第5話 食戟のいくら

 歩きながらも色々聞くつもりのいくらであったが、そんな気持ちも歩き出してから間もなくに萎れた。借りた靴の生ぬるさと、通気性の悪さに不快になったからである。革靴だからだろうか。足の匂いがどうなってしまうのか、いくらは未知の恐怖を覚えた。フランベルから見たら歩くための体力を温存しているように見えたため、不自然ではなかったのが救いだ。本当に幸いだったかはわからないが。

 正確な時間はわからないが、少なくとも太陽は高い位置にある明るいうちから、三人は移動を開始した。にもかかわらず集落に着く頃にはあたりはすっかり暗くなって、空には月……だろうか。ぼんやりとした光を放つ……照明カバーが被せられたような淡い光が空に浮かんでいて、その見慣れない形は葉月といくらを少しばかり不安にさせた。途中、夜目は利くと言っていたフランベルが、心細そうな二人を見かねて朽ちた枝を松明がわりにそれに火を灯したことで、はぐれることはなかったのだが。

 ちなみに枝の先に手のひらを当てて何事か呟いただけで火が灯った事実にいくらは驚き、裏返った声が口から飛び出した。

「今松明にどうやって火をつけたんですか!?」

「簡単な魔術だ。立場上魔道具なしでもこれくらいはできるからな」

「ま、魔術!! これだよこれ! これがファンタジー!! 服を溶かすスライムを召喚するのとは違う!! ねっ、葉月ちゃん!!」

「お風呂入りたい」

「あ、ダメだこれ会話できないやつ」

 道中そんな会話を交わし、三人は乾いた道を歩み続け集落に辿り着いたのだった。


 集落の人間と交渉をしたフランベルにより、葉月といくらは石造の空き家に泊まらせてもらえることになった。昼間より格段に冷える夜の中、いつのまにか服を変えたらしいフランベルの背に導かれるまま、二人はふらついた足取りで室内に入った。フランベルが暖炉のような、囲炉裏のようなものに火を移すと、多少周囲が見えるようになった。ソファ代わりだろうか、積まれた干草に大きな敷布が重なっている。三つあり、そのうちの一つに葉月はどっかり腰を下ろす。いくらは壁に肩を預け、辛うじて座り込むのを耐えた。尻が冷えるからだ。

「めっ……ちゃ歩いた……」

「歩いたね……アスファルト舗装されてない道ってあんなにしんどいんだね……」

「いくらさんが居たから私は歩けた……これが1人だったらその辺で寝てた……」

「もう……ゴールして……いいよね……」

「元ネタわかんない……」

「まだ元気そうだが……ともかく今日はここで眠る」

 人を見る目が無いのでは? 葉月といくらの心が合致して顔を上げるが、フランベルにはその顔色が悪いようには見えなかった。歩き続けるという行為に慣れていないのだろうと思ったゆえの発言だが、神経を疑うような目で見返され、多少気には障ったが、顔に出すほど短気ではない自負もあるので、咳払いひとつで話題を変える。

「今から話をしてもいいか」

「……今は頭が回らないので質疑応答はちょっと……」

「それは起きてから改めてしよう。そちらではなく、今後についてだ」

そこまで言うと、フランベルが手にしていた布の塊をいくらに手渡す。広げてみると白っぽい服のようだった。

「これは?」

「その格好がお前たちの国でどんな意味を持つかはわからないが、国内はそれではまずい。とにかく着替えてくれ」

「そういや葉っぱで隠し切れている気がしてたけど私全裸だ。了解。さて、これは……チュニックかな……」

 今は着替えたフランベルが、もともと血まみれで着ていた物とよく似ていた。一般的なデザインなのかもしれないと思いながら裾の長いシャツを頭から被って袖を通す。一緒に渡されていたズボンを履こうとしてノーパンであることで躊躇う。とりあえずもう寝るのだろうからと、これまた手渡されていたベルトとズボンを一緒に置いておく。一番不安な股間も隠れる膝丈ワンピースだ。この長さでなかったら全裸より見るに耐えなかった……とりあえずノーパンである不安感と生地の硬さに目を瞑れば、寝るのには問題なさそうである。

「明日だが、明るくなってからすぐにここを出て王都へ向かう。移動しながら質問には答えよう」

「えっ、ここでしばらくゆっくりしていかないんですか? 質問もご飯食べながらとか……」

「ここは畑も牧畜も向いていない土地だ。住む人間が食べる最低限の食糧しかないから一日とて長居は不可能だ。移動中は適宜食料を購入するつもりだが、それに関してはあまり期待するな」

