2-9
「いや、さっきもおんなじこと言ってたけど。先に走ったらひきょうだろ?」
「だから、さっきから言ってるじゃない。ハンデだって」
「はぁ?」
「はい! よーいどん! 走った走った!」
バシンと背中を押される様に叩かれて龍好は、走り始める。
刹風は、
「ほらほら、そんなんじゃゴールに着く前に日が暮れちゃうわよ~」
なんて言いながら手を振っていた。
まるで、運動会で我子を応援する母親みたいである。
「ふんっ!」
なんとなく、誰も来ない運動会を思い出してしまって龍好はむかついた。
(ぶっちぎってやる!)
そんな思いで全速力で橋の下目指して走って行く。
小さくなっていく背中を見つめる刹風は、全く動かずにソコに佇んでいる。
手にした長物からわずかに母と同じ匂いがした。
スーパーで主に鮮魚を扱っているからだ。
そのお陰で、売れ残りにありつける。
惣菜や、パンの売れ残りが矢月家の主食だった。
給食の代わりが賞味期限切れのパンだったこともある。
緑色のシャツと、茶色いズボンが小さくなって行く……
そろそろ、秋も本番だろう。
川原に吹く風は、優しくも少しひんやりとしている。
全力で走るには、嬉しい条件だった。
空を見上げるとツバメはもう居ない。
暖かい国へと渡って行ってしまったからだ。
再び龍好へと視線を戻すと、かなり無茶な走り方をしていた。
「あ~あ、あれじゃ、ゴールまでもたないよ……」
思った以上に倒しがいのない相手だったと落胆するが。
(だったら、その分ハンデを大きくすればいいだけだよね)
そう、割り切って小さくなっていく背中を見つめていた。
パンッ!
刹風の頭の中で、スタートの合図が鳴る。
龍好との距離は、およそ100m。
走りづらい川原なんていつもの事だった。
腕を強く振れば竿が邪魔するから腕を全く振らずに下半身だけで走る。
丁度いいハンデだと思いついて実行しているのだ。
そんな教科書を無視した走法だというのに――
まるで、記録映像を早送りしているみたいに龍好との距離を縮めて行く刹風。
龍好は、途中何度か振り向いて確認する度に小さくなっていく刹風が気になっていた。
もしかして、釣竿を盗るためにからかわれたのではないだろうか?
そんな疑心は半分を過ぎた辺りで、裏切られた。
まるで、なにか別なモノに追い掛けられているみたいだった。
このままでは、確実に追いつかれると直感した――
焦りから追いつかれまいと力を込めるが、前半に全力を出してしまっていた龍好の息は、あがり。
速力は気持ちに反し、おとろえていく一方だった。
それに対し、刹風は息を荒げる事もなく余力を残したまま龍好との距離を半分以上つめていた。
あと、ほんの数秒で追い着き、抜き去ることは確実だった。
それでも、本気を隠していてくれるかもしれないと――希望的観測で並走しようとしてみたが……
既に龍好は限界だったらしく、ゴールに着く事なく勝敗はきっしていた。
「ちょっと! せめてゴールまで走りなさいよね!」
くの字に曲げた膝に手を付き下を向いて、息を「ぜーはーぜーはー」荒げるだけで声にならない声を出すのが精一杯の龍好だった。
追いつかれまいと、限界を超えて無理した結果だった。
ペース配分を考えずにむちゃくちゃに走れば消耗は思っている以上に早い。
抜き去られれば心が折れて当然だった。
「じゃあ、私の勝ちってことでいい?」
龍好は、ただただ息を荒げながら何度も頷く。
「つまんないの~」
久しぶりに本気を出して華麗に抜き去ろうと考えていただけに。
刹風の心は、不完全燃焼をなんとかしろ!
と訴えていた。
見た感じからいってリベンジを申し込んでくれるとは思えない。
実に残念な結果だった。
しばらくして、息を整えた龍好が刹風を見上げて言う。
「おまえ! すげーじゃん!」
その、黒い瞳は綺麗に輝いていて、ドキリとしてしまった。
女の子みたいに可愛い顔が、いっそう可愛く思えた。
「そ、かなぁ」
ここまで、真っ直ぐに褒められたのは始めてで照れてしまう。
「ああ、めちゃくちゃすげーじゃん! おれ、走るのあんまし得意じゃねーけどさぁ。おまえがすげーのは、よく分ったぜっ!」
その瞳が真っ直ぐ過ぎて、素直に受け止められなかった。
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