異世界転移?~脳筋なオタク(♀)と不遇全裸系絵師(元♀)の物語~

恵三

第一部 異世界に降り立つ二人

二人、始まりと終わりの地に降り立つ

第1話 オタク女子葉月、全裸男と異世界に降り立つ。

「酸素濃度上がってます!!」

「人工呼吸器持ってきて!!」

「人足りねぇぞ!!!」


 ふわふわとした意識で、周囲を飛ぶ怒号を右から左へと受け流している。いやに眩しい場所に、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなったが、ツンとする匂いや辺りを行き交う白衣の人たちの姿に、すぐにここが病院だということに思い当たる。そして、自分が少しばかりまずい状況だということにも。


(なんでこんなことになってるんだっけ…)


 緊迫していく周囲が夢のように感じられる。忙しなく動き回る白衣の人たちに運ばれ、処置されている間にも、頭は危機感というものを捉えられていないようだった。


(あ、そうだ。今日は夜に用事があって、友達と街に行って…)


 楽しみにしていたアニメ映画が劇場で公開されたので、今日という日を楽しみにしていた。友人とレイトショーを見にいく予定のはずが、待ち合わせ場所に着くや否や具合が悪くなってきて、友人が救急車を呼んだのだった。


(大袈裟な、と思ったけど…これは友人の判断が正しかったってことだよね…めちゃくちゃ記憶飛んでるし…救急車が来たとこまでは覚えてるけど…)

「葉月さん、わかりますかー!」

(わかりますけど声が出ません)


 目の前で随分と綺麗な看護士の女性が自分の名前を呼んでいる。喉が張り付いたようにして、声を出すのを拒んでいた。

 前日まで何にもなかったのだ。

 遠方の友人とSNSで趣味を語らい、すこし夜更かしをしたけれど、睡眠だっていつも通りに摂れたし、化粧の調子だって悪くなかった。なのに、こんなに状況とは急に変わるものだろうか。

 ふっと、視界が暗くなった。刺さるような眩しさが無くなって、停電かと思ったが、周囲の喧騒はそのまま続いている。さすがプロだなと感心している自分の耳に、彼らの声が聞こえた。


「意識消失しました!! 脈拍止まってます!!」

「AED使います!!」


 あれ。これマジでやばいのでは。

 背中がゾッと冷えて、頭が真っ白になる。

 そこで、葉月の意識は消失した。





『異世界転生しよ』

 遠方の友人と毎日のようにSNSで交流していた。今回もこんな切り口から話題を選んで無駄と話をすることがある。ノリが良すぎてついていけない時もある友人だったが、ネタを振るとなかなか面白いことを言うので軽い気持ちでそんな話をした。

『おー、じゃあ診断使ってみようか!』

 案の定ノリのいい友人はそのままSNSに拡散されているジョーク診断のURLを踏んだ。名前を入力し、ランダムに出されるその結果を見せ合って、その結果の落差に二人で笑っていた。

 今日はもう遅いからと、その日は切り上げた。明日には映画の感想を送りつける旨を伝えて……。


「……こ、これがフラグ回収……?」

 葉月は困惑していた。目を覚ますといきいきとした木々に囲まれ、土の上に横たわっていた。体を横たえる程度の隙間はあるが、手入れされているとは言い難い木々の隙間には去っていると表現した方がいいかもしれない。背の低い植物がないので、ダイレクトに砂の感触が服越しに感じられる……丁度太陽が真上にあったせいで、瞼は重かったが、目を覚ましてみれば異常としか言えない状況にあり、落ち着きなく周囲を見回した。

「ま、まさか医療ミスで森に投棄された…!? いやいくらクソ田舎でも流石にそんなことしないでしょ……しないよね?」

 東北には蛮習が多いと友人に煽られたばかりで一抹の不安を覚えるが、まさかこんな現代社会でそんなわけもあるまい。そうしてしばらくは可能性を反芻して呆然と土の上に座っていたが、見回すたびに信じたくない光景が広がる事実に思わず頭が痛くなった。持病の偏頭痛かもしれない。

「まってまって。なんでこんな事に……こんなとこに私はいるの? てかなにこれ夢?」

 こめかみを抑えつつ、どう見ても樹齢数百年ですと全体でアピールする木々は地元では滅多にお目にかかれない。

「と、とりあえず落ち着いて……ここがどこだろうと持ち物の確認は大事……スマホ、ない……時計も……財布もハンカチすらも……だと……なにもねえ……!!」

 絶望。圧倒的絶望に打ちひしがれるも、頭上に太陽があるということは昼間であるということは確かだ。時間を無駄にするのはいけない。とにかく緊急事態であるのは確かなのだ。現代日本でも山の奥では熊が出る。北海道民の友人に口を酸っぱく熊を舐めるなと言われていたのを思い出し、とにかく森を出ることを優先することにする。

