第4話 第一現地獣人と異世界オタク

 葉月の拳は小さい。特別手を酷使する仕事や趣味を持っているわけでもなく、体格も突出しているわけでもないので、それは当然だった。しかし今、葉月の華奢な体からは想像もできないほどの威力の拳が、突如として茂みから飛び出した獣に打ち付けられた。地面を踏む後ろ足が、反動で土を抉る勢いで沈んだ。

「っし!!」

「ガッ」

 毛むくじゃらの生き物を、はじめ葉月は犬だと思った。一瞬しか確認出来なかったが、三角の耳もマズルもあったし、毛が全身を覆っている。だから、知識を集めたうえでそう判断する。鼻っ面を殴りつけた瞬間にそれを犬だと認識し、かわいそうなことをしたかなと一瞬考えた。考えたが、動作をキャンセルすることもできずに葉月はそのまま殴り抜ける。茂みに逆戻りした犬がまた飛び出してくるのを警戒して後ろに下がった。

「いくらさん、犬です」

「え、犬だったの? 手とか噛まれてない? 折れた歯とか刺さってたりしない? 大丈夫?」

「はい、とりあえず大丈夫みたいですけど、いくらさんは引き続き警戒しててください。まだ来ます」

「ガッテン承知の助!!」

 殴った拳は少し軋むような音を立てて痛んだが、傷はない。手首を振って拳を握り直して構える。

 いくらは武器の代わりか、地面に落ちていた長めの棒を両手で握って構えている。控えめに言って格好も相まって原始人だ。葉月は人類の神秘を感じた。

「……っ、来た!」

 茂みから低い唸り声が聞こえた次の瞬間、先ほどとは異なる方角から獣が飛び出してきた。茂みの中を移動したようだが、葉月の目はそれを正確に捉えた。雄叫びを上げた獣は口を開けて葉月の腕に噛みつこうとしていたが、身を低くして回避する。すれ違い様に下から上に殴りつけたが、毛皮が厚いのか手応えはない。その間に獣の腕が横に払われ、避け損なった葉月の腕に薄い爪痕がついた。

「痛……くない! 浅い!!」

「チッ!!」

「え、今舌打ちした?」

 疑問を感じながら葉月は体勢を低くしたまま、獣に背中を取られないよう直ぐに身を返す。

 白い毛皮を持つ獣の姿は、やはり犬のようだった。歯を剥き出しにして葉月に襲う姿さえなければ現代日本でもたまに見かけるような犬種に見えた。ただ、大型犬とは比べられないほど、葉月の体よりもその体は大きなものだったが。

 犬好きな葉月だったが、それが宙返りの後に二本足で着地、着込んでいた衣服に滴るほど血を染み込ませているその生き物に、可愛いなどというペットに抱くような印象は持てなかった。

(……なんか気持ち悪い臭いがすると思ったら血か……生臭い……)

 直ぐに取って返した獣が、葉月に再び殴りかかってきた。指先は犬とは違い、まるで人間のような形の五本指で拳を握っている。

(なんか、よく見える……これも武道の達人のスキルかなぁ。創作に使えそうだし見る機会のない光景だから、もう少し見てたいけど……)

 葉月よりも頭一つ分は高い位置から振り下ろされるそれを少ない動作で避ける。

「あぶなっ」

「……っ! ちょこまかと……!」

「えっ、今喋った!? まさか獣じ」

「葉月ちゃん、危ない!!」

「うぉっ」

 後方から聞こえたいくらの声と、鼻先をかすめていく腕の動きに気を取られた葉月に、一瞬隙ができた。それを見逃さなかった獣は、死角になった側から振り下ろすように蹴りを繰り出す。

 ……不幸だったのは、葉月がきちんと武道を修めた人間ではなかったことだった。葉月は戦いの最中、獣が人語を扱うことに気づいて話をしようとしていた。戦いを意識すれば制御下になる体は、言葉を考えて無防備になり、一瞬葉月の意識から外れてオートで反射的に武術を繰り出していた。

