第2話 全裸男、トッモ(元♀)だってよ!
「助かりました!! ありがとうございます貴方は私の恩人です!!」
「あ、はい」
ウツボの消化液から逃れ、さっさと森に逃げ込んだ男は、高揚した葉月が落ち着くまで律儀に待っていたらしい。葉月が周りに意識を向けた頃合いに目の前に飛び出してきて土下座で感謝を示していた。待っている間に手持ち無沙汰だったのだろうか、下半身には器用にも蔓を編んだもので大きな葉っぱを下げることに成功している。全裸よりすこしマシな男になっているが、すでに葉月の中の男の印象は最低値を下回っていた。
「私、目が覚めたらここにいて、うろうろしているうちにスライムを召喚してしまい……テンパってるうちにさっきのヤベーウツボに襲われたところだったのです。本当にありがとうございます」
「さらにアホとは救いようがないですね」
「はははよく言われます」
自己肯定感が地を這うような男が恥ずかしげもなく笑う。
こうして落ち着いてみると男の容姿にも多少目がいく。黒髪茶目の、日本人の標準的な容姿だ。良くも悪くも見た目に特徴がない。このまま別れていたら街中で見かけても再会することが難しそうな顔立ちだ。ちなみに体はスポーツをしている弟ほどではないがそれなりにシュッとしていた。
「……ええと、とりあえず状況を整理しましょうか。このまま日が暮れるとまずいですし」
変態の割に空気の読める男がそう口火を切り、葉月は頷いた。
「先程貴方は気がついたらここに居たと言っていましたけど、その直前の記憶はありますか?」
男は唸るような声を絞り出した。
「……あります、けど……その記憶の前後のつながりが突拍子もなくて……本当に目が覚めたらここに居た、としか言えなくて……」
葉月が首を縦に振る。葉月の記憶も、目が覚める前後がまるで編集されたように突拍子もない。異世界ではないにしても病院に緊急搬送された自分がこんな森の中に置いていかれること事態が、現代社会ではありえないことだった。
「なるほど、私と貴方は同じ立場でここにいるということですね……現代社会では到底あり得ないことが起きて、私たちはここにいるって事ですか……」
「え!? あなたも私と同じなんですか?! じゃ、じゃああなたも突然謎のデスゲームに巻き込まれ電気椅子で処刑されたんですか!?」
「あ、全然違いました」
「えっ」
謎の急病で搬送された自分とは事情がかなり異なることがわかった。どんな人生があればそんな事になるのかまったく理解はできないが、葉月は心の平穏のためにも目の前の波乱万丈人間と自分とを同列に並べて考えることをやめるよう心がける事にした。
「ん? ていうか電気椅子……?」
聞きなれないはずの言葉が葉月の中で何か違和感を残す。そんな単語は洋画でくらいしか聞いたことがないはずだが、なぜだろう。どうにも気になった。
(……最近聞いた……? いや、でも聞いたって感じの記憶じゃないな……何かでよんだ……そういえば服を溶かすスライムもどこかで…)
記憶力は悪くないはずなのだが、いまいち思い出す力が弱いと自負のある葉月がうんうん唸りながら記憶を探っていると、申し訳なさそうに男が挙手をした。発言の許可を求めているらしいので掌で促すと、男の指が葉月の足を指した。
「あの、痛くないんですか、それ」
「は?」
「水膨れになってますよ」
男が指したのは葉月の右足だったが、たしかに足には数箇所、火傷をしたように水脹れができていた。大小様々だが、大きくても手のひらほどの大きさはないので、今すぐ命に関わることもなさそうだ。
「うおっ、いつのまに……」
「多分さっきのウツボを蹴り抜いた時に、消化液がかかったんですかね……冷やさないと跡になりますよ」
「わかってるけど冷やせるものがないじゃん……」
日が落ちてからなら、岩が冷えて多少は冷やすのに役立ちそうだが、今のところまだ日は高く、夕方すら遠そうだ。
「く……っ! こんな時にガソガソくんがあれば……!」
「この状況でするには要求がデカすぎる気がしますけどね……残念ながらアイスはないんですけど、水なら知ってますよ。こっちです〜」
「はぁ?」
男が先導して森の中を進んでいくのを、訝しく思いながらも葉月は後を追った。
剥き出しの尻に不快感を覚えながらも相手の後頭部に意識を集中してついていく。警戒がマックスになって意識が研ぎ澄まされているのか、ここまで感じていた疲労や頭痛も失せていて、油断の一切ない状態だった。騙される可能性も考え、拳は握り、地面には目印がわりに足で強く踏む事にした。補正が効いているのか案外簡単に土が抉れ、一歩ごとに男の尻に土がぶつかっては落ちていくのを繰り返すうちに、男が足を止めて振り返った。
