて


仕方がない。人間は、欲に正直なのだ。


そして、知りたいものを知り尽くさないと


気が済まないのだ。


そんな欲求に従い、伊吹は依頼を引き受けた。


「分かりました。出来る限り力は尽く


させていただきます。では少々ついて


来て下さいますか?」











伊吹が酒呑童子を連れやって来たのは


ある一軒の家だった。質素だが、広さは十分に


あった。中に入ると、土間からでも分かるが、


物が溢れていた。…それはもの凄く。特に、


着物、帯、玩具、そして、書物が。


「ここは?」


「俺の家。もとい妖護屋の拠点」


軽くいう伊吹に危機感は無いのかと半ば呆れまじり


に思いながらも後に続いて畳に座る。きちんと


草履は脱いだ。


「んじゃ、この契約書に署名を」


机の上に置いたのは一枚の紙だった。古臭い、


黄ばんだ紙だった。


「墨か、それとも血か?」


どちらでも良いが。だが、伊吹は迷わず


血を選んだ。依頼主の滴る涎は見なかった


事にしよう。自分の血を見せる訳では無い


けれど。


「血の方で。血印って破れなそうっしょ?


一度交わした契約は絶対に破ってはいけない。


異国の悪魔の手法と同じだよ、命を頂くから


どんなに嫌と言っても破ることは決して無い。


だからどんな凶悪な妖怪にだって、人間にだって


血で署名するように求めてんの」


成る程。納得した。酒呑童子は長く鋭い爪で


自身の指を切る。滲み出た血はポタポタと紙に


落ちる。その血で己の名を記した。


「はい、これで契約成立っと。…涎拭けよ。


汚ねぇし、紙に落ちんだけど」


「…すまん。自分の血なのに美味そうに見えて


きてな」


「どんだけ腹減って重症なんだよ」


口元の涎を袖で拭く酒呑童子を眺める。


…これから酒呑童子の事は自分の血大好き


鬼と呼ばせてもらおう。と、心の中で決めた。


「血に飢えてんの?」


「飢えているというか、人間でいう、我慢を


している。これ以上人間に退治されたくはない


しな」


「あー、そうか。あんた等、妖は幕府のせいで


居場所失ってたな」


江戸幕府。日本の核だ。人間は古く昔から人間


中心の政治を行っていた。200年ほど長く続いて


いるのは、江戸幕府がそれだけ他と違い、多大なる


権力、力、臣下を持っているからなのだろう。


それゆえに幕府は害悪となる妖達に目をつけた。


昔から手こずっていた相手だ。平安の頃は


妖が見えていたが、時代を重ねるうちに信じる


ものは少なくなり、ほとんど見えなくなって


いった。しかし、江戸が栄えたと同時に怪談、


妖を面白おかしくした作り話が流行り、一気に


信じるものが増えた。妖達は用無しではなくなり、


人を驚かす日々が戻ってきた。幕府の老中達は


悩んでいた。妖達が再び現れれば被害は増える


ばかりだ。しかし、多くの民達の命には代え難い。


妖怪を野放しにすれば幕府への信頼は下がって


しまう。いつ反乱が起きるか分からない。


苦悩の末に彼らは妖が見えない代わりに、陰陽師


などを雇い、江戸全体に結界など張ったり、陰陽師


直々に祓ったり、はたまた町民が札で祓ったり。


全国各地に陰陽師を配置している。人の目に普通に


見える妖もいるが、それらは認識された瞬間、


最期なのだ。妖というのは何千年も前から


人間達に害を加える。時代を重ねていくうちに


その心象が強くなっていった。だから、恐れ


られる。そのせいか、年々減少傾向にある。


つまり、大昔と立場が逆転し、今度は妖が


人間を恐れていっているのだった。


「あんたが謝りたい相手の名は?」


「…茨木童子だ」


己の頼りにしていた家臣であった。鬼だ。


伊吹は、棚から書物を取り出し、開いた。


頁の題名には、茨城童子と書かれている。


「…ただ一人逃げたって言われてるあの鬼か」


「伝説ではな。真実は…まだ言えん。全てを


話すのは彼奴に任せたいんだ」


酒呑童子に伊吹は冷静に伝えた。話を聞きながら


伊吹は折り紙をおる。話を聞いているだけでは


暇だったようだ。折り紙で鶴や、くす玉、蝶、


紫陽花、箱などを作っていた。それも大量にだ。


ちゃんと話を聞けているのだろうか、不安だ。


「そっか。…茨木童子のその後の話は二つ


ある。一つは一条橋の、二つ目は羅生門で。


坂田金時の仲間の渡辺綱って人が茨木童子の


腕を刀で切った。その後腕を取り戻しに現れる


って話。どっちで行われたかは定かでは無い


けれど…。その後の話では摂津の話によると


実家に帰った話や、実家に帰ったけど追い返された


話がある。その辺の理由は分かるよね?」


聞かなくても分かることだ。酒呑童子は頷いた。


鬼と成り果てた彼を拾ったのは己だ。けれど彼は


実家には帰らなかった。愛していた両親を傷付けた


くは無かったから。それでも帰りたい思いが


心のどこかではあったのだろう。だから腕を切り


落とされても醜い姿になってしまっても家へと


帰った。追い出された茨木童子はどんな思い


だったのだろう。愛していた両親から恐れられた


彼は…。


「追い出されたその後の話は書かれていない。


血を拒みながらも生ける屍となったか、死を


望んで彷徨っているだけのただの化け物となった


か。茨木童子を探す? 彼の帰る場所を全部


奪ったあんたは」


責めたような口調に捉えられた。しかし、彼は


正論を述べただけだった。そうだ、苦しめたのは


全て自分が元凶だ。


それでも探さなければならない。再び帰る場所を


与える為に。贖罪をする為に。酒呑童子の決意が


伝わったのか伊吹は笑う。


「決まったらしいね。良いよ、力は貸してあげる


よ。けど、お前よりもーっと強い妖怪と出会っても


俺知らないから。だって俺不運呼び寄せるし。


あと、期待しないでよ。あんた等妖が望んで


いる能力とやらは持ってないから」


てへっと、片目を閉じ、舌を出し調子に


乗っている伊吹。その顔を見ても、苛つきは


しない。ほんの僅かな時間で既に慣れてしまった。


しかし、それよりも衝撃的な内容が口走られた。


「お前、能力が無いって…」


「真実だよ。なーんの力もない無力な人間。


何、嘘でも言って期待させとけばよかった?」


「いや…」


酒呑童子はこれ以上彼の能力について触れる


ことはしなかった。人は誰でも触れられたくない


話はある。馬鹿そうに見えても彼には彼の苦悩が


あるのだ。


「なら、良いでしょ。この話はもう終わり。


さ、これからあんたがお楽しみの場所へ行くから」

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