「あっ」

 後ろ回し蹴りが獣の後頭部に見事に決まり、獣の意識は瞬時に白く染まっていく。

……武を扱う生き物としては大変不本意な戦いの終末を迎えた獣は、白目を剥いて地面に倒れ込んだ。



「犬ですよね、これ。シベリアンハスキー。アルビノっぽいシベリアン。もしくはサモエド」

「ああ、なるほど……や、そう見えなくはないけど、オオカミじゃない? アニメ映画でこんなの居たでしょ、確か」

「白いオオカミ獣人か……こう、題材的に意外性が薄いかも知れませんなぁ。せっかくの異世界初の第一村人なのに」

「血まみれのオオカミ獣人が恒常の世界線を、私は知らない」

 覚醒しきらない聴覚に緊張感のない声が飛び込んできて、フランベルの意識は浮上した……不快な目覚めではなかった。何か憑き物が落ちたように、感覚的には清々しいほどであった。が、体は痛み、泥の中に沈むように手足は重い。さらに感覚が鋭敏である耳に触れられている不快感があり、反射で頭を振ると、不快感はすぐ離れた。

「ちょ、犬ドリル犬ドリル」

 呑気な女の声が、驚くほど近くから聞こえた。弾かれたように顔をあげれば、そこには異国の年若い人間の女が、しゃがみ込む形でうつぶせで倒れていたフランベルの顔を覗き込んでいた。

「なっ……!」

「あ、起きました?」

 目の前で笑顔で手のひらを振ってみせる女……葉月と、その後方には形容し難い表情を浮かべている男(女)、いくらがいる。フランベルから見て小柄な女は警戒心のない様子だが、その腕が立つことを、フランベルは瞬間的に思い出す。赤茶けた髪は背中に流しており、見慣れない機能性の高そうな衣服を身に纏っている。目鼻立ちはこれもまたあまり見ない種類であったが、どれも見慣れた人間の者よりは凹凸が少ない。表情にもどことなくあどけなさがあり、かわいらしいと言えなくもない容姿だ。一方、同じ傾向の顔立ちをしている男は、服と呼べるものは身に纏っていない。その状態であるのに髪と同じ色をした黒目からは、なぜか理知的な輝きが見て取れた。全裸なのに。フランベルはいくらが長い棒を抱えている姿を見て、いくらがどこかの部族の者かもしれないと思った。

 だが、その存在を疑問に思うより先に自身の体の異常に気を取られた。フランベルは地面に転がされ、両足をひとまとめに、背中の位置で両腕をひとつに纏めて拘束されていた。

「なんだこれは!!」

「なんだって……いやだって出会い頭に襲われましたし……これって普通の対応では?」

 被害者らしくもっともらしく語る葉月だが、その後ろのいくらは彼女も出会い頭に相手を殴ったのだという事実を知っている。知っていたが、口を挟むことで空気の読めないオタクの称号を得るのを恐れ、余計なことを言わないよう、とりあえずしゃくれておいた。その様子を見ていたフランベルの困惑はさらに強まった。

「えーと、まず大人しく話をするために拘束をしましたので、そこはご理解ください」

「理解できるか!!」

「おっと、暴れても無駄ですよ。丈夫さが売りのカーディガンを再利用し拘束させてもらったので、力任せでは簡単には引きちぎれにくいことでしょうさよなら私の4,900円+税」

「ドンマイ葉月ちゃん。ほら、私なんて全部無くなってるから」

「しゃくれさんはその姿が似合っているので問題ないですよ」

「おや?? どういう意味かな??」

 拘束から逃れようと転がされた体を蠢かすフランベルだったが、手首の拘束は抵抗するほどキツくなるようで、そのうち背中の傷の痛みが増してきて暴れるのをやめた。

「あ、大人しくなったようですね……全く、手間をとらせてくれましたね」

「あ、悪〜! すごいよ葉月ちゃん、ナチュラルに悪役みたいだ!」

「えへへ、実は私ついこの間ヤクザ漫画を見まして」

「やべぇ予感しかしねぇ」

 フランベルは地面に転がされたままの状態で葉月といくらを見上げた。葉月はいくらよりも小柄ではあるが、先ほどの戦いから、見た目にそぐわない実力の持ち主であることが知れた。となると服装から見てもいくらは葉月より身分が劣っている立場だろう。先ほどから呼び方は気安いが、葉月の主張を穏やか……といえば聞こえはいいが、何の主張もなさそうな男が止められるようには見えなかった。

