第36話 悪魔たちは反撃の準備をする


 今日はバエルの天気予報の通り、朝からしとしとと雨が降っている。

 いつも通り、魔王さまに朝ご飯を上げてから、バエルと一緒にふーちゃんとむーちゃんにクルミを上げる。

 そのまま、ふーちゃんとむーちゃんが飛び立っていくのを見送った。

 菜園を覗いてみたが、一週間ぶりに雨が降って、野菜も元気になったようだ。


 昨夜は頭が冴えてしまって眠れなかった。しかし、まったく眠くならないし、頭は相変わらず冴えている。これは多分やばいやつだ。


 とりあえず、朝食の支度だ。

 今日の朝食は、手軽にオートミール野菜たっぷりのオートミール粥にスクランブルエッグだ。

 朝食を食べながら、頭が冴えてしまって眠くならないことをバエルに相談すると、コツを教えてくれた。


 とりあえず、今の頭脳の使い方になれることが重要だと言う。それに加えて、脳にあまり情報を入れず、ぼーっとする練習をするのだそうだ。

 悪魔といえども、ずうっと頭が覚醒したままでは疲れがたまってしまうので、意識的に集中のオンオフの切り替えができるようにならなければいけないという。

 ぼーっとするには、景色をなんとなしに眺めるでもいいし、雨音に耳を澄ませるでもいいらしい。


 朝食の片付けを終えたら、今の状況の整理だ。

 まず、オレたちの目標は、悪魔の雑草を再び根絶することと、「箱庭」を人間から取り上げることだ。加えて、アルコーン社はまた悪魔の雑草をばらまく準備をしているらしいので、それを阻止しなければならない。


 悪魔の雑草については、バエルが研究して、すでに駆除剤を完成させている。

 しかし、駆除剤を完成させたといっても、公表の仕方は考えなければならない。

 あの雑草について、人間はほとんど知識を持ち合わせていないのだ。いきなり駆除剤の公表をして、農地に散布などしたら怪しすぎる。人間はこんなに早く駆除剤を完成させることなどできないのだ。

 不用意に公表したら、絶対に、あらかじめ駆除剤を用意したうえで、種子をばらまいたと疑われる。

 それに、どのくらいの量が必要かもまだ見えない。バエルは駆除剤を完成させたが、大量生産をしているわけではない。こちらには独占して儲けるつもりなどないから生産方法を公表して人間たちに生産させた方がいい。しかし被害の範囲によって必要な量は変わるのだ。

 アルコーンは、散布するための大量の種子を確保するため悪魔の雑草を育てているが、バエルはすでに種子の生産場所を特定しているという。というより、いまだに種子を生産しているのを確認したので、アルコーンがまだまだ種子をばらまくだろうと推測しているわけだ。

 種子を生産しているのは、穀物生産のための自動工場だったところで、世界中のいくつかの場所に点在しているという。種子の増産ができないように、種子の一粒も残すことなく、破壊しなければならない。どこか一箇所破壊しても、種子が残っている限り、他の場所でまた種子を作ることができる。そうなるとイタチごっこになってしまい面倒だ。

 しかし、人間たちが駆除剤を自由に扱えるようになれば、種子がいくら増産されても対処できる。だから種子工場は放っておいて、駆除剤の運用について考えておけばいい。


「箱庭」を人間たちから取り上げるには、関係した人間の記憶を消し去り、媒体を問わず記録を抹消しなければならない。紙に印刷されたものであっても、稼働中のコンピューターのメモリ上であっても、バックアップ用の媒体上にあっても、すべて消去する必要がある。

 普通、すべてというのは不可能だ。オレには方法が思いつかない。

「こればかりは、地道に行くしかありません……。ただ、箱庭の技術を応用できれば、意外と早く済ませられるかもしれないです」

 バエルは、笑みを浮かべながら、そんなことを言う。

 聞いてみるとオレの技術を使って、新しい使い魔を作れないか考えているそうだ。箱庭を使って、記録や記録の抹消のための行動を効率的に学習させ、それを使い魔に適用するという構想を聞かされた。

 悪魔の力とかけ合わせれば、そんなこともできるのか……。であれば、すべての記憶と記録を抹消することもできるのかもしれない。

 それに、バエルは、すでに、ふーちゃんとむーちゃんに指示を出しているという。なにも考えずに記録を消してしてしまうと、それに気づいた人間は抹消されないようにコピーを増やすかもしれないし、コピーを隠すかもしれない。

 そうしないためには、気付かれにくい所から抹消していかなければならない。そのために関係者と関係する記録媒体の調査を指示したのだそうだ。

 アルコーンはオレの技術を機密扱いにしているので、関係者も少ないし、媒体も限定されているはずだが、今、下手に手を出して警戒されるのはよくない。他の調査と並行して慎重に進めるのだという。

 あとはオレの学生のころの担当教授や、論文の掲載情報など過去にさかのぼって、洗いだしていくのだそうだ。

 確かに関係者は少ないだろう。自分で言うのも烏滸がましいが、あの技術も中核となった理論も難関だ。専門でもないとチンプンカンプンだろう。

 それに箱庭はハードウェアとソフトウェアが組み合わせって動作するシステムアーキテクチャだ。特別なハードウェアが必要なので、ソフトウェアだけ用意してもまともに動かない。今のところ、そのハードウェアは「アルコーン」にしかないはずだ。だから、関係する人間はそもそも限定されている。記憶と記憶の抹消については、案外簡単に済んでしまうかもしれない。


