第46話 超人は夢から醒めない
僕はまた古城の寝室で目を覚ました。
「……おい! いるんだろう!? 出てこい!!」
「失礼します。旦那様、お呼びになりましたか?」
寝室のドアをノックする音の後、執事が顔をのぞかせた。
「お前じゃない! あの悪魔たちだ! それともお前があの悪魔なのか?」
「……フフッ、ようやく気付きましたか」
執事はにやりと笑って、女へと姿を変えた。知恵の悪魔を名乗るあの女だ。
「まだまだ色々用意していたのですが、もう満足したのですか?」
「うるさい! 僕にあんな夢を見せてどういうつもりだ? どうせここも夢なんだろう?」
「いやいや、感謝してほしいくらいです。私が『詰めが甘い』と言った意味が分かったのではありませんか?」
「分かるものか! どうせお前らに都合のいいように作っているんだろう!?」
「――確かにこれは作り物には違いないですね。ただこれはあなたの過去を参考に作ったものですよ? 記憶がないので分からないのでしょうが、伝染病も本物の蝗害も人間に裏切られるのも、最後に自棄を起こしてアバドンで人間を殺戮しようとするのも、みんなあなたの過去です。原子炉はあの当時は核融合炉に置き代わっていたので創作ですが、大穴を空けて埋め立てるなんて荒業、考えもしませんでした。いやあれは本当に面白かったです。ふふふふ」
「……いつからだ?」
「いつから? ああ、この夢のことですね? そんなの最初からに決まってまいす。あなたは覚えているか分かりませんが、我々が食堂に通される前、城が大きく揺れて照明が一瞬消えたでしょう。正確に言えば、あの瞬間からあなたの感覚を乗っ取っています。罠があると分かっているのに馬鹿正直に会いに来るなんて思ってました?」
女の挑発的な物言いに、なにかが切れて頭が真っ白になった。
気付けば女に殴りかかっていた。
しかし僕の拳が女の顔に当たる寸前、するりとかわされて、そのまま壁まで吹き飛ばされた。
見るといつの間にか魔王を名乗る小さな女に入れ替わっている。
「思い通りにならないとすぐに激昂する。変わらないね。フンドくん」
「フンドくんだと?」
「そ。すぐに怒るからフンドくん。だって名前を知らないから。わたしたちはフンドくんて呼んでいる」
「ふっざけるな!!」
今度は掴みかかるが、いなされて投げ飛ばされた。
投げ飛ばされた拍子に肩の関節が外れた。僕が立ち上がれずにいるうちに、魔王は僕の他の関節に蹴りを入れ、あるいは軽く叩いて、あるいはひねって、次々に僕の関節を外していった。
自力では動けなくなるくらいに関節を外されると、無造作に服をつかまれて、無理やり椅子に座らされた。
「ふっざけるな! ふざけるなっ! ふざけるなっ! だいたいお前らは何がしたいんだ? 引きこもっていればいいものをなぜ僕の邪魔をする? なぜ――」
「うるさい」
僕が口を開いたところに、魔王は斜め上から僕の顎を小突いて関節を外した。
こうなっては、まともにしゃべれない。言葉にならなかった空気がふごふごと口から漏れた。
「『出てこい』と言われたから来てやった。あのまま出てこないで、ずうっと一人で夢を見せたままにもできた。これは最後の情け。神妙にしていろ」
魔王はそう言って、僕の顎をもう一度、今度は下から小突いた。
ゴキンと嵌った感覚があったので、口を開閉してみる。どうやら魔王は僕の外れた顎を元に戻したようだ。
そうして顎が元に戻ったことを確認していたら、知恵の悪魔を名乗るあの女がいつの間にか魔王の隣にいた。
二人は僕が座らされた椅子から少し離れた二人掛けのソファーにに向かい、そこにゆったりと沈み込んだ。
こいつらは、ソファーに座ってこちらに注意を向けているが、何もしないし、何も話さない。魔王は知恵の悪魔の首に手を回して抱き着いているし、知恵の悪魔は魔王の髪を撫でている。
そうしてしばらくした後、女が口を開いた。
「少しは落ち着きましたか? フンドくん」
「……なあ、フンドはやめてくれないか? 僕にはルシフを言う名前がある」
「ふーん。初めて名前を知りました。ルシフですか……。別に構いませんよ。ルシフ。あなたが数十年分の夢を見ている間に人質も解放しましたし、アバドンも殲滅しました。ただ、あなたを殺して、替わりのバックアップに目覚められても面倒なので、あなたはこのままでいてもらいます」
