081:人魂憑依

 俺たちにきっさきを向けられている謎の女は、かつて俺たちと死闘を繰り広げた怪の芽姫が使用していたハルバードを影の中から引き出した。

 それにより俺たちの警戒心は最大限に膨れ上がる。俺は黒衣と瀬那の方を軽く見てから。



「来い、黒て……」


「ちょっと待ってくれ!」



 俺が黒衣を神器化しようとすると、女が大声を上げてそれを止めた。

 女はハルバードを地面に突き刺して、再び手を上にあげて敵意がないことを示してくる。



「私は敵じゃない。――ましてや化け物なんかじゃ……ない。私を、私を助けてくれ……」



 そう言う女の目には、先ほどまでの凛々しい雰囲気は消え去り、目尻からは一筋の涙が零れ落ちている。

 しかし、俺たちはまだ警戒を解くことはない。嘘と涙は女の武器って言葉もあるくらいだしな。それに、芽姫の持つ武器を取り出したのだ。これで警戒しない方がおかしい。



「助けてくれ? それはどういう意味だ? それに化け物ってどういうことなんだ?」


「はい。全てをお話しします。――私は『聖天の使者』のセカンドパーティでアタッカーをしていたミユと申します」



 は? 『聖天の使者』のセカンドパーティに在籍してるだと?

 セカンドパーティとは、クラン内での序列のようなものだ。一番強いパーティをトップパーティとして、それに次ぐ強さを誇るのがセカンドパーティだった。



「何故私が霊装を纏っているか、そして、何故ここにいるのかを説明します」




 ―




「その日私たちパーティは、Aランクダンジョンのダイブを終えて、拠点に戻ろうと山道を下っていました。そこのダンジョンは何度もダイブしていたので、何事もなく拠点に戻れるはずでした。しかし、そうはなりませんでした。突然景色が一変したんです。――見なれた山道を歩いていたはずなのに、なぜか目の前には荒野が広がっていました」



 ミユと名乗った女は、苦しそうな表情を浮かべながら言葉を紡いでいく。

 そして、その女が話している現象を俺たちはよく知っていた。



「私たちはパニックになりました。そして、突然目の前に異形の化け物が現れて、私たちに襲い掛かってきたんです。もちろん戦いました。私たちは一応個人でもAランクの実力がありますし、大抵の敵には負けない自信があったからです。だけど……」



 そう言うとミユの表情は恐怖に歪んで身体を大きく震えさせた。当時の光景を思い出して怯えているようだった。

 しかし、俺たちはそんな彼女に対して未だに鋒を向けている。怪に襲われたのだろうと言うことは分かる。だが、ミユと名乗るこの女が霊装を纏っている理由が不明なのだ。



「仲間たちは一人ずつ殺されました。それも惨たらしく……。仲間が死ぬ度に化け物は気持ち悪い笑顔を浮かべて何かを咀嚼するように口をクチャクチャとさせてました……。一人、また一人と殺されて、ついに私一人になってしまい化け物がこちらを向いて歩み寄ってきたそのときでした……」そこまで話してからミユは自身の体を腕で抱き締めるようにして震えだした。


「大丈夫か?」


「申し訳ありません。――はい、大丈夫です」



 ミユは震えながらも話を再開する。



「――そのとき、私の体の中に何かが入ってきた感覚がありました。その時は何が入ってきたのか分からなかったのです。しかし、その何かが入ってきたことで、私は化け物のことを殺すことが出来ました。そして、今なら仲間を殺した化け物が何なのか、私の中に入ってきたのが何だったのか分かっています。――私の中に入ってきた何か。それは芽姫と呼ばれる怪でした」



 俺は芽姫という名前を聞いて、『あぁ、やはりか』と口には出さずに一人納得した。影の中から取り出したハルバードと、ミユの体に纏わりつく霊装から芽姫の気配を感じていたからだ。



「何を言ってるのかよく分からないのだが? そんな荒唐無稽な話を聞かされても俺たちには何も出来ないぞ?」


「いえ、貴方たちなら私を助けてくれると確信しています。だって、芽姫をあそこまで弱らせたのは貴方たちですよね?」



 何故そのことを知っている?

