4-7

 だから、


「おはよぅ~、みらいちゃん……ちゅっ」


 頬に感じる少女の挨拶を感じるまで眠りこけていても仕方なかったのだ。


「ん~…………」


 ゆっくりと目を覚ますみらい。

 目に映るのは、整理整頓された友人の部屋。

 レースのカーテン越しに差し込む朝日。

 今日は、きっと晴天なのだろう。

 天気予報でも、『今日は穏やかで過ごし易い一日になるでしょう』なんて言ってそうな朝。

 独眼で始めて見る朝の風景には、少女の笑みが添えられていた……


「よ~、寝てはったなぁ」

(やっちゃった~~~~~~! 私のバカ~~~~~~~!)


 みらいは心の中で絶叫した。

 むしろその見慣れた笑みが怖いとすら感じた。

 何かよりどころが欲しくてつかんでいる物をより強く握りこむ。


「なっ! なっ! なっ! なっ! なっ!」

「なつみかん? みらいちゃん夏みかん食べたいん?」


 栞は、可愛らしく小首を傾げる。

 手入れの行き届いた黒髪が甘い香り漂わせながらさらさらと流れる。 

 完全に失策だった。

 昨晩立てたプランは根底から崩れ落ちた。

 既に現状で打てる手は、無いに等しい。

 西守ならともかく一般家庭に当てはめれば……


 昨晩は奥さんが寝ている隣で旦那さんとお楽しみさせて頂きました……てへっ♪


 ってな感じである。

 黒い……明らかに黒い。

 どう見てもこの状況はどす黒い。

 言い逃れ出来るとは、到底思えなかった。


「ん~、かんにんなぁ。うち、夏みかん置いてないんよ~」


 本来なら同居人でしかない栞にとってココは、間借りしているに過ぎない。

 しかし、当たり前にうちと言えるだけの事を彼女はしているし、その権利もじゅうぶんにあるといえた。

 まだ仮契約とはいえ――つまり栞と龍好は婚約しているのだ。

 これも一般的に見たら子供の頃の約束であり。

 その価値感は、乏しいかもしれないが。

 みらい達、西守側からしたら別。

 その重さは、成人した者が正式に行った婚約と同等に扱われている。

 その相手に対してこの現状。

 みらいが生まれて始めて体験する修羅場であった。


 一方で――栞は、この状況を心底楽しんでいた。


 なぜなら、彼女にとってこの上ない好奇到来であったからである。

 嬉しさの余り、勢いあまって勘違いしそうなセリフを絡めたネタばかりが思い浮かんでは止まらない。


「にしてもぉ……なぁたっくん。いつのまに、みらいちゃんとこんなに仲よぉなったん?」

「ああ、……昨日の? 夜? かなぁ」

「ほえ~。昨日の夜、仲ようなって、もう一緒にねんねしとったんか~」


 龍好に投げ掛けていた視線が再び、みらいに向けられ何か言おうとするも、


「う……うん、そうだったと思う」


 取り合えず、話をあわせるのが精一杯なみらいだった。


「そかぁ。なぁみらいちゃん、たっくんに抱かれて気持ちよかったやろ~」

(いや~~~~~~!)