「ここは何なんだ?」
「ここは正真正銘あなたの夢の中ですよ。……ご存じないと思いますが、旧世界に神曲という有名な物語がありました。その物語に登場するコキュートスと呼ばれる地獄の一番底には魔王が氷漬けにされているそうです」
「……だから何だよ?」
「……その魔王は憤怒の悪魔とも傲慢の悪魔とも呼ばれているそうなんです。憤怒と傲慢。あなたにふさわしいと思いませんか? ここは、あなただけのために特別に作り上げたコキュートスです」
「僕を悪魔と呼ぶなよ。それに僕は傲慢でもないし怒りもしない」
「ああ、そうでしたね」
「……」
こいつは、いちいち僕の神経を逆なでするように話すな。しかも楽しそうに笑っている。多分わざと怒らせようとしているんだろうが、ここで怒ったらまたあの屈辱的なあだ名で呼ばれる。だから我慢だ。
「ぼくを笑いに来たのか?」
「いいえ? 先ほども言いましたが、あちらではすべて片がついたので、そのお知らせに来たんです。もう済んじゃいましたけど」
「そうか。じゃあ早くここから出せよ」
「あなたにはずっとここに居てもらいます。ここはまさしくあなただけの世界です。よかったですね、あなただけの世界が欲しかったのではありませんか?」
いちいち煽ってくるが、スルーだ。出られないなんて、そんなことあってたまるか。何としても、ここから抜け出る方法を見つけなければ。
「お前らはどうやって入ってきたんだ。ここは僕の夢なんだろう?」
「あなたの夢ですが、管理者は私です。あなたにはゲスト権限しかありません」
「……」
くそが、何の参考にもならない。
「これからずっとここに居るのです。もっと有意義な質問をした方がいいと思いますけど……。それに、なにかリスエストがあるなら聞きますよ?」
「……」
うるさいな。リクエストなんてできるか。
「……何もなければ帰りますね」
「待て! ……なあ。お前は知恵の悪魔なんだってな。僕の魅了が人間たちに効かなくなったのはなぜだ?」
「ああ、あなたが使っているのは本来の魅了ではありません。リリスが使うのが本物の魅了です。あなたが使っているのは言ってしまえば脅迫ですね。――意識の深い所に恐怖を摺りこんで、言うことを聞かせるのがあなたのいう魅了です。そして、あなたが人間から向けられる畏敬だと思っていたのは、ただの畏怖であり恐懼です。だから恐れを知らない者や命を惜しまない者には効きません」
「……そうなのか」
「他には何かありますか?」
「なぜお前たちは人間を支配しようとしないんだ? なぜその力を人間たちのために使わない? お前たちならできるだろう?」
「うーん。いろいろ理由はあるんですが、一番悪魔らしく答えてみましょうか」
女はそう言って、つらつらと話し始めた。
「――私たちは『正しい』ことが大嫌いなんです。権力に執着する者は、自分が正しいから他の者は自分に従うのが当然だと思っているみたいですけど、そんなのくそくらえですね。大半の権力者がやっていることは、『正義』とか『正解』とか『正しい』とか書かれた、さもありがたそうな経典や法律やルールブックで他人を殴って言うことを聞かせているのと変わりません。それは暴力と同じです。いや、人間は『正しい』ことには反抗しにくいですからね。反抗しにくいだけ単純な暴力よりも質が悪いです。それに私たちは悪魔です。誰かが決めた『正しい』ことなんかに縋る必要などありませんし、自分が『正しい』なんて他人に押し付けることもまっぴらです。だから私たちはだれにも服従しないし、『正しさ』を振りかざして権力を振るうことなんかしません」
「相変わらず何を言っているのか分からないな。正しさが暴力と一緒なんてそんなことあるわけないだろう?」
「ふふ。どうでしょうね」
イラっとしたが、我慢だ。
「お前は以前、僕が失敗したのは驕ったからだと言ったな。それに権力者は必ず驕るとも言った。驕らない権力者であれば正しく人間を導くことができるのか?」
「できるでしょうが、あなたには無理でしょうね」
「……続けろ」
