夢とゲームと

4-1

 天蓋付きのキングベッドが置かれた無駄に広い部屋。

 特に趣味といったものを持たないみらいらしく、その空間は閑散としていた。

 枕元に置かれた卵型の携帯端末は、アラーム音を響かせ主を起こそうと奮闘している。

 みらいは、こうしてリトライから帰還するであろう予想時間にアラームをセットしていた。

 アラーム音に反応出来ればいいが……出来なかった場合は、何らかの問題を引き連れて帰還している可能性が高いからだった。

 幸いにも、その音に自分が反応し……ゆっくりと覚醒していく感覚を、みらいは感じていた。


(ああ……帰ってこれたのね……)


 目を開ければ見慣れた闇。

 普段から明かりを落として寝るのがみらいの習慣だった。

 周りを見る度にうんざりして寝付きが悪くなるからである。 

 明かりを求めて枕もとにあるコンソールに触れようとするが……


「ん~~~!?」


 異常なまでに身体は気だるく――全身が痺れていて上手く動かない。


「んんんっ~~~~~!」


 それでも……なんとか歯を食いしばって無理やり身体を捻って手を伸ばすと、ボワーっと淡いオレンジが広がり。

 薄っすらと周りを照らす。


 西守らしく――


 その意から全く興味もない夕焼けを描いた絵画が壁に掛けられ、ろくに使いもしないテーブルですら一流の職人が丹精込めて刻み込んだ鳳凰が羽を広げている。

 花を生けるだけの花瓶なんてペットボトルでも充分にその役割を果たすというのに無駄に高い骨董品。

 例え、それらにどんな価値があったとしても、この部屋の主にとってはゴミ同然だった。

 唯一価値のある物を挙げるとしたら給仕用の台車の上に置かれたクリスタルのポットと対で置かれた赤と白で彩られたプラスチック製のコップだけだろう。

 そこには友人の好きな猫が描かれている。


 単価にして100円。


 でも、みらいにとってこれは、それらガラクタ以上に価値のある物だった。

 ゆっくりと身体を起こして水を飲もうとするも―――やはり、全身は痺れていて上手く動かない。

 室温を適度に維持している空調が壊れたのなら問題ないが……まるで自分にだけ季節外れの雪が降り積っている感覚。

 異常なまでに肌寒い。

 まるでこの体には血液が通っていないみたいだった。

 仕方なく、はいずりながらベッドの端まで移動してクリスタルのポットに手を伸ばすも触れられない。

 遠近感がくるってしまっているのだ。


「ふぅ~」


 溜め息を一つこぼして現実を見すえるために左右の目を交互に閉じて見る。

 視覚情報を得られるのは、右目だけだった。

 

(……やっぱり…………そうなんだ……)