「ここです!」
咄嗟に殴りかかろうとしてしまったが、男が緩やかな斜面から湧きでる水を指して微笑むので、そのまま何もなかったかのように肩を回すだけに留めた。土の斜面に岩がいくつか存在しており、そのいくつかの割れ目から細い水が流れ出し、地面に落ちて吸い込まれている。尻の割れ目を素早い動作で隠した男が振り返る。いや、みねーし。
「ほら、ここ、水が湧き出てるんですよ」
「お、おお……本当だ……きれいな水……」
掌で岩の割れ目から流れる水を受け止めると、濁りのない、冷たい水であった。
「目が覚めたのがこのすぐそばで、運が良かったです。道に迷わないように目印でその辺の木に召喚したばかりのスライムを塗りつけてまくっていたので、運良くここまで戻ってこれましたし」
「だから木々がてらてらしてたんですか。誰かが塗った砂糖水かと思ってましたよ……あれ。そういえばスライムは?」
「ああ、さっきウツボに食われかけた時に咄嗟に体にまとったら、私自体はノーダメだったんですけど、スライムは消えちゃったんですよね……木に擦り付けたのも蒸発しかけてるので、もしかしたら召喚できる時間とか受けられるダメージに限りがあるのかも……これ二回目も呼べるのかな……って、そんなことより水で冷やして。湧水だから冷たいはずです」
「あんたすげーよ」
全裸なのに思ったより頭を使って探索していたようで、素直に感心した。
「あ、でもこの水って飲んでも平気……? お腹壊したりとか……」
「こういう事態になっていたらもう他に手段はないので、飲み水として使うしかないかなと思っています……安全性に不安があるなら、目が覚めて真っ先にこの水を飲んだ私の様子をしばらく観察してもらっててもいいですよ」
「飲んだの?」
「喉乾いたので」
誇らしげに胸を張る全裸の男がただの勘のいいバカの可能性が急浮上する。ともかく掌に乗せた水の匂いを嗅ぐが、異臭はしない。腹を下すのはサバイバルでは一番やってはいけない事だが、水分の補給ができなければどちらにせよ詰んでしまうため、いつかは飲まなければならないだろう……感染症や寄生虫とか未知の病気は怖いが、背に腹は変えられない。
ともかく今は足に負った怪我の跡が残らないよう、患部を冷やすことにする。羽織っていたカーディガンを脱ぎ、水を染み込ませて足に当てた。
「……あの、ありがとうございます」
「いえ。助けてもらったので当然のことをしただけですよ。結構大きな水膨れですけど、痛くないんですか」
「今のところ痛みはないです……さっき戦った時の興奮でちょっとアドレナリン出てるのかもしれないですね」
そういえば足も水膨れになって痛みがあったはずだが、それもない。やはり脳がバグっているのだろうと、結論付けた。
「なるほど、わかります。私もノリで召喚してみたらスライムが本当に出てきてしまって、そいつが自分の服を溶かした時、もう、無敵になった気がしましたし」
「全てを失った無敵感と一緒にされたくはないです」
たしかにあのモンスターを倒した時、えも言えぬ高揚感はあったが。ともかく、ここまでの会話や、無防備にしているとはいえ巨大植物を蹴り殺した女に背中を向けて、呑気に「ご飯どうしましょうねー」なども言っている男はアホかつ変態っぽいが悪人ではなさそうだと判じる。
「……あの、改めて自己紹介とかしてもいいですか」
「えっ!? あ、はいはい」
「ええと、では改めまして。私は……葉月です」
「葉月……?」
本名を名乗るか一瞬迷い、結局ネット上でよく使うハンドルネームを名乗ったが、目ざとく男が気づいて深追いしてきた。
「それは名前ですか苗字ですか」
「詮索はやめてください、ハンドルネームです」
「なるほど」
何がなるほどだクソが。過去に恋愛沙汰に巻き込まれた経験からむやみに興味のない男と親しくすることを嫌う葉月が内心舌打ちしていると、男はしばらく考え込む様子で黙り込んだ。
「あの、なにか?」
「あ、いえ。知り合いの名前と同じだったのでちょっと考えてました」
「そうですか、よくある名前ですよね検索すると山ほど出てきます」
「……そうですね、暦はモチーフとしてかっこいいですしね」
「はいそれで貴方は?」
「あ、私はいくらです」
「そう、いくらさんですか……いくらさん??」
「いくらです……あの、趣味でイラストを描いてます……ええと、私の勘違いじゃなければ葉月ちゃんって、あの、文字書きの葉月ちゃんじゃ……」
