1-17


 正直なところ、こんなところで隠していたネタをばらしたくはなかったが。

 上川の気持ちを汲む事が今後の学園生活に必要と判断した龍好の考えも全否定はしたくなかったのだ。


「その、ホントにいいの?」


 嬉しさと、怯えが交互する上川に安心してもらおうと龍好も己の覚悟を伝える。


「ああ、ただし条件がある。グーじゃなくて、パーで突き飛ばしてくれ! 流石に拳を受け切る自信はねぇーからな」

「あっ! そうだよね! うん!」


 当たり前の様に、拳を握り締めて構えていた上川は、苦笑いを浮べて手を開く。

 龍好が突っ立ったまま――腕を交差させて十字受けの構えを取る。

 ねっころがっていればエジプトのミイラみたいである。

 もっとも入るのは棺桶ではなくドアになるのだが。


「そ、その、ホントにいくよ!」

「ああ、俺も本気を出すから気にしないで思いっきりブッ飛ばしてくれ!」


 龍好が口を開いた瞬間に―― 

 教室に居た者の大半が見た事もない異次元空間に迷い込んでいた。

 足が竦み、冷や汗が溢れ出る。

 それは動物の持つ生きるための生存本能と言ってもいい。

 龍好が受けるであろう恐怖から来る警告と、それから逃れるために必要な努力。

 それらが離れた相手に伝染し似た様な状態に追い込んでいるのだ。 

 人は体験したこともない環境に置かれると安心を得るために退避行動を選択したくなる生き物である。 

 それはもう、この世界と全く違わぬ世界でありながら始めて体験する世界と言えた。 

 例えるならば、死を覚悟した瞬間垣間見るという究極の集中力。 

 龍好の目には、上川から流れ出る水蒸気が白黒で映っていた。

 人が人である以上、外皮は呼吸し、体内の情報を外部に漏らしている。  

 その場所と量。溢れ出る速さが対峙した者の行動を相手に暴露しているのだ。

 例え僅かな呼吸ですら、次にどんな行動を起すのか――必ずソレを相手に伝えている。 


 ただ、それに気付かないだけ。


 逆にそれらの理屈を知ってしまえば、武術の基本がなっていなくとも代用が利くのだ。

 龍好ほどではないまでも、皆今まで気にもならなかった隣に座る同級生の心音を聞き合い。

 ごくりと、つばを飲んだ音すら後ろを見なくとも誰がソレをやったのか分ってしまう恐怖を感じ合う。

 それらが、もっとも強く出ているのは龍好と対峙している上川だった。

 龍好が、遥か数キロ先にいる様にも感じているのに。

 そこまでの距離を一瞬でつめれてしまう感覚。

 まるで、自分の手が音速を超えて飛んで行きそうな感じすらする。

 それらが、何度か繰り返した時。


「上川さん、悪いが、この状態は長くもたないんだ。そろそろ厳しいから早くしてくれ」

「ひっ~~~!」


 自己防衛本能が働いた上川は、後方に跳んで退避してしまった。

 もう、無理だと思った。

 科学魔法科は、魔物の巣窟だと聞いていたが、それは嘘じゃなかったと心底思い知らされていた。


 そんな中――


 この状況が気に食わない者が動き出した。

 紅である。

 左足が床を鳴らすと右足もソレに習う。

 赤いパンプスがカツカツと音を立てて足早に教壇に向かって進んでいく。 

 普段全く気にならない足音が細部まで感じられる世界で――紅は、不機嫌を叩きつける。


「なぁ芒原! 随分と、偉そうじゃないか! 大方由岐島と暮す内に身に付いた防衛本能みたいなもんなんだろうが! そんな程度で、いい気になるなっ! そんなもの!」


 先程、上川が立っていた位置よりも奥に構えて苛立ちを解き放つ!


「本物の前では、無力と知れっ!」


 左足を起点として、右足を深くドンと踏みしめ。

 ほぼ同時に右の掌低を相手が望むポイント目掛けて打ち込む!