「どっこいせー!! ていうかこれ、よくある異世界転移ものみたいだなあ……目覚めたら知らない世界、みたいな……ま、そんなわけもないか。えーと、服は、そのまま……なのに荷物がないのは困るなぁ……全裸よりは遥かにマシか……」

 さすがに全裸で移動とか、人と会えても今後どうしようもない。自分で想像して、ちょっと面白かったので明るい気分で歩き出すことができた。


 葉月が生まれ育った土地では、多少の地の差はあれ県内である以上大した環境の差はなかった。今自分が立つ場所も、秋の地元と大した温度の差はないように思う。なので同じ地元に位置しているか、もしくはひどく似た環境の土地なのだろう。これがSNSでやりとりしている友人の住む北海道だったりしたら、今の装備は寒すぎただろう。

(そういやいくらさん、北海道に住んでるんだっけ…もう雪降ってるって聞いたし、北海道に急に捨てられるとかじゃなくて助かったなぁ)

 たまたまハマったジャンルで知り合い、気がつけば連絡を取り合う仲になっていた友人を思い出す。いくらと名乗る友人は秘密主義なのか、ハマっているジャンルやフェチ以外には大した情報を知らないが、荷物のやり取りはするので住所や本名、性別は知っている。逆にいえばそれくらいしか知らないのだ。

(変わった人だよなぁ。発言が頭おかしいし、そういう人じゃないと絵描きってできないのかな)

 ひどい偏見だったが、絵描きではない葉月にそんなことはわからない。ちなみに葉月は字書きと呼ばれるタイプの創作オタクだったが、わりとマイペースにやっている。なのでその界隈でも神と呼ばれる奴等はやばいやつもいるとしか認識していない。

「ん?」

 視界がひらけた。

 永遠に続くような気がしていた木々の並びは一旦止まり、わずかに低い雑草が生えた場所に出た。ざっと見て中型スーパー(田舎の中型スーパーの規模は都会の大型に値する)の駐車場程度の広さがあり、そこより外はまた森が広がっている。

 どうしてここだけ木が生えていないのかと思ったが、大きな岩が幾つも転がり、草すら多くはない状況を考えるに地質が不向きなのかもしれない。

「……ゲームなんかだと障害物がない場所に出るのはフラグ……わざわざ出る必要はないかな……目印にはなりそうだけど」

 腰を落ち着けるには良さそうな場所だが、その程度なら森の中でもできる。方角の目印にするために、手持ちのハンカチを近くの木の枝に結ぶ。アニメで見るような、太陽の位置から時間を測るなんて高度なことはできないが、この目印から夕日が沈む方角を見て、東西南北の予測をつけよう。

 ここまで行動して、大きく息を吐く。

 冗談で考えていたことだが、自分は異世界転移創作物のような状況にいることに……もしかして本当に異世界にいるのかもしれないと、状況から妄想してしまっている。そんなわけもないと思いたいが……視界に入る植物は見たこともない大きさ、種類ばかりで……多少期待もしている。もしかして、ここは本当に異世界なのでは。そう思うと、わずかばかり心が弾んだ。現実味のない状況に、頭のねじが外れてきたのかもしれない。口角が自然と上がる感覚に、思わず頬を両手で抑える。

「さ、とりあえず方角の把握はもう少し待つとして……木があるなら水もどっかにあるはず……」

 近隣に人がいない可能性を考えて水が欲しいと思い、なんとなく湿気を感じる方角へと足を動かした。完全な勘だったので、もちろんなんの収穫もなく戻ることになったが。


「足疲れただけだった…」

 目印もつけたしと、意気揚々と生命線を探しに出たはいいものの、普段車で移動する現代人の足はすぐ悲鳴を上げた。数年前に捨てたはずの学生時代に履いていたものと酷似した運動靴の、その中で痛む足を抜いて様子を見る。若干赤くなっている。靴擦れというほどではないが、ともかくこの部分と足全体の翌日の筋肉痛は免れないだろう。

「……目印の近くからは離れる気なかったけど、水の気配なしってやばくないかな……」

 人間は食事がなくても水があれば三日は生き延びられるという。そりゃ食事があればそれに越したことはないが、雰囲気からサバイバルの気配を感じて備えたかった。それも不可能な状況には、うすうす不安を感じ始めていた。お腹が減り始めたからかもしれない……普段はあまり食べないが、運動後には空腹を覚えてしまうのは人として仕方あるまい。