言葉を反芻して眼を瞬く葉月を、男は観察するようにして見ていた。葉月は一瞬呆然とし、そしてすぐ顔をくしゃくしゃに歪めた。
「やめてください神への不敬です」
「えっ、こわ」
「芸術の神いくらとは私のジャンルの中で聖戦と言う名の炎上を駆け抜け生き延びその名を世に轟かせ蔓延るアンチを血祭りに上げる使命が課せられた武神なんです」
「芸術の神なのか武神なのか……そして別に私はそんな恐ろしい使命を抱えて同人活動をしているわけではないのですが……」
「ふぁっきん!! 神の名を騙る異教徒が!! 私の信仰を試しているならその体ごと貴様の野望、砕いてやる!!」
「ちょま、君のその今のスペックでは割と洒落にならなーーッアーー!!」
男の絶叫と共に炸裂した轟音に、木々は揺れて森が震えた。
葉月はどこにでもいるオタク女子である。高校時代に道を踏み外し、いわゆる二次創作ものにハマって卒業しないまま成人。読む専では足りず、創作する側に回るという進化を遂げた。
オタクには基本的に二種類に分かれる。楽しむ側と、作る側だ。この両方を併発しているのオタクは近年珍しくない。葉月は若干読む側に偏っているが、創作もたしなむ。
そして葉月の知るリアルの友人で創作にほとんど意識を乗っ取られていた友人が、葉月が神絵師としてあがめる絵師のいくらである。
絵師いくらとはあるジャンルで知り合い、気がつけば連絡先を交換してご当地食の交換をする仲になっていた。その時の記憶が曖昧なので定かではないが、多分お互いどこかおかしくなっていたのだろう。当時の二人はお互いの作品に神を見出し、最高にハイになっていた時期だった。
そのような経緯で今や友人となった二人ではあるが、半年をかけすっかりフランクになったいくらとは異なり、葉月は未だに事あるごとにいくらを神と呼んでは慕っていた……彼女は多少信仰心が強火なオタクだったためだ。
それゆえ手始めに葉月は全裸の男を上下に分けようと思ったが、流石に猟奇的すぎるなと思って手加減して男の顎を殴った。掠めるような顎への打撃に脳が揺れたのか男が膝をつく。素早く背後に回って裸絞をかけた。
「無駄な抵抗はやめて。少し話をしましょう」
「い、一般女子の動きとセリフじゃねぇ……」
メタルでギアなソリッドで荒事慣れしていた葉月は、腕の中で震え上がった男の体温を鬱陶しく思いながらもホールドを外さないよう意識を強めた。
怪しさ満点の男を瞬殺しなかったのは恩があるという道徳的判断と、今の自分ならこいつを殺せるという余裕、ほんの少し頭の片隅の引っかかり。そうでなくてもいくらさんに何かあったらという不安、あとふりかけ程度の良心の呵責だ。
「我が神絵師いくらさんの名前をどこで知ったんですか」
「ど、どこでっていうか……子供の頃からのあだ名で、その延長でネット上で名乗っていたので知るっていうかなんていうか……」
「……いくらさんの出身は?」
「埼玉生まれ北海道育ち……日々熊としのぎを削る田舎でござんす」
「私は何人住まい?」
「一人暮らし中だって聞いたけど……ちなみにうちは三人暮らし」
「……いくらさんの性癖は?」
「筋肉」
「やだー!! いくらさんだ!! 本物だ!! はじめましてお会いしたかったです〜! 握手して下さい!!」
男の答えが積み重なるにつれ、最後には葉月は感極まって握手を求めていた。気分はオイベント会場。憧れの神を前に差し入れのひとつも持ってない己を呪い、恋する乙女のように髪の乱れを手櫛で直した。
「いくらさん男性だったんですか? いいだけ生まれ変わったらマッチョの男を抱きたいとか言ってたのに! もしかして実行済みでしたか!?」
「いや生まれてこの方女だったんだけど、目が覚めたらこうなってて……まって私どんな生き物だと思われてるの……」
葉月が興奮していくとともにいくらの声はか細くなっていく。暴力は躾によく効く。
「いえもう本当偶然ですね!? まさかこれは私といくらさんでこの世界を蹂躙しなさいっていう天啓では!? うれしい!! この世界をいくらさんの手中に収めるお手伝いができるなんて!! 手始めにこの森でも焼きますか!!」
「とんでもねぇ狂信者と異世界に来てしまったかもしれない……あの、とりあえず、腕……腕を……!」
「ん?」
早口でいかに世界を蹂躙するかを語り始めた葉月の腕をいくらがタップする。裸絞めしたままの腕の中で、いくらが土気色の顔で葉月を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます