第47話 不始末の後始末(前)
フンドくんを夢の世界に閉じ込めてから、五日ほど経過したころ、真っ赤なバッタの群れが世界各地で目撃されるようになった。
群れが目撃されるようになったということは、人間や家畜の食糧が犠牲になった後ということである。
人間たちは当然すぐにバッタの群れに対抗した。
すぐに分かったのは、この真っ赤なバッタには、一匹一匹は手でつぶせるくらいにか弱いが、どんな農薬も殺虫剤も効果がないということだった。
だから人間たちは、バッタの駆除のために、火炎放射器や焼夷弾などの兵器を持ち出したし、それでも間に合わない場合には、バッタの通り道に住む人間にバッタの駆除に協力させたりした。
中には、音速を超える戦闘機をバッタの群れに突入させて、その衝撃波でバッタを駆逐しようとしたこともあった。
いずれも、たいした効果を上げなかった。
バッタの移動速度は速いので、人海戦術など追い付かなかった。
火炎放射器も焼夷弾も無力だった。群れを殲滅することなどできなかったし、数匹でも取りこぼせば、その数匹が数日後には数万匹、数億匹と増えていくのだ。
バッタの群れを吹き飛ばすべく、群れに突入した戦闘機は、バッタでできた分厚い弾幕を前に、たちまち失速し墜落した。
人間たちが手をこまねいているいるうちに、バッタの群れは膨れ上がり、近隣の土地に移動してはそこの食糧を次々に食い荒らしていった。
人間たちがなにもできないのも仕方がない。この真っ赤なバッタはアバドンと言う名前のフンドくんの使い魔で。植物も動物も何もかも食らって、すさまじい速さで増殖していく。
普通のバッタなら、群れの位置を教えれば人間たちでも対処ができるだろうが、アバドンは悪魔が生み出した兵器だ。農薬も殺虫剤も効かないから人間の手には負えない。悪魔がしでかした不始末は、悪魔が後始末をしなければならないのだ。
そういうわけで、オレたちは、目撃情報を頼りにバッタの殲滅に世界中を飛び回ることになった――。
***
今、オレたちの目の前は見渡す限り一面のバッタの群れだ。
真っ赤なバッタの巨大な群れだ。
離れたところから観察したのだが、群れは移動中らしく、群れの大きさは幅一〇キロメートル、長さは五〇キロメートル、高さは一キロメートルくらいだろうか。
ともかくバッタ、バッタ、バッタ。途方もなく巨大な群れだ。
オレたち三人は、その巨大な群れのすぐそばにいる。
今回、アバドンの殲滅を担当するのはレトちゃんだ。
「始める」
レトちゃんは開始を宣言すると、一人で、アバドンの群れの前に立った。
ほんの一〇メートル先に群れが迫っている。
レトちゃんはすこし腰を落とし、身体を安定させて、呼吸を整える。そして、おもむろに右の掌を体の前に翳した。
一瞬だった。
一瞬で、アバドンの群れが丸ごと吹き飛んだ。
群れが吹き飛んだあとは、すさまじい風が、先ほどまでアバドンの大群があった方向に流れ込んだ。
レトちゃんに目をやると、目を閉じ、額には汗を浮かべている。レトちゃんが汗をかいているのなんて初めて見た。一瞬だったが相当に消耗してしまったようだ。
風がやんだ後は、もうバッタの影も形もなくなっていた。先ほどまで目の前にはバッタの群れがしか映らなかったが、今では上空を見ると青空が広がっているし、はるか向こうの地平線や山も見通すことができる。
「お疲れ様でした」
「おつかれさま」
「うー、ちかれたよー」
オレたちがレトちゃんを労うと、レトちゃんはバエルに抱き着く。流石のレトちゃんも疲労困憊だ。レトちゃんは、あっという間に猫の姿になって、用意してきたバスケットに入ると、たちまち寝息を立て始めた。そこにバエルがタオルを掛けてあげる。
「あれってどういう原理なんですか?」
レトちゃんのすさまじい一撃が気になったので聞いてみる。右手を翳しただけなのに、どうすればあんなことになるのだろう。
「あー、あれは今の時代でダークエネルギーと呼ばれているものを利用しているんです」
「ダークエネルギー? それって、宇宙の膨張を加速させているというあれですか?」
「そうです。ちょっと遠くの空間にひっかけて、まとめて引っ張っる感じですね」
「…………」
「実は、私の瞬間移動にも、地獄がある場所を作るのにもダークエネルギーを利用しているんですよ」
彼女たちとの生活は不思議なことばかりで、色々聞きそびれてしまているが、先ほどのレトちゃんの奥義以外に、瞬間移動にもあの地獄の空間にもダークエネルギーを使っているらしい。
それに、遠くの空間にひっかけて引っ張ると言われてもよく分からない。
ダークエネルギーとは、確か宇宙の加速膨張に関わっているとされる未知のエネルギーだったはずだ。万有引力ですべてのものが引き合っているのにもかかわらず、宇宙はそれに逆らって膨張している。その加速膨張を説明するのがダークエネルギーだ。ダークエネルギーは互いに反発しあう性質があるのだという。多分、その反発しあう性質を利用しているのだと思うのだが……。