「……とにかく、目印にまだ戻ってなんか食べれるもの探そう……へびいちごくらいないかな……いや異世界にへびいちごあるのかな……?」

 ちらりと視界の端に映る、見たことのない四角い葉の植物を見て、視線を外す。異世界なら自分の野草の知識が役に立つかがわからない。知識と言っても漫画で見た程度の知識で、よく似たものだったら見極めができない自信があるが。

「いざとなったら口に入れてすぐ吐き出そう……口が痺れたりしたら食べちゃダメなんだよね」

 どこかで聞いたような知識を脳内から引っ張り出したが、そもそもその確認法も間違っている。

「きのこ食べたいな……きのこないかな」

 よりによってより判別が難しいものを脳内に描きながら、時々足元を見ながらひらけた場所へと向かっていた葉月だが、ふと、木々や葉のざわめきばかりだった耳に、違う音が飛び込んでくる。

「……!! ………? ……ぅ! ………!!?」

「……声だ!!」

 耳を澄ませていた葉月の耳が音を捉え、それが声であることに気づくと、足は勝手に駆け出していた。自然の中でシャウトする危険人物の可能性も考えたが、一人でいる不安感が大きかった。どうにかして人がいるのだということを確認したかったので、見るからにヤバそうな人なら遠目から見て、帰る姿の跡をついていって、人がいそうな場所までついていこう。いい人そうなら水くらい分けてもらえると嬉しい。あんまり期待はしていないが、わずかな希望に痛みのあるはずの足は動いた。


 そうしてひらけた場所に戻った葉月が見たものとは。


 葉月には男兄弟がいる。ただし、恋人とかいう存在はいない。異性が苦手なわけではないが、どうにも面倒でそういった話に積極的になれず、ずるずる大人になった。寂しくないのかと言われれば寂しいような気もするが、娯楽に溢れた現代ではいくらでも時間は潰せるのでそういうものをあまり感じずにここまで来た。

 だが男に興味がないわけでも知識がないわけでもない。オタ活をしていれば誰でも通る二次元すけべ知識の洗礼を通ってきているし、そもそも成人から数年経っているのだから、その手の知識がない方がおかしい。だが知っているのと見るのとでは話が違う。

 だから葉月は狼狽えた。

 ひらけた場所には、葉月の予想通りに人がいた。明らかに人を食ってそうなデカイ植物が居て、そいつは歯がついたウツボのようないきものだった。それは口のような箇所を開いて、目的の人物を今すぐ口に入れようとしているところだった。

 だがしかし、葉月が狼狽えたのは自分の倍以上の大きさの食虫植物じみた生き物ではなく、それに持ち上げられた全裸の男の存在だった。

 そう、全裸だ。なんだか光沢のある液体状のものでてらてら濡れているように見える。大事な部分は丸出しだ。

「なんで全裸!?」

 思わず声に出た。その声に男が反応を示す。一応明記するが反応したのは頭の方だ。

「誰だ!?」

 黒い頭が揺れて、葉月を見る。目が合った葉月は両手で目を覆う。

「やだ全裸に認知された!! 何も見てません私帰ります!!」

「待って!! 待ってください!! 私は哀れな迷い子!! あなたの救いの手が一人の命を救うことができます!!」

「街頭募金ですか!? 無一文です!!」

「奇遇ですね私も無一文ですがさらに言うと服すらないです!!」

「そのようですね!!」

 慌てて逃げようとした葉月だが、慌てた様子で背中に必死すぎるせいで訳の分からない静止の声がかかり、その悲痛さに思わず足が止まった。

「プリーズ待って!!」

「補習で高校を卒業した私でもわかる英語の弱さ」

「すみません、日本人なので……」

「やだー!! 異世界で初めて会った同郷の人間が全裸の変態なんていやだー!!!」

「全裸ですけど全裸ではないんですよ、これ、わかります? スライムなんですけど」

「より高度な変態だー!!!」

 乾いていた喉でもシャウトしてしまうのはハジケリスト教育を受けた過去があったからだ。ビュティさんに憧れた以上恥ずかしくないツッコミをしたい。脊髄反射のシャウトだった。そのシャウトにも男はひるむ様子もなく、むしろ笑顔だ。

「素晴らしいツッコミですね!! ところでそろそろ本題に入っても?」

 こいつ全裸なのにワンクッション挟む余裕があるぞ。葉月は意味が分からず一瞬混乱し、一周回って冷静な頭で男に視線を向けた。

「どうぞ」

「助けてください!!」

「ですよね」

 火を見るより明らかな要求に頷く。その間、空気の読める巨大植物が男を持ち上げたままで静止していた。気を遣える謎植物だが、慈悲はなさそうである。会話をやめたらそのままイートインする気なのだろう。男の両腕は自由だが、吊り下げられているためにか両腕は投げ出され下に向かってぶらついている。