「じゃあ、いくつかお話を聞かせてもらいます。でも私は気が短いのでいくらさんに丸投げします」

「なんとなく読めてました。はい、じゃあいくつかお話を聞かせてもらいます。基本乱暴なことはしませんけど、明らかな嘘をつかれていたとわかったら……葉月ちゃん、嘘吐かれたらどうする?」

「我が神いくらさんに嘘などつくなら、指をひとつづつ折りましょう」

「あの、悪いこと言わないから怪我する前に言えることは全部言ったほうがいいと思うマジで」

 案の定横暴なことを言い出した葉月に、顔色を悪くさせていくらが小声で助言をする。寝ずに駆けてきた思考が多少明瞭になっている。意識を失っていたからか、とにかく気絶する前よりはっきりとした頭でフランベルは思案した。

 フランベルは未だ騎士ではあるが、それは騎士の称号を正式に剥奪されていないからにすぎない。すでに己を騎士であると知らしめる勲章も軍服も、全て置いてきてしまっている。時間が経てばいずれ騎士の称号は正式に剥奪されるだろう……夜討ちが原因だったとしても、そこからただ逃げ出し、醜く他者や恩のある国を呪った己にはもう騎士の資格はないと、フランベルは考える。己が惨めなだけならばそれはそれで仕方ないことだ。だが、己はセントルーデンで最も名を知られた獣人の騎士だ。

 ……他者に逃げ出した卑怯者と呼ばれても、獣人の名を汚すことは避けたかった。未来の獣人たちのためにも、一度王国に戻り、恩のある王や王室、騎士の仲間たちに感謝と謝罪の言葉を直に伝えたいとも思った。

(……今一度、王都へ戻ろう。正規の在り方で役割を放棄したことを謝罪し、その後に処罰を与えてもらう。騎士を剥奪されるならば、それも受け入れよう……そのためにも、この森をでなければ……)

禁足地に踏み入った己の罪も告白しなければならない……一族への咎めは逃れればいいが……。

「あれ、静かになった……というかしおらしくなってる……耳が! 耳が下がってる!!」

「さすがいくらさん、なにもせずとも相手をひれ伏せさせてしまう御威光、誠に感服いたします」

「目を覚ました時点で地面に転がってる相手は最初から平伏してるんだよなぁ〜」

思考を切り、手を合わせてパチパチ気の抜けた拍手をする葉月に目をやる。どこにでもいるような華奢な若い娘だ。自分よりも頭一つ以上下低い背丈で、オオカミ族の己に肉弾戦で勝利を収めたとは思えない。

 獣人は人間よりも身体能力が高い。筋肉をはじめとして肉体組織が人間のそれよりも密度が高いのだという。そうでありながら獣人が騎士になることが少ないのは、騎士に必須である剣技や魔術を獣人では充分に行使できないためだった。純粋な力比べであれば、獣人が人間に負けることは滅多なことではない。

 だが葉月はそれをやってのけた。恐慌状態だったのか、自分でも把握できていないが……ともかく正常な判断を失った状態の己であっても、勝利することなど不可能なはずだと言うのに……フランベルの心中に興味が湧いた。

「……どこの者だ」

「ん?」

「セントルーデンの者ではないだろう、お前たちは。どこからきた」

「あれ、すっかり落ち着いてる……怒ってないですね……?」

「……まあ、突然襲いかかったことは悪いと思っている。謝罪しよう」

「あー、や、そのへんは丸ごと葉月ちゃんが対応してたので私は別に……葉月ちゃんは?」

「別になんてことないので気にはしてないですね」

 言いながら、葉月は腕についた爪痕を軽く指で掻いていた。うっすらと赤い筋が描かれているが、痒みがある程度で深くはない。痛みもないし、跡も残らない程度だろうと本気で気にしていなかったが、フランベルの心には罪悪感が湧く。