「はあ……あれ、ていうかそのお金一体どこから……は!! 私たち、フランベルさんにお金払わせていませんか!? この服とか、宿代とかもまさか……」

「服は、そうだな。宿は厚意で貸してもらったが」

「あ、あわわ、私たちお金も金目のものも持ち合わせが……葉月ちゃん! どうしよう、私たち無一文でフランベルさんの金を貪ってる!!」

「むにゃ……いくらさん……お金は……食べられない……」

「新しい寝言だな!!」

 船を漕ぎ始めた葉月の頭がゆらゆら揺れているのを見て、いくらは彼女に相談するのを諦めた。葉月の体を敷物の上に横たわらせる。そのまま冷えた床に膝をついて、フランベルに流れるように頭を下げた。ジャパニーズ土下座である。

「お恥ずかしながら現在無一文の身なので、どうか返済はお待ちください……!」

「いや、返してもらおうとは思っていないから安心しろ。冷えるぞ」

 手で土下座の中断を指示するフランベルに従い、恐る恐るいくらは顔を上げた。……こうしてまともに見合うと、フランベルの顔立ちはいくらの基準でいえば整っているように見える。目鼻立ちのバランスがいいのだろう……白い毛並みはくすんだ汚れがあれば目立つことだろうから、普段は手入れに余念はあるまい。移動の間、赤黒い背中ばかり見ていたが、その間もフランベルは体の軸もぶれない、背筋の伸びたきれいな歩き方をしていた。それだけでもいくらの評価は高い。獣人である以上美醜の感覚は独自の差もあるだろうが、見るからに洗練された動きというのは好感を集めやすいのではないだろうか。そう思ういくらを前に、フランベルはあたりを見回してから歩き出した。おそらくベンチだろう……横に長い石造のブロックに、干草の上に乗っていた絨毯を一枚敷くと、フランベルはそこに腰掛ける。座っている反対側を叩いていくらを誘うので、金銭の話が脳の端にちらつくいくらは、びくつきながら大人しく従った。何が始まるのだろうか。

「話しただろうか。俺は騎士だ」

「は、はあ」

「とりあえず聞け」

 金の話とは思えない切り出し方に金銭面では安心し、肩から力を抜いて頷いてから、脳と耳をつなぐ。騎士。聞いた言葉を噛み砕いて脳に浸透させる。

「……騎士というと……馬とかに乗る、あれですか」

「それ以外のものがお前たちの国にはあるのか」

「まー……ないですかね」

 乾いた笑いを浮かべていくらは諸々を誤魔化す。生憎研究しているわけもないので浅瀬で泳ぐ程度の知識しかない。曖昧な返答ではあったが、異国風の顔立ちであるいくらの返答にフランベルは不審に思うことなく話を続ける。

「俺は騎士位に居ながら、その任務を放棄したのだ……愚かにもな」

「あ、今脱走兵なんですか」

「……言い方に思うところはあるが、現状の俺は徴兵から逃げるそれと変わらん……不始末を起こしてあの地へと逃げ込んだ。自己中心的な考えで、だ」

「はぁ……そこは別に興味ないんでいいんですが」

「そこで出会ったお前たちを、殺そうとした……すまなかった。ハヅキだから良かったようなものの、これが無力な民であったらと思うとゾッとする」

「今初めてそれを知った私もぞっとしたんですけど」

 遠回しに葉月のことが化け物扱いされているが、当人も寝ているし、いくらもここまでで何度か思っていたことなので、青くなりつつも神妙な顔で頷いた。異世界チート能力がついているとはいえ、気分にむらのあるオタクには過剰な戦闘力だと思うのだ。いくらのギャグ補正のついた能力を分けてあげたいほどだ。替えてほしい切実に。

 いくらの挙動を目を細めて見ていたフランベルだが、ふっと表情を険しくする。それに伴い首の後ろがちりつくような空気の変化に気づき、思わずいくらの背筋が伸びた。

「……お前たちは何者だ。顔立ちはもちろん、ハヅキの身体能力は常人ではありえまい……どこから来て、どこに行く気だ。お前たちはセントルーデンに、仇なすつもりか?」

「……と言われましても葉月ちゃんのアレについては私も詳細を知りたいくらいなのですが……」

 まさか正直に異世界から来たと言うわけにもいかない。他国のことも知らないし、嘘をうまく吐ける自信もない。言葉を濁すのは悪手だと思うのだが、そうと分かっていても上手いこと舌が回るわけでもない。しかし弁解をしないわけにもいかない。騎士だというのならば国か家かに士官しているのだろうから、不敬や利害関係でばっさりやられても困る……出会ってからフランベルは一度も帯剣していないし身軽な姿ではあるが、獣人であるなら爪や牙で危害を加えることは容易いはずだ。だが、しかし。どうしたものか。よく考えてみれば、初対面の相手にホイホイついてきているのも問題だ。平和ボケした自分の頭が恨めしい。

