姉さん

 年が明ける。道端の草も殆どが姿を消している。が、かろうじて清介たちは生きていた。

 清介は寂しい通りを歩いていた。落ちていた猫やなんかの頭蓋骨を蹴って、暇をつぶしていた。

 足首まで埋まるほどの雪は歩くのもこんなんだ。清介は寒さと飢えと疲れでその場に蹲った。

「外に行っててくれないか。」

 父にそう言われて家から出てきたわけだが、そろそろ一刻が経つ頃だ。何でも、大事な話があるということだ。それでも、そろそろ帰ってもいい頃合いだろう。

 清介は枯れ枝のような足を動かして雪道を漕ぐ。

 外れかかった戸を開けると、両親と姉と見知らぬ男が僅かばかりの火を囲んでいた。父は清介を見るなり、一瞬だけ顔を歪めた。その向かいに座る男はちらりとも清介を見ずに平然としている。姉は顔を背けて、泣き出した。母は姉の方を見ながら呆然としていた。

 異様な雰囲気が漂っている。

「これが金だ。確かめろ。しっかり四両入っている。

 男が囲炉裏越しに金が入った袋を渡す。受け取った父は袋の中を目で数え、押し頂くように手を合わせた。

「澪、ごめんね。」

 母がすすり泣く。

「すまないな。澪。」

 父がため息を吐いた。

「いいの。いいのよ。」

 姉は泣きながらそればかりをずっと繰り返していた。

「行くぞ。」

 男が立ち上がる。姉はそれに続いた。清介は二人に道を開ける。

 男は憐れむような目を清介に向けた。草履を履いた姉が清介の肩に手を置く。家の中からは母の慟哭が聞こえてくる。

 姉はそれきり背を向けた。何も言わないまま、いつの間にか来ていた駕籠に乗る。振り返ることはなかった。

 駕籠かきが、立ち上がる。その背はどんどん小さくなっていった。

 呆然としながら清介は突っ立っていた。真っ白だった頭が徐々に動き出す。

 姉は、売られたのだ。

 清介の中に溜まっていた感情が、黒い塊となって流れ出る。怒り、悲しみ、疲れ。全てがどろりとしたぐちゃぐちゃの獣臭い物体が、体の中心から溢れて四肢の先、一本一本に至るまでをすっかりと満たした。

「おっ父、おっ母。なんで姉さんを売った?」

 清介は無表情で両親を振り返った。二人の泣き声が止まる。

「……もう限界なんだよ。うちの借金も貯まるばかりで減りやしねえ。仕方ねえよ。」

 父は肩を落とした。

「なんで俺じゃねえんだ。姉さんでなくて、俺にすればよかったのに!姉さんが…姉さんが汚らしい欲にまみれたジジイどもの手に渡って言い訳がねえよ。」

 煮えたぎる感情がほとばしる。言葉が勝手に口をついて出た。

「お前えは男だ。澪は女だ。だからだよ。」

 腹の中に巣食っている黒い異物が沸騰するような音を立てた。清介は傍にあった鍬を思い切り父に打ち付けた。まともに食らった父は後ろに転がった。

「男のお前を買ってくれるところなんぞどこにもねえ。その点、澪は女だ。遊女として買ってくれるところは多い。こんな世の中でも引く手数多なんだよ。」

 聞くことすら苦痛だった。清介はまた鍬を振りかぶる。

 自分のせいだ。姉が売られたのも、妹が捨てられたのも。自分さえいなかったら姉は売られずとも済んだだろう。妹も雪の中一人寂しく死なずに済んだ。

 清介は吠えた。母が腰にしがみついてくる。細いその腕を清介は蹴り飛ばした。体内をうごめく苦しみから逃れようと、清介は暴れた。

 鍬の先が父の上に落ちる。

 額の皮は割れ、どす黒い赤に染まった頭蓋骨が見えた。父の顔面は血みどろとなっている。母の絶叫が響いた。

 清介は自分を止めることができなかった。自分の体の全てを腹の中の黒い異形が操っている。父の血液が自分の顔にかかる。鉄のように苦い唾を吐き捨てた。

「なんで俺じゃねえんだ。いつもいつも姉さんばかり…。」

 何度も父に鍬を叩きるける。父はもう、されるがままで動かない。

「やめて、清介。いい子だから、いい子だから落ち着いて!」

 母が必死の形相で腰にしがみつく。その姿は全身の力を込めて悪霊を鎮めているようだった。

 清介は咆哮しながら上半身を振るった。柄が母のこめかみに当たる。骨が砕ける音がした。

「清介、いい子だから。ね、落ち着いて…。」

 母の掠れた声も清介の耳には届かない。その後も血の海となった床をのたうち回り、破壊した。

 どれだけ時間が経ったときか、清介は動きを止めた。一瞬にして力が抜けた。座り込んで居間の方を伺う。

 父は既に事切れているようだった。母はまだわずかに腹が上下している。

 清介は近くの桶に入っていた包丁を手に、母の元へ近寄った。

「きよ…すけ、ごめんねえ。」

 母は真紅に染まった手を清介に伸ばす。

「全部おっ母のせい。私のせいよ。ごめん…ね。」

 清介は最後まで言わせず、母の胸へ刃を突き立てた。母の体がぴくりと浮き、全ての動きを止めた。

 物音一つなくなった家の中で、しばらく清介は座り込んでいた。

 のどが渇いた。腹が減った。

 一口、床に溜まった血をすすった。生き返る心地だった。清介ではなく、彼の中の異形が。

 血を飲み干す。まだぬくもりの残る母の腕にかぶりついた。

 皮を噛みちぎり、肉を貪る。

 夢中になっていた彼は背後の気配にも気づかなかった。

「な、何をしている!来い。」

 奉行の手によって肉塊と化した母の腕から引き離される。

「なんということだ……おぞましい。」

「親を殺した上に食うとは。獣畜にも劣る。」

 暴れる清介を睨みつけて数人の男が言い放つ。清介は動きを止め、笑いながら侍を見上げた。それは最早人の顔ではなかった。まさに異形だった。

「お侍さんよう、お前さんたちは俺らが命を絞って作った米で生きていけるかもしれねえが、俺たち農民は違うんだよ。お前さんたちを生かすために赤子や老人が捨てられて、姉さんみたいな真面目な人が不幸になるんだ。飢えてみろ。そんな戯言、吐けなくなるさ。」

 奉行たちはそれを無視して清介を連れ出した。そうして彼は親殺しの罪であっさりと死罪になった。

 彼の首が落ちる直前、清介はただ一言

「ごめん」

 と呟いたという。

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異形 吾妻志記 @adumashiki

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