「あの……とりあえず差し障りがあるので隠してもらってもいいですかね……なんかこう、いい感じの葉っぱ探してきますから」

 助けるのはやぶさかではないのだが、葉月は一般女性である以上非力であるし、地道な作業にあるだろう。なんならウツボの食事風景を眺めるだけになるかもしれないが、どれにしても葉月には意識しないようにしている視界でぶらつく存在(腕ではない)が気になって仕方ないのでそれを隠してもらおうと踵を返そうとしたのだが、男が引き留めるために葉月の背中に向かって叫ぶ。

「股間のひのきのぼうはこれでなんとかするから!! あなたはどうかこの植物から私を開放してください!!」

 肌に張り付いているぬるてかを腕で塗り広げる様子を見せる男を見て、葉月は地面につばを吐く。なんとかなるわけねぇだろ。せめて両手を使え。

「そもそも私、どうやってそれを倒したらいいかもわからないんですが……」

「大丈夫! 多分あなたにも不思議な力があるはず……!!」

「不思議な力……いやまって、あなたにも、ってことは全裸さんにも変な力が!?」

「はい!」

「無駄に元気な返事!! あの、じゃあその力でなんとか切り抜けられないんですか!!」

「私の力はご覧の通りなんです」

「なにもわからないし、そもそもなにもありませんが!?」

 むしろ何かあって欲しいほど生まれたままの姿なのだが。

 全裸で逆さ吊りになった男が腕を上げる。ぬとぉっと液体が……ゼリー状なので個体だろうか……? それが腕にまとわりついている。

「そ、それは……?」

「スライムです」

「スライム!? じゃ、じゃあそれで戦えば……」

「いえこれはエロゲによくある服だけ溶かすスライムなんです。ご覧の通り私も服を溶かされてしまって……」

「馬鹿なんですか!?」

「かもしれません」

 深刻な顔で頷かれていっそ見捨てたい気持ちになったが、これでも貴重な同郷の人間の様子。先程日本人だと言っていたのを信じれば、だが。

「……しばらくはこいつで異世界転移した寂しさを紛らわせよう。他の日本人と会ったらこんなやつ肉壁にしてくれる」

「驚くほど素直な人だなぁ。心の声が口から出ている」

「それで、私の不思議な力ってなんなんでしょう」

「肉壁になるか餌になるかの二択で複雑な気持ちになりつつお答えしましょう。ずばり、貴方は最近診断メーカーを使用しませんでしたか?」

「診断メーカー……って、あの、SNSでたまに他の人が遊んだりした結果が流れてる……?」

「それです!!」

 喪黒ばりの指差しをされながら、全裸の男の言葉に葉月が考え込む。確かについ先日、友人と診断をした覚えがある。しかもおあつらえ向けに異世界転生ものだった。

「いや私がやった診断は異世界転生ものであって、異世界転移ものではなかったんですけど……」

「私もそうは思うんですけど、判定がガバガバなのかそれが適応されてたので!!」

「……つまり、あの診断で出た結果が、ここで使える……?」

「ソーナンス!!」

 考えている間に静かになったせいか、ウツボに下半身が飲み込まれかけている男が叫んだ。なるほど。

「いや、でも私、その場の勢いでやった診断結果とか覚えてないし…なんか、相手が面白い結果だったのは覚えてるんですけど……」

「頑張って思い出して!! 確かにあの診断、結果はクソみたいなのも多かったけど、戦える結果も多かったから、それを引いていればあるいは……ッ!」

「戦える……は!!」

 全裸の男の言葉で記憶を揺さぶられ、思い出す。

「わ、私の転生特典は……確か……!!」

 もはやポットから首しか出ていない全裸の男のために、葉月は立ち上がった。痛む足で地面を蹴り、一瞬で巨大植物のポットの下に滑り込んだ。戦おうと思うと、疲労が嘘のように体が動く。左足で地面を踏み締め、右足を思い切り繰り出すと、ポットがうめくように震えて液体と共に中の全裸の男を吐き出した。自らにかからないよう、バックステップで範囲から逃れると、怒り狂い雄叫びを上げた巨大植物が蔓を振り上げた。

「あぶない!!」

 全裸の男が地面から状態を起こした状態で叫ぶが、葉月の体は蔓が振り下ろされるより早く宙に飛び、ポットの腹を横薙ぎに蹴り抜く。

 ポットは破れ、悲鳴のような音をあげて、巨大植物は地面に沈んだ。それを見て、知らずに声が興奮で震えた。

「……こ、これが私の転生特典……」

 地面に撒き散らされた消化液を避けながら、動かなくなった巨大植物を見下ろす。

「武道の達人、ってこと……!?」

 息が荒い。

 まるでフィクションの世界。そこに飛び込んだような非日常的な事態に、ほんの少し胸が高鳴った。


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