「権力は強制的に他人を服従させる力ですから……。他人に服従して喜ぶ人間なんてごく一部しかいません。たいていの人間は服従するのが嫌いなんですよ。権力者が驕るとか驕らないとか、正しいとか正しくないなんて関係ありません。だから、どんなに立派な権力者が、どんなに立派に人間を導いても、導かれていたはずの人間はそのうちに別の『正しさ』を振りかざして権力者を追いやるでしょう」
「なんなんだよ。お前の言い分では、驕ってもが驕らなくても、結局失敗するんじゃないか。――要するにお前は、権力で人間を正しく導くことなんてできないと思っているんだな?」
「そうは言っていません。権力を握り続けることは出来ないと言っています」
「……」
「あなたが権力を握り続ける限りいつか誰かに邪魔されるでしょうね」
女はにっこりと笑って言った。
「もう時間です。再び会うこともないでしょうが、お元気で」
「バイバイ。ルシフ」
魔王が手を振る。手を振るにつれ、女たちの姿は透明に近づいていく。
「いつか必ずここから抜け出すからな! そして、僕が正しいことを認めさせてやる!! いいか絶対に忘れるなよ!?」
「――。――」
女たちは完全に消えてしまった。
女が最後に何かつぶやいていたようだがよく聞こえなかった。
残されたのは僕一人だ。
……動けない。せめて治してから帰れ。
「おい! 誰かいないのか?」
「はい。旦那様、どうなさいました?」
執事が来たので、医者を呼ばせて関節を嵌めさせる。
とりあえず動けるようになった。
しかし、また繰り返しか……。
このコキュートスも人工物には違いがない。だからどこかに綻びなりバグなり欠陥なりがあるはずだ。それを見つけ出せば抜け出すこともできるかもしれない。それがダメならこの空間が壊れるまで我慢比べをしてもいい。
絶対に抜け出してやる。
***
「あなたは、もはやただのデータですからね。残念ながら目覚めることはもうありませんよ」
「エルちゃん、もう聞こえてないよ?」
「ふふ、そうでしたね」
コキュートスにあるのは、ルシフの精神活動をコピーしたデータだ。データだから精神そのものではない。データに過ぎない彼が、どう足掻いてもコキュートスから抜け出すことは出来ないのだ。
肉体さえ殺さなければ、バックアップが起動することはない。だから、もう精神のほうは用済みだ。脳髄はまだ生きているが、脳内で「意識」を生成する機能は壊してしまった。だから、彼の肉体はもう目覚めることはないし、精神活動をすることもない。
時間をかければ彼が言っていたバックアップを見つけることもできるだろう。バックアップを消してしまえば、肉体も用済みになる。
そうすれば、やっとルシフとの因縁が片付く。
***
「お帰りなさい」
すぐそこからケイの声がする。
私たち二人はVRゴーグルのような装置を頭に装着し、寝椅子に身体を横たえている。
「たっだいまー」
「ただいま帰りました」
寝椅子から体を起こすとゴーグルを頭から外して、ケイに帰還の挨拶をする。
コキュートスの本体は研究室においてあるあの金属のキューブだが、あの夢の世界へ通じる装置はこの二つのゴーグルしかない。だからこれを壊してしまえばもうコキュートスへ行くことは出来ない。
レトちゃんが手を差し出すので、さっきまで使っていたゴーグルを預ける。するとレトちゃんは自分のゴーグルと合わせて宙に放り投げた。
「ふっ」
そして、落ちてきたところに、無造作に回し蹴りを放つ。床に落ちたゴーグルは二つとも修復不可能なほど粉々になっていた。
これでコキュートスへ行く手段は失われた。
「テっちゃん」
テっちゃんたちを呼びだして、コキュートスの本体であるキューブを指さす。
するとキューブにテっちゃんたちが群がり、テっちゃんの身体である黒いもやもやの中にキューブを取り込んでいく。キューブは一辺、三〇センチメートルほどだが、すぐに黒いもやもやに包み込まれ、もやが晴れるとキューブは跡形もなく消え去った。
これで、コキュートスもろともルシフの精神のコピーはこの世から消え去ってなくなった。
「夢から醒めたなら、コーヒーでもどうですか?」
「のむー」
「あ、私もいただきます」
ようやく喫茶店に平和な日常が戻ってきた。
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