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 時に、笑いとは最高のリラックス方法になる事がある。

 それはクラスメイト達の表情を見れば一目両全だった。 

 一時間ほど前とは明らかに違い。

 担任の授業を受ける事に対するプレッシャーが軽減されている。

 彼らの表情には、ある意味いい形で授業に臨む心のゆとりが生まれていたと言ってもいい。

 しかし、リラックスと油断。


 それは、似て非なるものである。


 決して、担任の授業を受ける際には、気を許してはならない理由があるというのに。

 紅が行う魔法学という名の授業には、意味不明な公式や、理解不能な応用問題、おとぎ話に等しい世界史だけでなく。

 実習と名の付くモノが存在した。

 それは理化学的な実験だけでなく実践というより実戦に近い授業が盛り込まれているのだ。

 特に新入生には、個人の能力を測るといった点を重視した特別授業が用意されている。

 それは、いつ起こるか知らされず。

 彼らを様々な色で染める。 

 それらは、一部例外を除き、みな周知の上でこの学園に入学していた。 

 特別な回路を持って生まれた者達の進路は特別になっても不思議でもなんでもない。 

 その可能性の模索としてでもあり。

 西守私設部隊に入隊するために必要な訓練の一環でもあった。 


 実際に毎年、この科学魔法科には私設部隊に入隊する希望者が多く集っている。

 人によっては、私設部隊増強のために作られた隊員養成所という見識を持つ者も居るくらいである。


 チャイムが鳴ってから――

 やや遅れて、担任の紅が現れた。

 礼の代りに栞が手を上げる。


「はい! 先生出来上がりました!」

「そうか……じゃ、持ってこい」


 全く、期待してませんって顔して紅は、最後の仕上げを受け取ろうとするが、


「あんな、せんせい……」


 栞が再び耳打ちを要求し――紅は、それにこたえた。


「好きにしろ……」

「ほな、完成やぁ~」


 栞が言葉を言い切ると――ほぼ同時だった。


「全員、私の顔を見ろ!」


 紅が、ものすご~~~く。

 つまらなそうな顔で声を張り上げた。

 内心、本当にこんな事で効果が得られるのか疑問だったからだった。


 しかし、紅の予想は見事に裏切られた。

 瞬間的にリラックスと、油断の違いが劇的に表れていた。


「ぷっ!」


 一人が噴出せば、連鎖が始まる。

 誰かが笑うとつられて笑ってしまうもの。

 それは、エリート組みも同じだった。

 特に先程の影響が強く。

 笑いを止めようとする者が殆ど居なかった事が状況悪化を加速させていく。

 その原因は、栞が用意した付け髭もどきだった。


 紅の真っ赤な様相に黒一点。

 鼻の頭に付け髭が貼り付けられていたからだ。

 鼻の下ならまだ分らなくもないだろう。

 しかし、漫画に出てくるような紳士のおっさんが髭を伸ばしてカールさせてる、アノ髭が鼻の頭に貼り付けられているのだ。

 バカ過ぎた。

 アホ過ぎた。


 己の甘さを痛感させられた!


「あっちー!」

「キャ――!」

「うわっ――!」

「ぎゃ――!」


 栞を除いてクラス全生徒の目前に突如炎が現れたのだ!  

 ある者は、ただ叫ぶ!

 ある者は、泣き出した。

 逃げる者は誰一人居なかった。

 そこまでのゆとりを持つ者は3人しか居なかった。

 龍好は、「あちーあちー」と叫びながら床を転げ周り。 

 真っ先に反応した龍好の行動を見たクラスメイトは背もたれに体を預けるように仰け反る程度の対応しか出来ず。

 完全に、その炎に魅入られていた。

 そのままの体制で恐怖で引きつった顔のままで。

 金縛りにでもなったかの様に身動きが取れなくなっている。

 かと思えば――対照的に、みらいは平然と炎に手を突っ込み嬉しそうに炎とたわむれている。 


 その意味を瞬時に理解出来たのは栞だった。

 ただその場で硬直し。

 先程までの、してやったりという笑みが悲しみに変わっていく。

 明らかに、自分だけ仲間外れにされていたからだ。

 もし自分の前にも炎があったのなら!

 かちかち山のたぬきさんや、火の車といったネタが使えたのに……である。


 そんな少女の気持ちを無視して授業は始まった。

 紅が強く。

 そして、優しく指導する。


「今、貴様等の前で揺らぐ炎は、ただ光っているだけで熱量は殆ど無い。しかし、もし熱量を持った炎だったら。どんな惨状になっていたんだろうな」


 鼻に貼り付いた髭もどきを宙に放り瞬時に滅却する。

 その早過ぎる消滅は臭いだけでなく煙すら燃やし尽くしていた。


「きっと、これと同じだな。貴様等は全員塵になっていた」


 その光景を見たクラスメイト達は、心底理解した。

 この教師は世界最高の危険人物であることを。


「今年も私からの直接攻撃は無いとでも踏んでいたのか! バカにするのも大概にしろ! もういい! この中にも入隊希望者が居ると聞いていたが! 悪いことは言わん。今から別の道を選べ。アレは、こんな温い炎ではなく、獄炎だ。有事ともなれば、最悪丸腰で敵陣営に投げ込まれる! それでも任務を完遂し、無事帰還出来る者以外は受け付けん! 大方、見栄や自惚れで入っただけだろうが若さゆえの過ちとして笑って許してやる!」


 紅は、出撃する者に対し、隊長として必ず言う事がある。 


『必ず生きて帰って来い!』と――


 だから、毎年の恒例行事として武装した者を使って襲撃しては、甘ったれた者達に喝を入れていたのだ。

 それは、周知の事で龍好と栞以外は皆知っていた。 

 知っていたのに心の隙を見事に突かれてしまっていた。 

 敵が襲って来ると分っていれば対応も早いだろう。

 ここ数年は、皆そうだった。

 しかし、戦場は――いつどこで戦場になるかなんて教えてくれない。


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