「……すまない。少し理性を失っていた……俺はお前たちを追手だと思い込んでいた……冷静に考えればわかる。お前たちは森の奥から来たのだから、そんなわけがないというのに」

「はあ……何か訳アリです?? なんかあったんですか?」

「……少し、人と揉めただけだ。ともかく、俺はお前たちの質問に答えよう。ただし、この拘束は外してくれ……傷が痛む」

「……葉月ちゃん、どうしよう」

 いくらが躊躇いを見せる間に、フランベルと見つめあったままの葉月は、少し間を置いてから頷いた。

「大丈夫です、いくらさん。多分、嘘ついてないです。その人」

「まことに?」

「まことでごさる」

「りょ」

「お前たちどこの生まれなんだ……」

 主従とも対等とも思えない会話後、手足の拘束を解かれたフランベルは地面に座り直した。手首を回して状態を見るが、特に痛めている様子はない。背中の傷以外なら、どこかといえば後頭部が一番痛んでいる。

「……えーと、背中大丈夫ですか?」

「ああ……直前に負傷しただけだ。問題ない」

「いや、あの、後で傷口洗うくらいした方がいいかと思います。水場もありますし」

「そうさせてもらおう……俺はフランベル。オオカミ族の獣人だ」

「あ、私はいくらです。こちらは葉月ちゃん」

「葉月です、よろしくおねがいしまーす」

 いくらは合コンみたいだなと思いながらも言葉には出さなかった。

「ええーと、じゃあフランベルさん、変なことを聞きますけど、ここはどこですか」

「神王国セントルーデンの王室直轄領内だ」

「領主は?」

「……王だ」

「なるほど、そりゃそうだ」

 神妙な顔で頷かれるが、その質問の内容は子供がするような無知で拙い問いだった。他にも王家の名、大陸名、聞いたこともない地の名前を聞かれたところで、フランベルは耐えられずに口を開いた。

「お前たち、何を知っているかをまず教えなさい。知らなさそうな部分を、俺が答えよう」

 この一言のせいで、フランベルは世界の成り立ちから庶民の生活まで、知っていること全てをこれから先時間をかけて不思議な二人組に話すこととなる。

 ここが異世界だと確信したいくらは、ここからかかるフランベルの心労を想い、申し訳なさでまたしゃくれた。




 いざ質疑応答、となったはいいが、姿勢を正すいくらと葉月の予想と反して、フランベルは空を見て一つ鼻を鳴らした。

「……じき暗くなる。今日は森を出て、眠れる場を確保する。移動しながら話をしよう」

「え、ここで野宿はダメなんですか?」

 あちこちを向きながら鼻をひくつかせているフランベルに尋ねる。振り向きもしないまま、フランベルの右耳がパタリと動いた。

「ここは禁足地に指定されている。隠れるにはいいかもしれないが、不心得者として追われることは避けたい」

「禁足地……ていうことは曰く付きか、由緒正しいかのどっちかですかね」

「……神聖な場所とされている。まさか本当に何も知らんのか? 普段何を崇めているんだお前たちは」

「私はいくらさんを」

「私は毎日のごはんを……」

「!? そ、そんな! いくらさん、私を信仰してくれてるって言ってたじゃないですか!? あれはうそだったんですか!? さては私以外のフォロワーにもこういうこと言ってるんですね!!」

「こういう場でそういうノリは良くないかな、って……」

 流石に空気を読んだいくらとサブカル信仰心強めの葉月とで答えは別れたが、痴情もつれのように揉める不謹慎な二人の様子を見ていると、特別信仰する神がいないのだと知れた。

「……お前らの国はどうなってるんだ……」

獣人の間でも神王国の国教の他に、先祖から伝わった精霊信仰をひっそり抱える者がいる。批判するつもりはないが、ひとつの指針がない状態では国は荒れるばかりではないだろうか。