重力ならば簡単に感じ取ることができるが、ダークエネルギーは普通に生活していても感じ取ることなどできない。オレ達に及ぼしている影響など「ない」と言っていいほど微弱なもののはずだ。そんなものをどうやって利用しているのだろうか。
「……。よく分からないです。あとで教えてくださいね」
「はい。もちろん」
オレの悪魔は笑って引き受けてくれた。
さて、ここからはオレの出番だ。
オレの役割は、レトちゃんがとらえきれなかったアバドンの位置を捕捉することだ。先ほどの巨大な群れからはぐれた個体や、合流していなかった小規模な群れを探すのだ。アバドンを捕捉したら、その位置をバエルに教え、バエルがテっちゃんを派遣してアバドンを消すという手順だ。
「トラちゃん」
オレがトラちゃんを呼びだすと、オレの目の前にトラちゃんが現れた。この子は今回のアバドン殲滅作戦のため、バエルの助けを借りながら作った新生トラちゃんだ。
トラちゃんはもともとバエルから譲り受けた使い魔で、もともとトラちゃんの現在位置を定期的に知らせてくれる機能しかなかった。
見た目は以前と同じ白いぼんやりと光るこぶし大の球体だが、中身は全然違う。
今回のアバドン殲滅作戦に当たって、トラちゃんに高速で移動する機能と、アバドンを捕捉するし追尾する機能、分裂し融合する機能を加えた。アバドンの位置を捕捉したら、その情報をオレに知らせてくれることになっている。
以前は、ふよふよと空中を漂うことしかできなかったが、それではバッタに置いて行かれてしまう。だから新生トラちゃんは空中をスイスイ、ヒュンヒュンと移動できるようになっている。
「アバドンを探して」
オレがトラちゃんにお願いするとトラちゃんは、一〇〇○体ほどに分裂して、いろんな方向へ散っていった。
アバドンがいればすぐに見つけてくれるだろう。
オレとバエルは、近くの木の下に移動してトラちゃんからの報告を待つ。もちろん魔王さまの寝ているバスケットも一緒に移動させる。魔王さまを起こさないように静かに慎重にだ。
トラちゃんがアバドンを発見したら、オレにはその位置が分かるが、それをバエルにも伝えなければならない。初めは表示モニターでも作ろうかと思っていたのだが、バエルに相談したところ、お互いの身体を接触させていれば考えていることが伝わるという。バエルから口移しに移植されたナノマシン同士のリンクを利用しているそうだ。
そういうわけで、オレたちは今、手をつないで大きな木の下に座っている。
「いた」
「はい。私にも分かります」
数分もすると、トラちゃんから報告が入り始めた。バエルにも伝わっているようだ。
バエルは、オレから伝わった位置に、連れてきたテっちゃんを瞬間移動で送りこんでアバドンを処理させている。
テっちゃんは普段は拳くらいの大きさしかないが、アバドンの群れに遭遇したときは、アバドンを一体取り込むごとにそのもやもやの身体を拡大させていき、ついには群れを丸ごと飲み込むほどに大きな黒い靄になった。そうして群れをすべて取り込んでしまうと、今度は急速に縮んで元のサイズになる。靄が消えた跡からはアバドンもいなくなっている。直接この肉眼で見たわけではないが、そんなイメージがバエルから伝わってきた。
アバドンの排除が済んだら、バエルはテっちゃんを瞬間移動させて回収する。
そんな作業を繰り返しているうちに、トラちゃんからの報告が少なくなってきた。この辺りのアバドンの狩りは順調だ。時間をかければ、そのうち狩りつくすことができるだろう。ただ、ずうっと探し回っていてもきりがないので、あらかた狩ったら、念のためにトラちゃんを二〇○体ほど残して、次の場所の殲滅へ向かうことになっている。
トラちゃんからの報告が少なくなってきたところで、ふと隣のバエルに目がいく。
今日のバエルは、動きやすいように髪を後ろにまとめている。その髪はサラサラしていて、なんだかいい匂いがする。触ってみたいが我慢だ。
「……ケイ」
バエルに小声で名前を呼ばれた。
「どうかしましたか?」
「触ってみてもいいですよ?」
……そうだった。オレが考えていることはバエルに伝わるのだった。
「あ、ごめん」
これは恥ずかしいぞ。
とっさに謝ってあわてて身体を離そうとしたが、バエルがオレの腕をつかんで離してくれない。
「あと少しですし、もうこのままで大丈夫です」
バエルはそう言うと、頭をオレの肩に預けてきた。
くそーわざとやっているな。こっちは却って意識してしまって、ドキドキしているのに、バエルからは楽しげな気持ちしか伝わってこない。オレが恥ずかしがったり、ドキドキしたりしているのが、楽しいようだ。
結局その後、トラちゃんから二回連絡が来たが、それ以降はぱったり止まった。
このあたりのアバドンはあらかた狩りつくしたようだ。だから、念のためトラちゃんを二〇○体ほど残して、他の場所に移ることになった。
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