8-3
どこからともなく漂ってくる異様な生臭さに、みらいは顔をしかめる。
癇に障る鼻に付く匂いの元は分らないが、彼らから漂ってくるのは間違いなかった。
それほど、強烈な匂いではないが、好奇心は消えうせ。
イラつきだけが残っていた。
だから、もう終わりにしようと思った。
西守の名を出すだけで大抵は、怯むか
後は小金をちらつかせるだけで言いなりになると聞かされた。
場合によっては挨拶しただけで全てが終わる可能性すらある。
自分を見つめる可愛らしい丸顔が歪がんでいく様を最後に拝むのも一興であろうと――
「始めまして。私は、
一応、対人用として躾けられた通過儀礼としてのお辞儀と挨拶をした。
一見、きちんとした挨拶をしている様で――実のところ。
その言葉は高圧的で、相手を見下し。
再び合わせた視線は、卑下した目で見据えている。
調査対象を怯ませようとしているのだ。
ここで、相手が逃げれば、それで終わり。
後は、貴方の指示に従いましたが調査対象者に逃げられ失敗に終わりましたと言えばいいだけ。
それで、この茶番は終わりだった。
「うちっ――!?」
みらいより少し背の高い黒髪の少女は丸い目を大きく見開き!
隣に居る茶褐色の短髪男子を見上げる。
「たっくんっ! どないしよっ!? うち、赤の他人に話しかけられとるよ!」
☆バシン☆
「だれが上手いこと言えっていったのよ! 相手が自己紹介してんだからあんたもさっさと自己紹介しなさいっ!」
日焼けした少年を見上げる調査対象者の後頭部に、一番背の高い少女が緑色のスリッパで真上から叩き下ろしていた。
小麦色の長い髪を後ろで一つに纏めたポニーテールが大きく揺れている。
何か言おうと口を開く前に、そのセリフごと出番を取られた少年は、やれやれといった顔をしていた。
「なに言っとるんっ! ネタと魚は鮮度が命なんよ! 今ココで使わなかったら腐ってまう!」
調査対象者が背の高い少女に向き直り栗色の吊り目を見据えて抗議するも。
☆バシン☆
今度は、正面から叩き下ろす。
「もう、あんたの脳ミソじゅうぶん痛んでるわよ!」
みらいは、あまりの現実離れした出来事に目を見開き硬直していた。
怯まされたと言ってもいい。
背の高い少女が右手を後ろに回したと思ったらそこにはスリッパが握られていて歩く兵器を恐れることなく叩いていたのだ。
確かに物で破壊神を叩くという行為は間違っていない。
うっかり、素手で殴ろうものなら、殴った者の拳が痛むだけ。
岩石を素手で殴る様なものである。
しかしながら、ちゅうちょというものが全く感じられない切れの良さはある意味圧巻だった。
背の高い少女がスリッパをズボンの後ろポケットに差し込むと。
赤いタンクトップの胸元で両手を合わせて詫びを述べる。
「ご、ごめんなさいね。そ、その、西守、みらい、さん。この子、初対面の人相手でも普通に、その、ネタから入るから……」
申し訳そうな顔、と言うよりは、怯えを含んだ引きつった顔。
所々歯切れが悪いのは西守という存在を恐怖の対象ととらえているから。
まるまる頭一つ分上から見おろされるのは勘に触るが。
先程の行為も西守に媚を売るためと思えば悪くない。
「あ、いえ……」
みらいは『貴女の行動の方がよっぽど理解不能でしたから』という言葉を飲み込むと。
引きつった顔のまま、自分を見おろす栗色の吊り目を無言で見つめ返していた。
長いまつげと、シャープな顔立ちが将来、男好みの顔立ちになるのであろう事を思わせる。
その瞳には、次第に力がなくなり……目を逸らす。
それは、先程驚かされた仕返しでもあり。
自尊心の保守でもあった。
気まずさと怯えを含んだ可愛らしい顔は、より可愛らしく見えた。
これで、一人は従えたも同然。
みらいは、満足げな笑みを浮かべていた。
それを見た少年が、「は~」と溜め息を吐き。
嬉しいような、諦めたような、それでいてどこか覚悟を決めたような笑みを浮かべる。
「俺は、
過去のトラウマから無意識で左手が出そうになるのを止め。
竿を左手に持ち替えてから握手を求める。
みらいは、その声に反応し今度は黒い瞳の少年と目を合わせる。
どうせこの優しそうな顔した少年も、目をそらすに決まってると思い睨み上げる。
「たっくん、残念やったなぁ。みらいちゃん。握手しとうないって」
(みらいちゃん!?)