 思考するうちにいくらの意識があちこちにとんで口ごもっている間に、諦めたのか飽きたのか、フランベルが険しくしていた顔から力を抜いて、長い息を吐いた。

「……とやかく言える立場ではないが、不審なところが多すぎるぞお前らは」

「すみません……あ、と、念のため言い訳させてもらうと別に信用してないわけではなく、あまりに突飛な話なのでこっちの信用が足りないなと思って口ごもってるわけで……」

「お前たちにも事情があるのは察する。追求はしない。ハヅキはともかく、イクラはまだまともそうだから、信頼しておく」

 いくらをまっすぐ見るフランベルの目に迷いはない。全裸の追及はしてもらった方がありがたいいくらだったが、変態に造詣が深いわけでもない彼に弁解する余地はないようだ。

「それと、この集落に長居するわけにはいかないのは先ほど話したが、ここからはお前たちも一緒に俺の都合で王都へ向かわせてもらう……道中目的の地でもあればそこで分かれてもかまわない。だが基本的には旅路を急ぐため、それに付き合わせる形になる。資金は俺が出すが、それでもかまわないか」

「えっ正気??」

「お前たちのふるまいを見ると、この国には来たばかりなのだろう。見たことがないから東からか? いや、詮索したいわけではないから気にしないでくれ。ともかくそうならお前たちは職を探さねばならないだろうし、王都に行くことはお前たちにとっても都合は悪くないはずだ……少しばかり自由が利かない状況にはなるが」

「お、おお……マジで??」

 耳に飛び込んできた都合のよさすぎる条件に、いくらは思わず聞き返していた。真偽を疑うために覗き込んだ目は、至近距離にあるいくらを迷惑そうに見返した。

「……森で正気に戻してもらった礼がある。王都に行けば他国の人間でも任せてもらえる仕事の一つもあるだろう。騎士位を返上してからだから一晩は待たせるが、その後でいいなら仕事探しを手伝わせてくれ」

「そ、それはありがたい申し出ですけど……」

 あまりに都合がよすぎるのではないだろうか。というか、これはもしかしてこの獣人が都合のよすぎる獣人なのではないだろうか。とても都合のいいイケケモ。うーんこれは成人指定。

「あぶね!! 思想があふれ出た!!」

「なんだ急に」

「すみません自分の欲望の声が大きすぎて驚いています」

 人の人生の節目に居合わせるには自分達は多少変わり種ではないだろうか。かたや狂信者、かたや全裸の男。いやいくら達からすれば右も左も分からない状況なので助かるのだが……。

「……いや、でもやっぱ……頼りっぱなしは不平等では……」

 ただより安いものはないのだ。そう考え、それなりの覚悟をもって発言したいくらに、フランベルは軽く笑って返した。

「では、お前たちが安定した生活基盤を整えたら、飯でも奢ってもらう……異国人も獣人も、あの国では生き辛い。身をもって知っている先達の、余計なお節介として受け取れ」

「う……うっす」

 返答しながら、初対面の相手にホイホイついてきて無防備にしている自分たちはオオボケではあるが、目の前の獣人も相当なお人よしではないだろうかといくらは思う。思うが、森の中で見た怒気にまみれた姿を思い出すと、いくらには計り知れない闇でもあるのかと考えてしまう。生き辛い。その言葉の真意とは。

「もう寝ろ。俺ももう眠る」

「ウス」

 聞きたいことはあったが、フランベルが話を切ったため、いくらも口をつぐんで干草の上へと転がる。なにも今貴重な睡眠時間を削ってまで、深く考えるようなことでもないだろう。直前まで話をしていたと言うのに、横になった途端体は泥のように重くなり、瞬く間に眠りに落ちていく。

「おやすみ三秒……」

「黙って寝ろ」

 重くなった瞼を完全に閉じ切る前に、ふとフランベルを見る。フランベルが座った姿勢のままで目を閉じているのを見て、睡魔に袋叩きにあったいくらは力尽きた。


 硬いパンみたいな塊と、ホットミルクのようなスープで腹を満たした。塩味はそんなにないので、スープと呼ぶ気分にはならなかった。

「味薄……」

「パンも硬いしね……これ釘うてるのでは……?」

 寝起きで萎れたままスープを啜る葉月と、目は覚めているがひどい寝癖が天に向かっているいくらが、皿の上に乗っているパンを拳でノックする。パンは薄く切ってあるが、焼いてからしばらく経っているのか焼きすぎているのか、中まで硬くて顎が痛くなるほど噛まなければならなかった。試したいくらはかなり体力と歯をすり減らしたような気もする。

「シェフを呼べ!!」

「俺だが」

 ボケた矢先に支度のために姿を消していたフランベルが現れ、いくらは椅子から飛び上がった。フランベルに引き攣った顔で会釈をし、気を取り直すために咳払いをする。

「お、おかえりなさい……えー、と、このパン固すぎませんか?」

「こんなものだろう」

「そんなわけがない……え、本当にこれが普通……?」

 フランスパンで人を殴る描写のある漫画を見たことがあるが、おそらく殺傷能力はこちらのほうが上だ。これは軽いだけの鈍器だ。自分の中にあるパンの常識が塗り替えられる。ふと静かさに気づいたいくらが葉月を見ると、目を閉じて夢の世界に旅立ちかけて、スープに顔を突っ込みそうになっていた。慌てて皿を退けた。そういえば朝に弱いと聞いていた気もする。

 ともかく、いくらは「パンはパンでも食べられないパンは?」のクイズのために生まれたとしか思えないパンを手に、席を立ち上がった。

「ちょうどいい!! 現代知識チートを見せてやろうさ!!」

 そう叫ぶととりあえず家主に許可をとり、台所を借りた。フランベルが交渉に入ってくれたためにスムーズにゲットできた卵と乳とを合わせ、、スライスした硬いパンを浸し、柔らかくなったところでチーズを挟んで鉄板で焼いた。わずかに干し肉があったので、それも小さく刻んで挟んでやった。

「おあがりよ!!」

 出来立てのクロックムッシュを皿に乗せ、集落の長だという灰の毛色の犬っぽい獣人に味のジャッジを頼む。

 急に呼び出され戸惑っていた長だが、出来立てのクロックムッシュを目にすると、ためらいながら食器を手に取った。熱さに苦戦しながらナイフで切り分けたパンを口に運び、目を見開いた。

「こ、これは……硬いパンに卵と乳の液体が染み込んで柔らかくなり、鉄板で焼くことで香ばしさが足され、厚いパンの中ではチーズがとろけ、わずかに干し肉の旨味がたされ……う、美味い……!!」

「まんまの説明だがありがとよ!!」

 ワイルドに鼻の下を指で擦り、完食するまで自分も少し味見をした。塩は岩塩しかなく、砕くのが億劫で手を抜いたせいか少し雑な塩味だが、足りないよりは良いかもしれない。贅沢を言えば胡椒が欲しかったが、まあまあではないだろうか。自画自賛しながら洗い物を長に頼むと、パンを頬張ったままで、小さく二度頷いた。

「さて、そろそろ出立の準備をしますか!!」

「何がしたかったんだ、お前は」

「いや、やっぱ異世界に来たら知識チートからの飯ウマはお約束かなって……私マヨネーズ好きじゃないのでそれはやらなかったですけど」

「マヨ……なんだ?」

「なんかもうありそうな気がするので、道中お話しましょう。よし、お弁当も用意できたし、よかったなー」

 最終的に長相手によくある現代知識チート気分を味わえたが、実は製作中にフランベルから王都に似たようなものがすでにあると聞いていたので、ちょっと残念な気分だった。この調子ではマヨネーズなどは普通に普及しているのかもしれないし、もしかしたら味噌とかも存在するのかもしれない……それならそれで故郷の味には困らなさそうで万々歳だが。

 ちなみにクロックムッシュはこの集落ではまだ一般的なものではなかったようで、初見の長には喜んでもらえていた。

「次回来る時にでもクロックムッシュがここの主流になっていたら嬉しいですねぇ」

「そもそも、洒落た料理を嗜む食料がないと言っているだろう」

「あ、じゃああれ喜んでるの、フランベルさんがお金出して買った食材をただで食べられてるからですかね」

「そうだろうな……なぜ出立前にお前は浪費するんだ……」

「オコラナイデ、オデ、オベントウ、ツクッタ」

 いくらが顔を引き攣らせながら包んだクロックムッシュをかかげると、フランベルは何か言いたげにしながらも、言葉を飲み込んだ。


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