第3話 砂漠の旅


「へへっ、まいど!」


 翌日。リンの手に二枚目の金貨が乗った。

 オアシスの町に着いたのは昼前だったが、手配書の男はすでに町を出ていた。

 すぐに後を追おうとした剣士だが、町の人に止められた。次の町までは距離がある。今からでは砂漠の中で夜になるから素人には危険だ、と言うのだ。


「しかし、このままでは何時まで経っても差が縮まらない。何としても後を追わないと!」


 焦りを見せる剣士。町の人は、少し遠回りになるが次の町へ行く途中に小さなオアシスがある。そこで夜を明かすと良い、とオアシスの場所を教えてくれた。

 少しでも先に進みたい剣士は、オアシスへ向かうことを即決した。もちろん、リンも三枚目の金貨を賭けて同行した。


「なぁ兄ちゃん。手配書の男は何者なんだい? ここは砂漠のど真ん中だ。誰も聞いちゃいない。ちょっとだけでも教えてくれないか?」


 リンは馬に揺られながら、剣士の背中にそう尋ねた。彼の様子から、国や戦に関わることなのだろうと漠然と感じてはいたが、はっきりしないとどうも心がソワソワしてしまう。

 剣士はしばらく無言でいたが、やがてポツリと呟くように話し出した。


「戦場荒らしのお前なら知っているだろう。わがモラード王国と東のレラン王国は長く戦を続けている。一方的に攻めてくるのはレラン王国だが、一年前に代替わりした新王は、停戦の条件として、王女様との結婚を提案してきたんだ」


「なっ、何だって? なんて卑怯な奴だ。向こうから攻めて来たのに、戦を止めるのにそんな条件つけるなんて!」


「そうだ。彼の約束など信用できない。誰もがそう思った。王女様が結婚を拒むと、レラン王は呪者を雇って王女様に呪いをかけた。俺が追っているのはその呪者だ」


 淡々と喋ってはいるが、剣士の言葉には炎のような怒りが籠っていた。


「お前には感謝している。そう言えば、まだ名前も聞いてなかったな。俺はウィル。お前は?」

「おいらはリン」

「リン? ははっ、女みたいな名前だな。年は幾つだ? 十歳くらいか?」

「十四だっ!」

「えっ? ……ずいぶん小柄だな」

「うるせぇ! 食うや食わずの生活で、背なんか伸びるかよ!」

「いや、すまん」


 素直に謝るウィルの声に笑いが混じっていることに気づくと、リンはすかさず彼の背中を怒突いた。



 日が暮れる頃、小さなオアシスにたどり着いた。

 透き通った湧水の泉には、ナツメヤシが縁どるように生えている。

 夕映えのオアシスは異国情緒にあふれ、戦場で生まれ育ったリンには夢のような景色だった。


 交易路から外れているせいか、他に旅人はいない。

 リンがぼんやりと景色に見とれているうちに、ウィルは野営に良い場所を見つけ、手慣れた様子で火を熾した。小さな鍋に泉の水と干し肉と調味料を入れ、さっきの町で買った平たい丸パンを火で焙る。


「おっ、なーんか良い匂いがする!」


 リンは鼻をクンクンさせて、焚火の向かいにちょこんと座った。


「ベルデ共和国の食べ物は少し癖があるが、マズくはないはずだ」


 ウィルはそう言って木の器に干し肉のシチューと平たいパンを乗せてくれた。リンは器を抱えてガツガツと夕食を平らげた。


「うん。確かにクセはあるけど、美味いよ」


 ニカッと笑うリンの顔は薄汚れている。


「そうだ。お前の着替えも買ったんだ。その薄汚れた服は泉で洗って干しとけ。ついでに体も洗ってこい。臭くてかなわん」


 ウィルは荷物の中からベルデ風の子供服を取り出すと、リンに放り投げた。


「臭くて悪かったな!」


 リンは顔を赤くして怒りながらも、素直に服を抱えて泉へ向かった。


「おい! もう暗いんだ。あまり遠くへ行くな!」

「うっせぇな! おいらの勝手だろ、こっちくんなよ!」

「何だ、恥ずかしいのか?」

「悪いかよ! あっ、痣があんだよ! 絶対に見るなよ!」

「わかったわかった」


 ウィルが揶揄からかうのをやめると、遠くで水音がした。

 半時はゆうに過ぎた頃、リンは焚火の傍に戻ってきた。

 泉で体を洗い、ベルデの遊牧民の服に着替えたリンは、見違えるようにきれいになっていた。膝丈の上着と細身のズボンから出た白い手足とクリーム色の髪、そして青い瞳はモラードの民の特徴だ。


 ウィルは喜んだが、リンは汚れという鎧を取り去ったようで心許なかった。


「きれいにはなったが、その髪は酷いな。俺の前に座れ。揃えてやる」


 ウィルの申し出に、リンは渋々従った。

 焚火の前に座り込んだリンの髪を、ウィルが手櫛で整えてゆく。

 自分で切ったざんばら髪は、長い部分が束になって飛び跳ねている。育ちの良いウィルはそれが気になるのだろう。短剣で丁寧に削いでいる。

 夜のオアシスは静かで、パチパチと火の粉がはぜる音だけが聞こえる。

 何だかソワソワしてきたリンは、躊躇ためらいながらウィルに声をかけた。


「兄ちゃんはさぁ、何で一人で追ってんだ? 王女様に呪いをかけた極悪犯なら、もっとたくさんの兵で追うもんじゃねぇのか?」


 戦場で初めて会った時から、リンはずっと疑問に思っていた。何もかも一人で背負いこんだような、悲しそうなウィルの表情も────。


「……確かにそうだな。だが、本当の敵はレラン王だ。いつどこに攻めて来るかわからないから、兵は出来るだけ東の国境沿いに集めないといけない。呪者を追うのは俺一人で十分だ」


「へぇ。兄ちゃんて、王の信頼が厚い騎士様なのかい? もしかして、王女様の許嫁だったりして?」


「そんなもんじゃないさ。俺ひとりなら……いなくなっても、誰も困らないだけだ」


 せっかく場を盛り上げようとしたのに、返って来たのは自嘲気味なウィルの言葉だけだった。

  

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