2-8
刹風は、始めて芒原家に入って驚いていた。
家が二つあったのだ。
それは一般的に言う二世帯住宅で。
本来は、祖父と祖父母が暮らす予定だったのだが。
住宅が完成するよりも早く海外に移住してしまい。
結局誰も住まない部屋が一世帯分まるまる余ってしまっていたのだ。
同じ屋根の下とはいえ、その気になれば全く顔を見ずに生活出来る環境は刹風にとってありがたかった。
ケンカになりようがないのだから。
顔を合わさなければ問題なんて起こりようが無い。
物心ついた後、始めて食事した時も少年は大人しく食べていただけで。
社交辞令で『よろしくね』と言えば『こちらこそ、よろしくおねがいします』なんてしっかりとした返事を返してくれたものだ。
後にも先にも、会話と呼べるものは、それっきり。
覚えているのは、久しぶりに食べたエビフライがすっごく美味しくて食べ過ぎてしまったことだろう。
俊夫には笑われてしまったが。
彼の好物では、なかったのか特に非難もされなかった。
そんな感じで二月半ほど時は流れ、以前より長い帰路にもすっかり慣れた頃だった。
川原を軽く流してから帰ろうかな?
なんて思って最短ルートを迂回して足早に歩いていると。
同居人が居たのだ。
茶褐色のつんつん頭は釣竿を持って川を眺めているようだった。
特に釣りというものに興味があったわけではないが孤独な背中が自分と重なってしまい。
同情してしまっていた。
一応、同居人。
彼のお陰で母は収入が増えて喜んでいた。
感謝こそすれ、恨む理由は見付からない。
声を掛けてあげるくらいいいかな?
なんて思いで近付くと――龍好は、釣りをしていなかった。
ただ、竿を伸ばして。
川に向けているだけ。
仕掛けも、釣り針も無しで魚が取れるとは思えなかった。
「ねぇ。なにしてるの?」
好奇心から、自然と声が出てしまっていた。
龍好は、声のした方に振り返り、殆ど顔を見たことも無い同居人を見上げる。
「ああ。おまえか……」
光沢の乏しい瞳が自分と重なっていた。
同情心が膨れ上がった。
彼は、両親が居ない寂しさを拭う術を知らないのだと思ったから。
「イチオウ、せ・つ・か・っていう名前があるんですけど!」
なんとなく近親間がわき――素で、つっけんどんな言い方がでてしまっていた。
実に久しぶりだと思った。
「そうか、きちんと自己紹介した気がしてなかったから出てこなかった。スマン」
「いいわよ。こっちから、ワザと顔合わせないようにしてたんだし」
「そか……」
同居人は、再び川面を眺めていた。
「で、さっきの質問。なにしてんの」
「釣りしてる」
「そぅ、なんだ。で、なにが釣れたの?」
「ハヤが一匹と。フナが三匹釣れた」
予想外の答えだった。
でも、釣りごっこをしてると思えば、なるほどだった。
ハヤと言うのが魚なのかは分らないがフナは教科書に載っていた気がする。
「ふ~ん」
適当にあいづちを打っただけの会話が続くはずもなく。
その真意を聞く気にもなれなかった。
そのまましばらく二人で水面を眺めていると、龍好が呟いた。
「いいよな、お前は……」
「なにが?」
「お母さんだけでも居るじゃん」
なるほどと思った。
でも……
「借金まみれの貧乏人からみたら、あんたの方が100倍ましよ」
「そうなのか?」
龍好は、借金という意味は知っていたが現実味がなく。
その重みが全く理解できなかった。
「私。給食費払えなくて、水でお腹いっぱいにしてたもの」
「はぁ?」
めちゃくちゃ現実味のある話だった。
龍好は、目を丸くして驚いている。
「でも、今は食べれる様になったの」
「そうか、家で働くようになったからか給食費払えるようになったんだ」
「残念。はずれ~」
なんとなく、虐めたくなった。
からかいついでに思い知らせてやりたくなった。
久しぶりに誰かと本気で走りたくなったからでもある。
不敵に微笑む少女が何かを隠していると感じ、ほんの少しだけ子供らしい好奇心が龍好の心を揺すった。
「じゃぁ、他になにかあるのか?」
「うふふ。知りたい」
「ああ、そこまで言ったんだから、教えろよな!」
言葉使いがちょっぴりあらっぽい。
それが嬉しくて刹風は、あおる。
「じゃあ、あそこの橋の下まで走って私に勝ったら教えてあげる」
距離にして200mくらいだろうか?
外の街と結ぶ鉄筋コンクリートで出来た橋を指さす刹風。
「いいぜ」
「じゃぁ、走り始めていいわよ」
「はぁ? お前、それ背負ったまま走る気かよ!?」
龍好は、刹風の背負った赤色のランドセルが気になっていた。
「とうぜんしょ。なんなら、そのサオも持ってあげましょうか?」
「はぁ? んなことしたら、まともにはしれねーぞ!」
「ハンデよハンデ。普通に走ったら虐めてるみたいじゃない」
男が必ずしも女に勝っていなければならない。
そんなバカげた考えはもたないが、いくらなんでも刹風の態度が気に入らなかった。
どうかんがえても自分をより不利になる条件に追い込んでいるというのに、その顔は嬉しそうに笑っているのだ。
まるで、『早く一緒に走ろうよ!』とでも言ってるみたいに――
「そうかい。だったら、よろしくたのむよ」
龍好は、振り出し式のヘラ竿を仕舞い。
ポケットから黒いキャップとオレンジ色の布で出来た細長い袋を取り出して。
竿の先にゴムで出来たキャップをすると――布の袋に竿を仕舞いこみ紐で結んで渡す。
「へー。そうやってしまうものなんだ~」
「ああ、そういうもんだ」
刹風は、始めて手にした釣竿を持って、
「けっこう軽いものなのね~」
なんて、普通に感想を言っている。
どう考えても、1メートルを越す棒状の物を持って走れば走りづらいだろうに。
上手く腕が振れないはずなのに、全く余裕の笑みは消えないどころか、
「じゃあ、走っていいわよ」
さらに増していた。
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