 予想通りと言えばソレまでなのだが……みらいの左目は視力を失っていた。

 リトライにおいてシステムの許容範囲を逸脱した力を行使した場合、リアルにおいても何らかの不具合を引き起こす場合がある。

 ネットで得た情報も西守限定でアクセス出来る機関から得た情報でも大差なく。

 こうなるであろう事は覚悟していた。

 むしろあれだけの無茶をしたというのに昏睡状態にならなかった事の方が不思議なぐらいだった。

 一応バックアップのためゲームから帰還するであろう時間には使用人が交代で見に来るように頼んである。

 だからこうして適度に冷やされた水が置かれているのだ。

 上手く力も入らない痺れた身体でなんとかポットに触れるも。

 その冷たさに幻滅する。

 正直、温かいものが飲みたかった。

 ダブルBの特殊能力をゆうするも、その力はマイナスにしか働かない……

 コイン数枚で手に入る自動販売機の缶コーヒーの方が遥かに価値があるし。

 そもそも暗殺向きの能力なんて役立つ事が無い方が良いに決まっている。

 使用人を呼べば直ぐに来てくれるだろうし、大抵の事は叶う権力と金。

 でも、なんとなくそれらに頼るのが……今は、嫌だった。


 粗悪でもいいからホットミルクが飲みたかった。


 使用人たちの休憩所に行けば無料化された自動販売機がある。

 ホットミルクは無いだろうが、何かしら温かい物はあるはずだ。

 想定の範囲で用意しただけの電動式車椅子がこんなにも早く役立つとは思わなかった。

 ベットからずり落ちる様にして車椅子に乗ると、ゆっくり部屋の外に向けて進めて行く。

 静まりきったこの部屋ですら、ほとんどモーター音は気にならない。

 静寂性を追求した新商品という、うたい文句は、だてではなかったらしい。

 低い位置に新たに設けたタッチパネルに触れれば部屋のドアは自動的に開いていく。

 うんざりするほどの……お金の無駄使い。

 でも、だからこそ出来る無茶もある。

 そう自分に言い聞かせてリトライにおもむく際にこれらを用意したのだ。


「おはようございます。お嬢様」


 うやうやしくお辞儀をし、向かえてくれたのは使用人の一人。

 執事長の妻。

 小春だった。


「今、何時だと思っているの?」

「はい、2時でございます」


 にっこり笑顔で即答するメイドたちの長。

 先ほどのクリスタルのポットに入った水もそうだが、みらいはこの察しが良すぎる使用人というのに呆れ果てていた。


「で、なんのつもり?」


 ややむくれて分かっている事を聞くと、


「お車の準備が整っております」


 予想通りのセリフが帰ってきた。


「は~……」


 ほんとに察しが良すぎる使用人というのは別の意味で精神的に疲れる。

 確かに出来うる限りの理想で言えば、龍好の家でホットミルクが飲みたい、だったからである。

 実は『私達、人の心が読めるんです』そう言われても全く驚かないだろう。


「ですがお嬢様……」


 珍しく不可解な者を見る様な視線を上から投げかけられ、つい言葉が強く出る。


「なに!?」

「深夜に殿方の家に行かれるのですから……、なんと言いますか……もう少し相手が喜びそうな御召物になさってはいかがかと……」

「んっ、なっ!」


 先程まで凍死しそうなほどに冷えていた体の芯に火が点り。

 蒼白だった顔色に朱がともる。

 毛布を用意する代わりに言葉で暖めるというのは、やはり腑に落ちない。

 動揺するみらいが面白くて――さらに、メイド長は追い討ちを掛ける。


「ただでさえお嬢様には……その、女性らしさが乏しいですし」

『バカにしないで!』


 そう、思いっきり言えたならどんなに幸せだろう。

「くすくす」と笑う、このおばはんに口で勝った試しはない。


 その気になればいつでも解雇できる立場の者に対してこの言いよう。

 本来なら許されない立場の者に対しての暴言。

 しかし、両親が不在で実質親代わりであった上城かみしろ夫妻は、こういうやり取りこそがこの少女には必要なのだと肌で感じ取っていた。

 ゆえにいつもこんな感じでのやり取りが繰り返されている。

 その度にみらいは、むくれたりいじれたりするものの……

 必ず後で嬉しそうに微笑むのだ。

 それが嬉しくてまたからかう。

 それがこの西守家での当たり前な日常だった。


「いいのよ……別に誘惑しに行くんじゃないから……」


 むくれて視線を中庭の方に向ければ、窓に映ったお子様パジャマを着た自分が映っていた。

 もう何年も愛用しているテレビアニメのキャラクターがプリントされたパジャマ。

 当初は栞とお揃いで買って二人で同じものを着ていた。

 しかし、栞は一年ほどでサイズがきつくなり着れなくなってしまった。

 その後みらいが貰い受け、その二着を交互に着まわして愛用しているのだ。

 メイド長は、そんなみらいを嬉しそうに見つめ、


「そうですか、では失礼します」


 と言ってコンパクトな手鏡をポケットから取り出し、みらいに向ける。

 そこには瞳孔を失った翡翠ひすいが鈍い光を反射していた。

 第一印象は、すっごく不気味だった。

 さすがにこのまま龍好の所に行くのは、どうかと思う。


「今日のところはこれでいいでしょう」


 小春は、これまた用意してあったらしくポケットから治療用に使われる眼帯を左目に当てる。


「その……ありがと」

「いえいえ、これも仕事の内ですから」


『絶対に違う!』


 と、ツッコミたいが、あまり龍好を待たせても悪いので言葉を飲み込む。

 どうせ、既に連絡済に決まっている。

 ホットミルクだってオーダー済みの可能性すらあるのだ。

 そして、それら全てが予想通りだったらしく「くすくす」笑う小春だった。



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