 お願いだからその笑顔は止めてと叫びたい。

 栞が抱っこ的な意味で言っているのに対し、みらいは完全にヒワイナ考えに染まってしまっていた。

 何か言おうにも上手い言葉が浮かばない。

 そんな乙女心を無視して龍好の顔がみらいに近付いてくる。


「ん~、もう寒くないか?」

「なっ……なにが?」


 龍好の手が頬に触れ――首筋に触れ――体温を確かめる。


「うん。もう大丈夫そうだな」

「へっ……なんで?」

「何がも、何も、お前低体温症状態だったじゃねーか!?」

「そやよ~。凍えてる人がおったら人肌で温めるんが一番って昔っから言うやろ~」

「え…………?」


 白かった……この真っ黒な現状にあっても、まだ……真っ白な空気しか感じられなかった。

 この惨状でありながら微塵も疑われないなんて……みらいは別の意味で泣きたくなってきた。


「それとな~、たっくん!」

「ん~、なんだ?」

「せっかく、みらいちゃんが全力でツッコミ待ちしとんのに、なにもせーへんってのはあかんよ!」


 ぶしゅ~、と水蒸気を吐き出すほどにみらいの体温は更なる急上昇をしていく。

 完全に違う意味での突っ込みを妄想してしまっていた。


「ん? そうだったのか?」


 確認してくる龍好を直視してしまい言葉が出てこないみらい。

 完全に、先程想い描いた情事が克明に脳内再生されてしまったからだ。


「あ、あ、あ、あ、あ、あ」


 あうあうあうと口をもごもごさせるみらいの右目は、栞と龍好を行ったり来たり。


「う~。かんにんなぁ。家、あんぱんもないんよ~」

『その、ネタはもういい!』


 と、刹風ならきっと綺麗に突っ込めるんだろうが今のみらいには、自分自身もう何がなんだか分らない。


「ええかぁ、たっくん!」

「んぁ?」

「さっきから、みらいちゃんず~~~~~っとたっくんの服しっかりにぎっとるんよ!」

「そういえば……そうだな……わりい、みらい離してくれるか?」

「この、どあほ~!」


 栞は、後ろ手に隠していたハリセンで龍好を叩く!


「ぐはぁっ」

「なに、当たり前な事いっとるん! せっかくみらいちゃんが全力で美味しい状況つくっとるんよ! これにつっこまんでどないするん!?」


 相変わらす無意味にハードルを上げたがる栞に龍好は、全力で彼女が喜びそうなネタを捻ってみるも……

 ろくなモノは出てこなかった。

 ならば、答えは簡単。

 ダメなネタを披露して正解を教えてもらって一件落着。

 安易な考えではあるが、ハッキリ言って、早く飯が食いたいだけだった。

 龍好の瞳が再びみらいを見据える。

 それだけでみらいは、自分の芯に火が点るのを強く感じだ。

 自分は、女なのだど心底理解させられた。


「なぁ、みらい。もう寒くないか?」


 龍好の手がみらいの頭を撫でる。


「うん……」


 普段なら反射で叩き落とすというのに……今は、なんだかお父さんに撫でられているみたいで嬉しかった。

 たった、それだけだというのに心音が高鳴る、もっとして欲しいと願ってしまう。

 表情は溶け、ぽわーっと幸せな気分になる。


「でも、まだ足りなかったんだな」


 頭を撫でていた手が、滑り落ち今度は両手で抱きしめられる。

 昨晩と同じく必要以上に龍好を……龍好の温もりを感じた。


「うん……もっと温めて欲しいの――って! やりすぎじゃボケー!」


 ノリ突っ込みで龍好を押し払う!


「はー、はー」


 と息を荒げるみらい。


「おお~! さすが仲良しコンビ! いいもんもっとるやん!」

「まぁ、それだけ元気だったら問題ないな」

「せやな~、ほな、朝ごはん用意出来とるから、はよ着替えて降りてきてなぁ」


 どうやら栞の許容範囲だったらしく龍好は、『これでメシにありつける』と満足して着替え始める。

 一方みらいのむかつきは急加速していく。

 平然と顔色一つ変えずに一晩中女を抱き……もとい、暖め続け。

 今も、自分の存在などココに無いかの様に着替えていく。

 それは長年連れ添った妻が用意した服に袖を通していくサラリーマンみたいだった。

 きちんとアイロンかけされたワイシャツとズボン。

 栞は、ほんとに良くできた女の子だと思った。

 日々夫のために何かすること、それを重荷に感じ生活を破綻させていく者が増え続ける昨今において。

 彼女の様な古き良き妻としての虚像は絶滅危惧種並みだと聞いている。

 きっと栞は、将来誰もが羨む理想的なお母さんになるのだろう。

 そして龍好がお父さん。


 だったら自分は……?

 二人の子供?


 そう考えると、実に馴染んだ。

 二人の対応がしっくりきた。

 つまり……


(もしかして……私って女の子じゃなくて子供扱いされてるだけ……とか!)


 みらいの心は、なげいていた。


「おいおい、お前も早く着替えろよ~。先行ってからなぁ」


 龍好は、色気より食い気とばかりに行ってしまった。

 取り残されたみらいは、半ば手探り状態。

 遠近感に乏しい目で、しぶしぶと鞄を開けて着替えようとしたが……

 心の準備を全しなかった事に……激しく後悔していた。



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