 先程栞に飛ばされた勢いよりも格段に早スピードで龍好はドアに向かって飛んでいき――


 ☆ズドン☆


 っと、ド派手な音を立てて凹んだドアを更に、べっこりと凹ませドアごと廊下に飛び出ていた。


「いってー! すっげーいってー! って! めっちゃいってー!」


 きゃーきゃー騒ぎ立てながら龍好がのたうちまわると平穏な世界が戻ってきた。

 チャイムが鳴って、2限目の終わりを告げていた。

 それなのに。

 誰も声を発しない。 

 一時的に覚醒状態にあった動体視力により龍好が取った行動の全てが見えてしまっていたからだ。

 紅の初動よりもわずかに早く身体全体を後ろに傾け始め。

 衝撃を両手でしっかりと受け止めながらも推進力に転化していき。

 拳速が最も上がった瞬間に合わせて両足の爪先で床を蹴り身体を浮かせ後方に飛ぶ。   

 その流れる一連の動きは――実に美しかった。

 やっている事は、ウケを狙ったお笑いネタ。 

 しかしながら、それをなすための技術は一級品。

 後先考えずに本気を出しやがった愚か者を回収すべく、スリッパを持参したみらいが歩み寄る。 


 そして――


 しゃがみ込んで、喚き散らす龍好の頭部を、ぺしりとはたく。


「いい加減にしなさい! 知らない人が見たら栞がやったと勘違いするかもしれないでしょ!」

「言われてみればそうだな……」


 床から見たドアは廊下に倒れ込んでいて、くの字に曲がっている。

 近くを通った人が見たら指摘された勘違いをされても不思議じゃなかった。

 痛む背中を我慢しながら、


「いって~……」


 龍好は立ち上がると、先程のイジメとしか思えない衝撃を打ち込んできた教師につめ寄り抗議する!


「紅先生! いくらなんでも今のは酷過ぎると思います!」

「ふんっ! 人を謀っておいてまだ言うか!」


 紅は、ご立腹だった。

 突き飛ばして自惚れた小僧を懲らしめてやるつもりが逆に思い知らされてしまっていたからだ。

 打ち込んだ時の軽さが異常にムカついた。

 対峙した相手を怯ませるほどの集中力だけでなく。

 これ程の技術を持ちながら提出された書類には武術等の経験無しと書いてありやがったからだ。


「謀るって! いつ俺が紅先生に嘘吐いたって言うんですか!?」

「バカにするのも大概にしろ! こんな事が出来る素人がどこに居る!」

「ここに居ますっ!」


 龍好は、親指を突き立て自分を指し。

 笑顔を作ってキラリと白い歯を光らせる。


「ぶっわ! あははっはははは!」


 そのバカっぷりに紅は噴出した。 


「いいだろう! キサマが素人だと認めてやる!」

「だったら、きちんと謝るべきだと思います!」

「ふっ! ああ、わかったわかった、確かに私も大人げなかった。だから謝るついでに褒美をやろう!」

「まじっすか!?」


 龍好は、ご褒美と聞いて完全に背中の痛みは吹飛んでいた。


「ああ。おおまじだ。今後、組み手の授業では、この私が直々に手解きをしてやろうじゃないか」

「って! それってイジメの間違いじゃないんすか!?」

「ほ~。だったら選ばせてやる。私と仲睦まじくお遊戯するのと、ヤツラとじゃれるのどっちが自分にとって生存率が高いのかよーく考えてから言葉を選べ」


 紅が、顎でそっちを見ろと言う。

 ――そこには!

 見たくもない光景が広がっていた!

 前方には確信的に痛めつける気満々な血に飢えた虎! 

 後方には偶発的な事故を装って本気でフルボッコする気じゅうぶんな狼の群れ!


「大丈夫! きっと芒原君なら耐えられるから!」

「芒原、先程は素人扱いして悪かった。今は、自分の判断が間違っていたと反省している」

「いや! 謝らなくていいから! ってゆーか! 素人だから俺! 頼むから一緒にしないで!」


 こうなれば、斜め上に逃れるしかないと、最後の望みに全てを託す!


「あ、そうそう! 俺、栞と組み手やるんで両方キャンセルって事でお願いします!」

「あんな~、たっくん。うちはみらいちゃんと基礎から始めるって決っとるんよ~」


 正に、ここ一番目立つ時を狙い撃ったかのように栞は口を開いて拒否を訴え、


「だから言ったじゃない。手を抜けって……」


 みらいにダメ押しをされてしまっていた。

 

「あははははは! っで、どうするんだ! 芒原?」

「はい……殺さない程度でお願いします」


 栞がみんなと仲良く出来ないまでも普通の学園生活を一緒に楽めればいいなぁ~、と思ってした自己紹介が。

 予定外のオプションをつけてきやがった。

 そして、クラスメイトの大半から失笑を買った龍好だった。



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