「無宗教ってわけじゃないんですけどねぇ。まあ、今は個人を尊重する時代なので……そんなことより、私たちはここからどこに向かうんです? 森は出るんですよね?」

「ああ、そうか、そこも説明するんだったな……」

そう言ってフランベルは少し考えてから口を開いた。

「まず、さっきも言ったがここは神聖な地だ。神王国では『始まりと終わりの地』と呼ばれ、王室の人間すらも滅多に立ち入ることは許されていない。なので、俺たちはここをすぐにでも出て、人のいる集落へと向かう。この地の管理を任された一族の集落で、贅沢ができるところではないが、屋根のある場所の提供はしてくれるだろう」

 簡潔にまとめた指針に不審な点がないかを、いくらが言葉を咀嚼しながら考える。

「なるほど……ちなみにそこまでどれくらいかかりそうですかね。日は跨ぎます? それともすぐ近く?」

「日を跨ぐことはないだろうが……そうだな……女の足の速度はよくわからないが、馬のない状態では男でも暫くは歩くことになる」

「なるほど」

 いくらが何度か頷き、葉月を見る。疑ったところでどうしようもないので、念のため本人の同意を得ようと思ったのだが、振り返った先にいた葉月はすでに眠そうな顔でしゃがみこんでいた。

「葉月ちゃん、なんか結構歩くらしいよ。大丈夫?」

「もう疲れたから眠りたい……」

「だよねぇ……普段は車乗ってるもんねぇ……」

 おぎゃぁ……と力無く鳴いた葉月を見て、いくらが困ったように眉を下げたが、フランベルからすれば履物をしていないいくらの存在も困ったものだった。歩くうちに怪我でもされれば、移動にはさらに時間はかかるだろう……しかし履物など余分に持っている訳もなく、この地でそのようなものを拾うわけも、いくらの腰巻のように間に合わせで作ることもできない。

「……仕方ない」

「はぁ……?」

 葉月の背中をさすっていたいくらに、その場でフランベルがその場で履物を脱いで、いくらに手渡した。

「うわっ、生ぬるい……」

「それを履いていろ。歩くうちに怪我でもされたらいつまで経っても集落に着かない」

「え、でも……フランベルさんが困るんじゃないですか? 大丈夫です、私、怪我しても置いてかれないようにするんで……」

「俺は見ての通り獣人だ。素足で歩くことになんら問題はない……集落に入るときは返してもらわねば、格好がつかないが、それまでなら貸し与えよう。遠慮はするな」

「はぁ……あの、でも……」

 革靴とフランベルの顔を何度も見比べるいくらの煮え切らない声を聞きながら、フランベルはしゃがみ込んだ葉月の腕を掴んで立たせた。

「ほら、急ぐぞ。日が暮れて腹が減る」

「今のところお腹は減ってないんですけどぉ……そうか、ご飯の問題があった……辛いの食べ飽きたし……仕方ない、歩くか……」

「それでいい」

 頷いたフランベルが背中を向けて森のある方角を示す。

「こっちの方角に集落がある。すぐに立つぞ」

「ういっす……あ、でもフランベル氏、背中血まみれですけど、洗い流したりしなくても大丈夫なんですか? 水場で少し傷口洗ってから……」

「そんなのんきなことをしていられるか。傷は集落で対処する。行くぞ」

「はぁい……」

 内心、メンドクセーと思いながらも、駄々をこねてもいずれここを出なくてはならなくなるだろうことを察して、葉月はフランベルの背中を追……おうとして、いくらが靴を持ったまま立ち止まっているのに気づいて駆け寄る。

「いきましょ、いくらさん!」

「……ねえ、葉月ちゃん」

「なんですか」

 困った顔でいくらが靴を睨んだままでぽつりとこぼす。

「……私、人から服とか靴とかって借りるの抵抗あるんだよね。獣人って水虫とかにならないのかなぁ……衛生面が気になっちゃう……」

「変なとこ神経質ですね、いくらさん」

 しかし葉月もわざわざ自分の靴を貸してまで他人の靴を履こうとは思わなかったので「どうなんでしょうね」と首を傾げる。フランベルに名前を呼ばれるまで、二人で靴と睨み合うことになった。


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