8-7

 河原にて――


 龍好が、気合の入った声を上げる。


「刹風、栞。わりい、今日は時間がねーから本気でいく!」

「はいはい。今日は、アミ役やってればいいのね」


 刹風は、ちょっぴりがっかりした顔で軍手をはめて、アミを手にしている。


「こっちは準備OKやよぉ~」


 栞は、脇に置いたクーラーボックスを、ぱんぱん叩いて魚が入るのを待っている。

 龍好が竿を振り。

 

 ヒュン――


 と風切り音がすれば、赤とオレンジの混ざった小魚に模したルアーが飛んで行き。

 川音に消え入ってしまうほどの、小さな、ぽちゃんという音とわずかな飛沫を立ててルアーは水中に沈んでいく。

 そして、魚が居そうな深さまで沈むのを待ってから。

 竿を動かしたり緩急を付けてリールを回し糸を手繰り寄せていく。

 龍好のキャスティング技術は一流とは言わないまでも大人顔負けの卓越さを見せていた。

 一定の所まで糸を巻き取ると――これ以上は無駄と判断し一気に巻き取り。

 

 ヒュン――


 再びルアーは水面に消えていく。

 それから、似たような動作を三回繰り返した時!


「おっしゃ! 一匹目!」


 竿が急激にしなり龍好が体をやや後ろに倒しながら声を張り上げると、刹風の顔も変わる。

 龍好と同じく真剣な眼差しで川面を見据えアミを構えていた。


 何が起こったのだろうか?


 川に生物が生息していることは知っている。

 龍好が何をやっているのか、刹風と呼ばれている少女が何を思ってアミを水中に差し込んでいるのか、みらいには、さっぱり理解できなかった。

 現状から推測出来る答えは。


 この川に住む水生生物を捕獲しているということになるのだろうか?


 知識としてなら海で漁をしている者がいて、獲った魚が調理され食卓に並ぶ事は理解している。

 しかし、あれは船でもっと大きな網を使ってやっていたはず。

 この様な川でこんなやりかたで魚が獲れるのだろうか?

 あるいは魚類ではない未知なる水生生物でも取っているのだろうか?

 そんな、みらいの疑念は――

 刹風が持って来た生臭い網の中でうごめいていた。 

 大きな口をぱくぱくさせていて、黒く大きな目がぎょろりと睨んでいるみたいで不気味。

 真ん中から背中側にかけて所々に暗班があり全体的に黄緑色っぽい色をしていた。

 栞がクーラーボックスを開けると、刹風が網の底っこを持ってひっくり返し――極寒地獄へ魚をイン。

 釣られた魚にとっては適温が理想であり、氷温は死へ向かう特急券。

 時と共に動きを鈍らせ死に至る。

 氷水で冷やされた箱は、この魚にとって棺桶だった。

 栞が、ぱたりと蓋をする。

 なぜこの箱が生臭いのか分った気がした。


 それにしても、一連の動作が実に手馴れていると感じた。


 龍好が糸を巻き取るのを止め。

 右に手繰り寄せるように竿を持ち上げると――待ってましたと刹風が水中に入れた網で魚をすくい上げる。

 一旦地面に置いて魚の下あごをつかんで固定する。

 そして体長20センチほどの魚の口から疑似餌を外して地面に置いて行く。

 

『はい。いいよ~』


 龍好は、針が刹風に引っ掛からない事を確認すると、リールを巻いてルアーを所定の位置で止める。


 ヒュン――


 と、風切り音がして小魚モドキは、次の獲物を得るために水面に吸い込まれていった。

 刹風が、ぱたぱたとクーラーボックスを開けて待つ栞の元に来て網の中身をドサッと移し、


『えへへ~。ちょっと小さめだけど、まっ、始めのうちは、こんなもんかな』


 満面の笑みで、龍好の近くへ戻って行ったのだった。


 みらいは、魚の入ったクーラーボックスを見つめて頭をひねっている。

 彼らが魚を獲っている事は理解できた。

 しかしながら、それが何を意図しているものなのかさっぱり分らなかったからだ。

 そもそも、魚の種類も価値も詳しくない。

 さすがに切り身が泳いでいるとは思わないが、調理された魚しか食べた事がない。

 生で動いている魚を見たのは始めてだった。


 もしかしたら、これは一匹数百万円で取引される価値の高いモノなのだろうか?


 新たな疑問を解決するために手近な少女に問い掛ける。


「お聞きしますが。それは、なんと言う魚なのでしょう?」

「んとなぁ。これは、ブラックバスっていうんよ~」


 ブッラクバス?


 聞いた事のない魚の名前だった。

 しかもカタカナ。

 この国の魚は基本的に漢字で表される。

 このての知識に乏しいみらいは、脳内ファイルに片っ端からアクセスし検索するも、外来魚という辞書に書いてあるような知識だけだった。 

 不可思議な顔をしている、みらいに栞はこの川の現状を語る。


「ん~。じつはなぁ。この川。昔は、フナとか川エビなんかもよくとれたらしいんよぉ~」

(らしい)


 それは過去形。

 つまり現状は違う事を意味する。 


「でもなぁ。今は、この川もブラックバスってゆーお魚さんがはばをきかせておっててなぁ」

(幅を利かせている?)


 みらいは眉間に皺を寄せる。

 幅を利かせるとは、この場合勢力争いに長けた種という事になるのだろう。

 つまりこの川において食物連鎖の頂点に立っている事を意味する。


「なんでもなぁ、そのブラックバスが、皆食べてまうらしいんよ~。せやから、漁業組合のおっちゃん達は目の敵にしとってなぁ。中には壊滅的な危機だって言ってる人もおるんよぉ……」


 みらいは、その言葉に目を見開いた。


「壊滅ですか……」


 規模は分らないが、たかが魚で組合と呼ばれる単位の団体が壊滅してしまうというのは、本当に起こりうる事なのだろうか?

 外国では麦を食い荒らすバッタが大量発生し取引に影響を及ぼす事がある。 

 それと、同じ事がこの川でも起こり……事業主を廃業に追い込んでいると……

 にわかには、信じがたいが……

 栞が嘘を言っているようには見えなかった。


「ん、でもなぁ。青柳あおやぎのおっちゃんなんかは、ご先祖様の代から続いとる仕事やからって、外来魚の駆除がんばっとるんよ。そんでうちらも、そのお手伝い。って言っても、一キロ辺り100円のほうしゅうもらっとるから、こづかいかせぎみたいなもんなんやけどなぁ。こうしてブラックバスとってるんよぉ」


 栞は、小遣いが稼げる嬉しさと、職を失った者の悲しみを知る一人として複雑な表情を浮かべていた。


「小遣い稼ぎですか?」


 みらいは、目をはちぱちさせながら黒髪の少女に聞く。


「せや、うちらはこうしておこづかいかせいで、駄菓子屋さんでお菓子とか買ってるんよぉ~」


 みらいは、栞の言った事に相槌を打っていいのか否定するべきなのか分らなかった。

 はっきりいって非効率的過ぎる。

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