第34話 悪魔の契約を更改する(後)


「この先、ずっと一緒に背負ってやる」

 バエルは、オレの言ったことが飲み込めなかったようだったので、もう一度言ってみた。


「レトちゃんから聞いたのですか?」

「いや、レトちゃんからは聞いたのは悪魔の歴史だけです。でもそれだけで分かりました。人間同士の争いを何とかしたいんでしょう? 今のオレはまだ知識も能力も足りないかもしれないけど、オレなら一緒に考えることも一緒に背負うこともできると思います」

「そうですか……」


 オレの推測は当たっていたようだった。

 人間は互いに争う。仲良くできない。それは人類が誕生してからずっと抱えている問題だ。

 これこそが、バエルが解決したい問題だ。

 バエルは以前、「人間が抱えている難問を解決したい」と言っていた。

 レトちゃんは、オレに悪魔の歴史を離してくれた後、「わたしたちは呪われている」と言った。悪魔は人間の争いを解決するために作られた。それにも拘わらず、問題は解決できなかった。それどころか、ほとんどの人間を滅ぼすような争いを招いた。

 バエルが解決したくてもできないような難問で、自分たち悪魔の誕生が関係しているという。しかも、彼女は今まさに、「雑草」や「箱庭」の問題を解決し、紛争が起きないよう尽力している。

 とすれば、彼女が解決したい難題とは、人間の争い以外に思いつかない。


「で、どうですか?」

「……悪くないかもしれないです。と言うか悪くないです。でもダメです」

「なんでだよっ!?」


 また怒鳴ってしまった。

 しかしただダメだと言われても、きちんと理由を説明してもらわなければ、こちらだって納得できない。


「それでは、私が貰いすぎですから」

「……」


 ずいぶんと頑なだ。

 どうあっても、オレを関わらせたくないようだ。

 しかし、とりあえず、嫌われてはいないようで安心はした。あれだけカッコつけたことを言って、実はあなたのことなんか嫌いでしたとか言われてしまったら、目も当てられない。

 実はそう言われる覚悟もしていたのだが、逆に対価をもらいすぎなんていう理由で拒否されるなんて思わなかった。

 これは本当に想定外だ。

 そして、困った。オレが切ることができるカードはもうない。この上、なんて言えば頷いてくれるのだろう。


「だいたい、なんでそんなに私に構うんですか。ケイさんが私の都合なんかを背負いこむ必要なんてないんですよ? それにケイさんなんか別に悪魔にならなくても、人間のままここに居たっていいんです。私は、ケイさんのことを飽きたりしませんし、捨てません。ケイさんがよぼよぼのお爺ちゃんになっても、ちゃんとお世話してあげますし、死ぬ時はちゃんと看取ってあげます」


 うーん。嬉しいことを言ってくれるが、そうじゃない。こっちだって、そんなところで妥協したくないのだ。

 確かにバエルの言う通りオレは今のままで十分に恵まれている。バエルもずっとここに居てもいいと言ってくれているし、衣食住も、身の安全も保障してくれている。ここに居れば、人間同士の煩わしい争いに巻き込まれることもないし、二人ともオレに親切にしてくれる。今のままでいいなら、別にわざわざ悪魔になる必要などないのだ。


「ずっとバエルのそばに居たいと思った。すっとそばにいられるなら、一緒に背負うくらいオレには大したことじゃない」

「……」

 とりあえず、素直に気持ちを吐きだしてみたが、バエルは答えを返してくれない。表情をうかがうと、泣きそうになっている。


「にゃ」


 魔王さまの声がしたので見ると、魔王さまがバエルの膝に手を添えていた。

 そして、魔王さまはバエルの膝に手を添えたまま少女の姿に変化する。魔王さまが姿を変えたのは、オレがいつも見ていたバエルの姿ではない。見たことのない少女の姿だった。

「……ああ、レトちゃんか」

 思わず口から漏れ出してしまったが、オレの目の前で変身したのだし、レトちゃんで間違いないだろう。レトちゃんはやはり他の姿にも変身できたのだ。

 まあ今はそんなことはどうでもいい。


「エルちゃんは頑張ってきた。でも、あんなのエルちゃん一人で背負うものじゃない。わたしはエルちゃんを癒してあげることは出来たけど一緒に背負ってあげることは出来なかった。ケイならそれができると思う。それに、ケイはもう覚悟を決めている。ここで突き放したら、たぶんこの先二人は交わらない。今は、エルちゃんが覚悟を決める番」

