第30話
「…嘘を吐くな」
事実を告げられた。
心が酷く揺さぶられている。
相手の言っている事は嘘であると口では言った。
しかし、彼の証言が本当に嘘であるかどうかは、俺が決める事じゃない。
真実は事実の上で成り立つ。
俺の脳内では、既に金鹿冥慈が存在しない証明が幾つか残っている。
そして。
俺は事実から真実を浮き彫りにさせて、彼女の全てが幻である事を無理やりにも理解させられてしまう。
「…なんで」
何故、彼女が死んでしまったのか。
俺は、金鹿と一緒に迷宮を進んでいた筈なのに。
どうして、彼女が死んだ事を思い出せない?
「混乱している様子だね、なら、少し昔話でもしようか?」
包帯の男、東王はそう言った。
俺は、彼の事も覚えていない。
其処から察するに。
「俺は、記憶障害を患って、いるのか?」
そうとしか考えられない。
迷宮迷子には何かしらの精神異常をもたらす事例も存在する。
迷宮恐怖症になったり、多重人格に陥ったり、中には記憶喪失になる事だってある。
「俺の事を忘れていると言う事は…、恐らくは人物のみを忘れている。或いは忘れさせられているのどちらか…、君が俺の事を忘れているなんて、少し悲しいよ」
『だからこそ』と。
東王十字郎は前置きをおいた。
「思い出してもらいたい、君は俺を乗り越える義務があるから…手始めに。そうだな…、死んでしまった人間の名前でも言ってみようか」
「死んだ、人間…?」
俺が、迷宮へと落ちる前の自己紹介を思い出そうとする。
しかし、いくら考えても、特定の人間しか、名前が出てこなかった。
それどころか、思い出そうとすると頭が痛くなる。
頭痛とは違う、生暖かいものが張り付いて、刺激をしているかの様な不快感。
思い出してはならない。俺の中でそんな言葉が思い浮かぶ。
「待て、待ってくれ…」
頭を抑えて懇願する俺に、奴は容赦なく名を告げる。
「『未踏打破の登山家』
…脳裏に思い浮かぶ、長身でガタイが良くて癖毛な褐色肌の男が現れた。
「あ、ぁ…」
「彼は魔物と戦って死んだ。満足して死んだ」
俺の体に張り付く、血の様な感触。
ドロドロとした地面がまるで血の泥濘の様に見えた。
「『迷宮都市の傭兵』ガンマ・マックール」
今度は、白い少年だ。
背は低くて小学生みたいで、白髪を一房に纏めて、首からドッグタグを提げて、目元に稲妻のタトゥを入れた、防弾チョッキと自動小銃を持つ、異国の少年兵。
「彼は名前に恥じず名誉に死んだ」
一つ、一つ。
名前が告げられる度に俺に纏わりつく死人の手足。
段々と錆びた血の様に心身を黒く染めていく。
「『救校の守銭奴』金鹿冥慈」
心臓を止める声が響いた。
その名前の人物が一体どうやって死んでいったのかなど、聞きたくない。
優しい光の様な、犬の耳が生えた、可愛らしい少女。
彼女が居てくれたから、俺は生き抜くことが出来たんだ。
それなのに、どうして、どうやって、彼女は…。
「君が殺した、加咬弦が殺してしまった」
…。
…、え?
あ、え。おい、なんだよ、それ。
「俺、俺が…殺した?」
意識がもうろうとしてくる。
俺の、不自然に消えてしまった記憶が、次第に浮かび上がる。
彼女は、そうだ…。
金鹿冥慈は…俺のスキルで死んでしまったんだ。
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