 雑草の根絶も「箱庭」の抹消も、おぼろげだが道筋は見えた。

 一方、悪魔の雑草の種子をばらまいたと思われるアルコーンのドローンについては、ほとんど何も分かっていない。今こうしている間にも、ドローンが種子をばらまいているのかもしれないのだ。

 そもそも、オレたちは、アルコーンのドローンが種子の散布に使われたという確かな証拠を入手していない。理想としては、ドローンが種子を散布している現場を押さえることだ。現場を押さえ、種子を搭載したドローンの現物を押収し、それを人間たちのニュースに流せば、人間たちは農地を守るために自衛を講じるだろうし、アルコーンが犯人であるとの証拠にもなる。

 そのためにバエルは、アルコーンのドローンがどこにいてもその位置を知らせてくれる使い魔を現在制作中なのだという。

 ドローンが世界中のどこにあっても、その位置情報が分からなければならないのだが、現在、人間が使用している発信機では使い勝手が悪い。電波強度の強い発信機は大型で大量の電力を食うのでドローンに搭載できないだろうし、小型の発信機では電波強度が弱く使い物にならない。だからバエルはドローンに潜り込ませて、その位置を知らせてくれる使い魔を作っているというわけだ。


 既に使用されたドローンについて、現在推測できることといえば、隠密性が高く、高度な航行システムを搭載しているであろうことくらいだ。

 仕様も運用方法も製造場所も分かっていない。

 ドローンがどのような仕様なのか、どう運用されているのかが分かれば、これからの被害の範囲も予想できるかもしれないし、ドローンの稼働を妨害できるような弱点が見つかるかもしれない。だが、ドローンを製造している場所が分からなければ、ドローンに使い魔を仕込むことすらできない。

 だから、製造現場を発見し、ドローンの使用や運用方法を推測できるような情報を入手しなければならない。

 とりあえず、いま分かることはそんなところだ。


 ***


 バエルはマモンと連絡を取ってみるそうだ。

 そういえば、マモンはあの雑草のレポートを置いて行ったが、その時にバエルに渡せば分かると言っていた。

「マモンくんは、たぶんこちらの動きを知りたいのでしょう」

 バエルは、そんな風に予想している。

 マモンは商売にその身を捧げている悪魔だ。オレは彼がどんな分野の商売をしているのか知らないが、オレたちのこれからの動き次第では、影響があるのかもしれないし、大きな儲けのチャンスになるのかもしれない。

 バエルもマモンに秘密にするつもりはないようだ。情報を流せばそれなりの返礼も見込めるという。


 ***


 一通りの確認が終わった後、バエルはオレを地下にある自らの書斎と研究室に案内してくれた。

 これまで掃除のために地下に行くことはあったが、オレはもっぱら地下の廊下を掃除するだけだった。書斎と研究室はいつもバエルが掃除していたので、オレも入るのは初めてだ。

 書斎は普通の机と椅子書、書棚があるシンプルなものだった。

 一方、研究室のほうは雑然としていた。一見するだけで様々なものが目に入る。オレも使っていたパソコン端末の他、3Dプリンタや工作用の作業台のようなものも見える。作業台の近くには工具が整理されて置かれている。

 一辺三○センチメートルほどの金属製のキューブが置いてあるので何なのか聞いてみると、これは、現実と区別のつかない夢を見せる装置だと言う。確か、バエルは以前、現実区別がつかない夢を見せることができると話してくれたことがあった。しかし、本当にできるのか……。

 他には魔王さまのベッドも置いてあった。


 研究室の向こう正面には、さらに奥に続くドアがある。

 ドアを開けると、長い廊下が続いており、廊下の奥は見通せない。その廊下の両側にはドアが一定の間隔でならんでおり、それぞれ、様々な実験や工作のために用意された部屋なのだという。これからは書斎も研究室も自由に使ってもいいそうだ。それぞれの部屋は使うときになったら、使い方を教えてくれるという。


 その日は、研究室の最初の部屋で、箱庭についてバエルに教えることになった。

 契約は更改されたのだ。オレがバエルに教えるのを保留する理由はもうない。

 それに、バエルはオレの技術があれば、今後の作戦が楽になると言っていた。だから、早いうちにバエルに教えてしまおうというわけだ。

 箱庭はコンピューターの技術なので、とりあえず研究室に置いてあるパソコンの端末を使って教えるのだ。近いうちに、新しいサーバーを用意してくれるというので、そこに本格的に箱庭を扱うための環境を構築することになった。市販のハードをそのまま使うことは出来ないので、市販のハードを買ってから、改造しなければならない。バエルに相談したら、改造のためのパーツもなんとかしてくれるという。


 ***


 その日の夕食の片付けが終わった後、バエルの部屋に案内されて、寝椅子に横たわるように言われた。


「これも、ぼーっとするための練習です」


 バエルはそんなことを言って、オレの頭や首、肩をマッサージしてくれた。

 何も考えずに、マッサージに身を委ねるのだという。バエルのマッサージは絶妙な痛気持ちよさだった。思ったよりもコリがたまっていたようだが、終わるころには頭も肩も軽くなったし、リラックスもできた。おかげで、その日はよく眠れた。

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