過去誰一人として、自分をちゃん付けで呼んだ者は居ない。
その言葉に、びっくりして調査対象者を見つめるみらい。
そこには何も知らない無垢な笑みがあるだけだった。
少なくとも彼女は、西守に飼われている様な状態なのだから、もう少しそれなりの動揺があってしかるべきはずなのに……
なぜ、こんなにも無邪気に笑って居られるのだろうか?
そんな疑念に、誰も答えを教えてくれない。
「残念なのは、お前の思考回路だけで充分だ。それに俺のかっこよさに照れてるだけなんだって、なっ?」
似合わないウィンクが自分を見下ろしていた。
差し出された右手は、まだ握手を諦めていないようだ。
ある意味、この差し出された右手は都合がいい。
この女の子みたいに可愛らしい笑みが歪むのを見るのも一興だと思った。
だから、含み笑いを添えて言葉を紡ぎ出す。
「うふふ。では、これでお付き合いして下さるかしら?」
みらいがぶらりと下げていた右手を握手する様にゆっくり伸ばすと……
長めの裾とフリルに隠れていた紙幣と真っ赤に染まった爪。
小さな白い手が顔を覗かせて――少年の差し出された手に紙幣を突き付ける。
「了解っ! んじゃ行こうぜ!」
「ちょっとっ! お待ちになってください!」
「んあ~! いま付き合ってくれって言ったのそっちじゃんか!」
「で、ですがっ!」
「安心しろ、とって食ったりしねーから!」
みらいは、少年のなすがまま引きずられるように歩き始めた。
まさか、差し出した紙幣を当たり前の様に受け取ってズボンのポケットに突っ込むとは思わなかった。
そのまま竿を右手に持ち替えて空いた左手が自分を引っ張っるとは思わなかった。
ティーシャツの背中には、黒い字が斜めに走り、一本釣りと書かれている。
意味は分らないが、なんとなく今の自分を表している感がして気に入らない。
ジーンズの後ろポケットには先程の紙幣がわずかに顔を覗かせていた。
腰に巻いた迷彩柄のウエストポーチからは、わずかに生臭さが漂ってくるが、顔をしかめて耐えるしかなかった。
そのまま、引きずられていく先には、小春がにやにやしている。
焦らずとも、きっと助けてもらえると信じて少年に歩調を合わせて歩き出すと――少年は、みらいの歩幅に合わせるべくペースを落とす。
歳のわりに何故か良く似合うシンプルながら可愛いメイド服を着た小春に、
「んじゃ、おばさん。わりーけど。みらい借りてくなっ!」
少年が歩きながら声をかけると、
「はい。それでは、お嬢様をよろしくおねがいします」
小春は、当たり前の様に、うやうやしく頭をさげ、
「お嬢様も、ごゆっくりお楽しみ下さいませ」
そのまま、みらいも送り出していた。
「ちょっ! 小春! 何を言っているのですかっ!? 私は、拉致されているのですよっ!」
「つまり、手に手を取り合って殿方とデートしてくるということですよね♪」
可愛らしい顔を歪めさせられたのは、みらいの方だった。
「小春! いい加減にしなさい! これは、現当主としての命令です! この不届き者を成敗しなさい!」
声を荒げれば救ってもらえると差し出した手は空を切るばかりで……
ずるずると引き摺られるように歩かされていく。
みらいは、己の非力さと軽さを心底呪っていた。
「小春! 何をしているのですか! 助けなさい! 私の命令が聞けないのですか!?」
小春は、にやにやしながら、みらいに手を振り。
空いた方の手でポケットからハンカチを取り出し、滲む涙を拭っていた。
見ようによっては今生の別れを惜しんでいるみたいでもある。
「小春――!!」
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