 黒刀を握る手に力を込めて、目の前の女を睨みつける。



「私の中には芽姫の記憶が残っています。特に貴方が纏う霊装は、彼女がとてもよく知るものでした。それだけ強烈なトラウマを与えたのでしょう。まぁ、外見は全然違うようですが」



 そう言うと微かに口の端を上げて柔らかい表情を向ける。



人魂憑依じんこんひょうい、ですか」と黒衣が溢す。


「人魂憑依? それは何なんだ?」



 俺はミユから目線を逸らさずに、黒衣に問いかけた。



「人魂憑依とは、怪が人間の中に入って魂を上書きする術です」


「は? そんなことが出来るのか?」


「はい。理屈としては詩庵様と同様です。通常でしたら、ただの人間の魂が怪の魂に勝てるはずがありません。ですが、あの時の芽姫は詩庵様に傷つけられ、逃げるために霊装の煙幕を張り、かなりの霊装を消耗させていました。魂も相当弱体化していたのでしょう。その状態で滅怪にでも見つかったらすぐに屠られるでしょうしね」


「魂が弱体化して、2等級本来の力がなかったら怪の国に戻れば良かったんじゃないか?」


「いえ、それは出来なかったようです」と、黒衣に代わって返事をしたのはミユだった。


「何故だ?」


「私の中に入ってきたときの彼女は相当弱体化しており、そのままでは恐らく消滅していたことでしょう。そこまで魂が弱体化していたので、あちらに戻る力すらなかったようです」



 なるほどな。芽姫の魂はあの戦いで相当擦り減っていたのか。それで消滅を避けるために、人間の身体を――いや、魂を乗っ取ろうとしたが、その賭けに負けてしまったということか。だが、怪が人間の魂を乗っ取ることができるということは流石に見逃せないな。



「なぁ、ひょっとして、怪が人間の魂を乗っ取って、何食わぬ顔をして日国で暮らしてる場合もあるのか?」


「いいえ。その可能性はほぼないでしょう」



 俺は黒衣に向かって質問をしたつもりだったのだが、その問いに答えたのは怪のミカだ。



「黒衣様が仰るように、怪は人間の魂と融合することが出来ますが、完全に上書きをすることが出来ないのです。つまり、怪と人間の魂が混ざり合った別の魂へと変質してしまうのです。それはある意味自身の消滅を意味しています。――恐らくですが、芽姫という怪は魂が変質する以上に消滅を恐れたのでしょう。そして、結果として魂を上書きすることも出来ずに今の形になったのかと思われます」


「ミカの言う通りでしょうね。それに怪には寿命というものは存在しませんが、人魂憑依をすると憑依した人間が死ぬとそこで終わります」


「なるほどな。――それで貴女は俺たちに何を助けてもらいたいんだ?」



 今のミユだったらハンターとしてもかなり活躍することが出来るだろう。何せ嚥獄の52階層目までソロで来ているのだから。その力をフルに使わなかったとしても、『聖天の使者』で活躍することは夢ではないだろう。



「それは、芽姫の記憶から滅怪という存在がいることを知ってしまったからです。私のオーラはもう無くなってしまいました。なので、霊装で戦うしか他ありません。ですが、私が霊装で戦っていることを滅怪が知ったらどうなるのでしょうか? 仲間として扱ってくれるのでしょうか?」



 途中から興奮したのか声を荒げるミユだったが、声のトーンを落として「――そんなはずはないでしょうね」と声を漏らした。



「私は芽姫の記憶から貴方と滅怪という組織の関係を僅かながら知っております。恐らく貴方と滅怪は敵対しているのでしょう。それは何故か。――推測するに貴方が滅怪ではないからなのではないでしょうか? 普通だったら貴方のような使い手がいたら取り込むはず。しかし滅怪はそうしなかった。では貴方ではなく、私だったら取り込もうとするのでしょうか。――それはあまりにも可能性としては低すぎます」


「なるほどな。それで、なぜ嚥獄にいるんだ? もし正規の方法で嚥獄に潜ってるなら、ハンターギルドに記録されているはずだが」


「それは大丈夫です。実は『聖天の使者』ではゲートを認識させないように任意で決められる処理をチップに施してるんです」


「は? 何のためにそんなことをしてるんだ?」


「申し訳ありません。それは『聖天の使者』の内部機密に関わってしまうので、今は私の口から話すことはできません。――そういうこともあるので、私は滅怪にも負けない力を得るために嚥獄にダイブしてずっと魔獣と戦っていたんです。流石に人間の魂を吸収することは私にはできないので……」



 確かに彼女からしたら嚥獄に潜って魔獣と戦うのが、強くなるための一番の近道だったのだろう。もし俺に黒衣や瀬那がいなかったら、霊装を感知することが出来ない俺には、日国に現れた怪を倒すことは出来なかったと思う。恐らくミユも俺と同様に感知が苦手なタイプなのだろう。



「なるほど。一人でも負けない力を得るために、か。で、助けてくれって具体的に何をして欲しいんだ?」


「私を、私を『清澄の波紋』に入れてもらえないでしょうか?」


「は? 俺たちのクランに入りたいっていうのか?」


「はい。私にはもう戻る場所がありません。お願いします。貴方たちのクランに入れてください」



 ミユは目に涙を浮かべて俺のことを、そして黒衣や瀬名たちのことを見る。

 しかし、俺の答えは「いや、それは出来ない」だった。

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