 その通りだ。ここまで覚悟を決めて告げたのに、これで突き放されたら立ち直れそうにないぞ。


「……」

 バエルはなおも迷っているようだ。

「貰いすぎだと思うなら、エルちゃんもケイのことを支えてあげればいい。それで釣り合う」

 レトちゃんはそんな妥協案を出してくれた。

 取引されるモノゴトにはいろいろな側面の価値があるし、価値は時とともに移ろう。それに、人によってその価値をどう捉えるかも違う。だから、あらゆるものが完璧に釣り合う取引なんて存在しない。取引の対価なんてものは、本来、当事者同士がどこかで折り合って、妥協しあって決まるものなのだ。

 しかし、オレには、バエルの妥協点が分からない。もう一押しだと思うのだが、どうすればバエルの納得のいく取引になるのだろう。


 するとレトちゃんは、こんなことを言い出した。


「二人の仲はいい。これからもきっと仲良くやっていける。私が保証する。あとは誓えばいい」


 オレはどうすれば契約が結べるかなんて考えていたが、レトちゃんは、「誓えばいい」と言う。

 衝撃だった。

 目からうろこが落ちた。

 確かにオレはこの先ずっとバエルと過ごすことを望んだし、覚悟も決めた。だが先のことが分からないのも事実だ。先ほどオレがバエルに言った提案もある意味、取引であり契約であるには違いない。しかし、だからといって、違約条項を盛り込んだ取引契約を結ぶなんてしたくない。そんなものは事務的で冷たい感じがするし、なによりオレの覚悟を示すことなんかできない。

 だから、レトちゃんは「誓え」と言うのだろう。


 レトちゃんの言葉はバエルにも届いたようだ。

 バエルは、オレの意志を確かめるように、こちらに顔を向けて口を開いた。


「本当にいいんですか?」

「もちろん」

「二度と離してあげませんよ?」

「望むところです。これから先、ずっとそばにいて、ともに背負っていくことを誓いましょう」


 オレがバエルの目をまっすぐ見つめて言うと、バエルは、オレのことをしばらくじっと見つめていた。そうしてオレの覚悟を分かってくれたようだ。

 嬉しそうに微笑んで、答えを返してくれた。


「では私も誓いましょう。この先、ずうっとあなたのことを支えます」

「ふう……。やっとようやくここまで来た。じゃあ、わたしも誓う。この先、すうっと、二人の側にいて二人のことを守り、癒しつづける」


 レトちゃんも、そう誓いを返してくれた。

 そうだ、もともとレトちゃんも含めた三人での契約だったのだ。契約を更改するのなら、同じ三人が揃わなければならないだろう。


「はい。レトちゃん。これからもよろしくお願いしますね」

「オレも、これからもお世話させてくださいね」


 バエルはレトちゃんを抱き寄せて、その頭を撫でている。こうしてみると本物の姉妹みたいだ。

 レトちゃんは、最初こそ、やれやれといった表情をしていたが、バエルに撫でられて、嬉しそうに口許を緩めている。


 ふう。これで悪魔との契約更改は済んだのかな。

 とりあえず、望んだところに落ち着けることができた。

 それにしてもレトちゃんには感謝しかない。さすが魔王さまと呼ばれるだけはある。オレへのアドバイスも、バエルの説得も的確だった。年の功と言ってしまうと失礼かもしれないが、これまでの経験なのか、それともオレとは見えているものが違うのか、思いがけない言葉ばかりだった。

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