1-3

 それは、まるで家族の様に自然だった。 


「おはよ~、たっくん……ちゅっ」


 ごく当たり前に繰り返される日課。

 頬に感じる柔らかな温もりと間延びした少女の声。 

 毎朝の恒例行事を受けて、まだあどけなさの残る少女の様な少年は目を覚ます。


「あ~、おはよ……」


 そこには、テレも恥じらいもない。

 まるで数十年連れ添った夫婦の様な雰囲気があった。

 寝起きでいまいち視点の定まらない少年の瞳には吸い込まれそうな少女の笑みだけがくっきりと映っている。

 前髪パッツンの黒髪ロングはサラサラしていて今日も綺麗だ。 

 やや赤みがかったぱっちりとした栗色のまんまるお目目はやんわりと垂れ下がっていて、可愛らしい丸顔に収まり。

 ほんわかとした彼女の雰囲気に良く溶け込んでいた。

 ちょっぴり発育不良な体型に学校指定の制服を着込んでいる。

 その上には、赤地にお気に入りのキャラクターである、にやにやしたにゃんこがプリントされたエプロンを重ねていた。

 すっかり奥様気取りな少女は、今日もお目覚めのキスで起きてくれた想い人に、ご満悦。


 彼女の名は由岐島ゆきしま しおり

 現在この家の主といってもいい、芒原すすきはら 龍好たつよしと共に暮す、限りなく同棲に近い同居人。

 自称龍好の嫁である。

 龍好は「はぁ~」あくびを一つして。

 感じ取っていた違和感を確かめるべく、枕元にある時計達に目をやる。

 そこには主人を起こす仕事を奪われてから決して鳴る事のなくなった白地に自分達の名前が書かれた卵形の携帯端末。

 そして隣に置かれた目覚まし時計。

 デジタル式で文字盤だけのシンプルな数字は、いつもより10分早い時間を克明に映し出していた。


「なぁ~、今日……いつもより早くねぇ?」

「んとなぁ~、みらいちゃん来とるんよ~」


 独特な関西風で間延びした口調は、本場関西地方のモノとは似て非なるモノ。 

 アニメとお笑い系番組の影響をもろに受け、どこの出身者かいまいち分らない言葉使い。 

 常時、


『あんた、どこの出身やねん!?』


 というツッコミを受け付けている。 

 そんな関西風栞弁に対し龍好は思った事そのままで叩き返す。


「完全に的外れな回答だな」


 心を読まれたと諦めた栞は「はぁ~……」溜め息一つ吐き。

 むくれながらも無駄を承知で、「む~~~! 実は、なぁ~」頼み込もうとするも、


「却下!!」


 何かを言い出す前に、すっぱりと一刀両断された。

 栞が上目遣いで股を摺り合わせてねだってくる時の頼みは大抵ろくなもんじゃなかったからだ。

 それを龍好は、ここ数年の付き合いで理解していた。

 まだ、親元で暮らすのが当たり前な年齢でありながら他人同士が同じ家で暮らす現状。

 特に去年からなんて完全に子供二人だけの家庭環境になってしまっていた。 

 そんな状況は、世間から好奇の目で見られるのも当然だったが。

 仲良く食料品を買う姿は仲睦まじい新婚夫婦そのものといった感じで。

 とても幸せそうだった。

 そんな二人が共同生活しているのだから近所の、おばさん達にとってこの上ないネタであり。

 美味しくいただかれたのは、言うまでもないだろう。


 しかし、いくら周りに冷やかされようが、態度を変えない二人。

 互いに互いを必要とし手を取り合って暮らす時間はゆっくりと流れ。

 少しずつ、でも、確実に世間に受けられていき。 

 そして、それは互いを理解し合うには、この上なく恵まれたな環境でもあった。

 ゆえに龍好は――この、のんびり屋さんのあしらいを心得ていて。

 そして、それは栞にとっても同じこと。

 互いを良く知っているがために頼み辛い事もある。


 でも、出来る事なら新しい世界でも彼と共にありたい!


 そう願う少女の願いは、そんなにいけないことだろうか?

 許されない事なのだろうか?


『ふっ。栞、あなたのお願いだったら。最終的に龍好は、了承するしかないのよ』


 数少ない友人の一人。

 みらいの言った、この言葉を信じて言い出そうにも完全に聞く耳持ちませんと龍好の瞳は語っていた。

 こうなると、かえって逆効果。

 もともと彼にとっては、過去のトラウマを思い出させる頼み事。


「ふぅ……しゃ~ないなぁ……」

「ああ、それがいい」

「ん~、でもなぁ」

「いい、どうせみらいに聞かされるんだろうし、その方が話が早い」

「はぅ~。たっくんいじわるやぁ~」


 言いたい事はあれど、龍好の苦みに染まった顔は見たくない。

 その辛さを誰よりも近くで見てきたからこそでもあった。

 でも、このまま何も知らずに話せばケンカになりかねない。

 それ程に、挨拶を交わした時に見たみらいの表情は悲しみに沈んでいたから。

 なにか辛い事があったのは聞くまでもない。

 それも、かなりろくでもないなにかが。 


 だからこそ栞は、着替始めた龍好に詰め寄る。


「でっ! でもなぁ!」

「分かった、一応聞くだけは、聞いてやる」


 龍好は、この真剣な眼差しに弱かった。

 弱点といってもいいかもしれない。

 もっともソレを知っているのは、友人だけだが。


「ほんまに!」


 許可が出た途端に栞の顔が華やぐ。

 純粋に可愛い。


「んとなぁ…………あ、…………、えと……なぁ…………」


 龍好の予想通り、そうとう言いづらい事らしく着替えが終わってもなお――栞は、用件を口に出せないでいた。


「ふぅ。分かった。みらいとは、ケンカしねぇ。約束するから下いくぞ」

「あ……うん…………」


 先に部屋を出ようとする龍好の背中に栞が抱きつく。


「あんな……」

「ん、だよ?」


 ぶっきらぼうな龍好の疑問に対して栞は、「かんにんなぁ……」消え入りそうな謝罪をした。


「はぁ~」


 龍好は、重い溜め息を吐く。

 ここ数日間の記憶を探れば栞がこうなる可能性は痛いくらい思いあたる。 

 ネタと言うより地雷は、そこらじゅうに敷きつめられているのだ。 

 うっかり踏めば瀕死確定のデス・ネームを名乗る事になりかねない。

 みらいが朝食をこの家でとる事はさほど珍しくもないし。 

 先ほどの会話から栞一人では龍好の説得が難しい。 

 もしくは、一緒になって説得するために、おもむいたと解釈するべきだろう。

 それらが、ありありと分かるだけにリビングへと続く階段を下りる足が鈍くなっていた。

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