8-9
それでも唯一の可能性として、一つしかないだろうと、あたりを付けてみらいは聞く。
「もしかして、その競技には多額の賞金。もしくは高価な賞品があったりしたのではないですか?」
「そんなん、無いよぉ~。素人の大会やったし~」
しかし、物欲にまみれた貧乏人ならざる理由があるみたいだった。
「では、他に何があるというのですか?」
「あんな……」
栞は、顔を真っ赤に染めると、嬉しさか、悲しさか分らない涙を薄っすら浮べて言った。
「みんなから、うちが怪我させたせいで、勝負に敗れたんやって言われんようにしてくれたんよ……」
みらいは、完全に予想外の言葉に意表を突かれ――目を、ぱちくりさせていた。
「ですが、先程優勝を逃したとおっしゃいましたよね?」
「あ、うん。もともとたっくん達には優勝は興味なくて、みんな大物賞狙いだったんよ」
「もしかして、ですが、彼は、その、大物賞とやらを取ったということなのですか?」
「あ、うん。そうなんよ」
「右手を骨折していたのにですか?」
「そか、やっぱ、あんたもうちの監視人の一人やったんか……」
「あ……」
先程までの会話をたどり――栞は一度も彼の利き手が右だと言っていない事に気付く。
失言だった。
時間と共に沈黙は肯定に変わる。
残念そうな顔をする栞に対し、
(ちがいます。今日は、私の意志でここに来たのです!)
思った事をそのまま言う事も出来なければ、『人類の殆どが右利きだからそう思ったのです』という、それらしい言い訳も口から出てはくれない。
「ええよ。そないにつらい顔されるとこっちが悪もんになってまうやん」
みらいは、言葉を濁す事も出来ずに――ただ時が去るのを待つしかなかった。
「ほな、さっきの続きなぁ。さすがにたっくん一人だけじゃ無理やったから特別に許可してもらってなぁ。アミ役は、うちがやっとったんやけんどぉ。きちんと、あの日一番の大物釣ったんよ。そんでな、みんなにこう言ったん。『だから言ったじゃねーか! こんくれーちょうどいいハンデだって!』って」
「えと、つまり。彼は……」
みらいは、不気味な者を見据える様に龍好に視線を送った。
栞もそれに習って感謝の意を込めて見つめていた。
「うちのために勝利をプレゼントしてくれたんよ……」
隣で、彼に熱い視線を送る人のために……
龍好は、そこまでしたと?
自分の利き手を潰されているのに。
栞の危険性を、その身で受けているのに。
それでも、自宅へ受け入れ。
あまつさえ栞のために痛みで気を失うまで尽力する。
どこまでも、泥臭い阿呆者でお人好し。
「私は、大馬鹿者と格好良い人という言葉が同列に並ぶ可能性があるということを改めて思い知らされました」
「せやなぁ。うちも、そー思う」
龍好を見つめ。
しみじみと言う栞の言葉の重さはきっとそれだけではないのだとつぶさに伝わってきた。
「あんたも知っての通り、うち、制御装置無いと普通の生活送れん化けもんやから」
栞は、首から下げた紐を引っ張り。
制御装置代わりのエッグを見せて思いの丈を打ち明ける。
「きっと、うちを受け入れてくれた、たっくん以外におよめさんにしてくれる人おらんと思うんよ~。せやけんどなぁ、うち。ほんまにたっくんのこと好きになってまって。やから、そうなれたらほんまにうれしいなぁ」
ここには、純然たる無垢な想いがあった。
みらい自身そう思える相手に出逢える事をずっと夢見てきた。
その一つの形が、ココには感じられる。
だから言った。
その時思った本心そのままで。
「それは、とても素敵な事だと思いますわ。私も出来る限り応援させて頂きたいと思います」
「ほえぇ!? なんやそう言われると、てれてまうなぁ」
「ええ、そう思って頂けたのでしたら幸いです」
二人の会話を断ち切るように、
「よっしゃー! 最後の一匹いくぜ!」
龍好が、本気で気合を入れて叫んだ!
「お~!」
栞が手を上げて叫ぶと!
「はいはい。早くしないと暗くなっちゃうから、ちゃっちゃと釣っちゃいなさいよね!」
刹風は、全く魚釣りが出来なかった不満をおりまぜながら言う。
そして――
空気が変わった。
先程の龍好の声が大きかったせいだけではないと思った。
一時的な感覚が麻痺しているかのように、遠くで聞こえる車のエンジン音も、川のせせらぎも、時折強く吹いては葦を揺らす風音も鮮明に聞こえる。
それでいて、その音がうるさいわけではない。
時として、異常な集中力を発揮する者は周りをもその感覚に引きずり込む。
「ごくん……」
と、みらいは、かたずを飲んだ。
手が震え、体の心から――自分が緊張している事が伝わってくる。
「なるほどなぁ。たっくん、あんたにいいとこ見せよう思って気合入れとるんよ~」
「わたしに?」
「せや、よーく。見ときや~。これがたっくんの本気の本気やぁ~」
今でこそ、栞もこの感覚に慣れたが、始めて龍好のパートナー役に抜擢された時は、別の意味で泣き出したくなるくらいのプレッシャーを痛感させられたものだった。
龍好は、一投毎に得た情報から水面下の状況を体に染込ませていた。
ここ数日の中では昼間の暑さが残っている方。
それでも昨日降った雨の影響で水温の上昇はそれほど感じられない。
日がかげりはじめ涼やかになり、時折強く吹く風が表層を冷やしている。
わずかな水温の低下が狙った獲物の活動範囲を川面近くまで押し上げていることを感じ取っていた。
問題は、獲物が居るであろうポイントまでの距離――
ゆっくりと、右に10メートル程移動し。
距離を稼ぐための恩恵を最も強く得られる場所に立ち位置を替えて、ルアーを黄色と黒の混ざった昆虫に模した物に変更する。
ヒュン――
と、竿が風を切る音と――時折強く吹く風が重なる。
風に乗ったルアーは、距離を伸ばして飛んで行く。
それは、波風立てる川面に溶け込むように吸い込まれていき……
竿で軽くアクションを起し、風に打ち落とされて溺れる昆虫を演じる。
バシャンと川に大きな飛沫が飛び散り!
同時に竿が急激に強くしなる!
「きた―! きたきたきたきた――!」
「おお~! さすがたっくんや~!」
栞が早く釣った魚が見たいと駆け寄って行く。
それに吊られてみらいも走り寄る。
すごくどきどきしていた、わくわくしていた。
こんなにも気分が高揚したのは生まれて始めてだった。
龍好は、釣った魚を逃すまいと慎重に事を進め。
見事それを刹風がすくい上げる。
それは、やや黒みがかったお腹の大きい40センチほどのブラックバスだった。
「うん! 最近の中じゃ一番大きいんじゃない!」
「ああ、多分、今月の新記録達成だ!」
「せやなぁ。たっくんおめでとう~。ちゅっ」
全く恥じらいも照れもなしに栞は龍好の頬にキスを添え。
それを、龍好は当たり前の様に受け取って微笑む。
どきりとした。
それは、今日見た一番大きな魚よりも、みらいにとって衝撃的な光景だった。
刹風は、それをすっごく面白くない顔で見つめた後。
魚をクーラーボックスに入れ、魚臭さを少しでも落とそうと川で手とアミを洗っていた。
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