第32話 男も陰謀を知る
バエルは相変わらず研究室にこもっている。
「少し大変です。でも頑張らないと」
何をしているのかは教えてくれなかったが、そんなことを言っていた。
今日も昼食を食べて、片付けをしたら、地下の研究室に潜ってしまった。
オレは昼過ぎから、菜園の手入れをして、野菜を収穫した。
最近はめっきり暖かくなってきたので、日中に少し作業するだけで、汗だくになる。
汗だくになりながらも、必要な作業をした後、魔王さまと一緒にまったりしているとドアベルが鳴った。
客はマモンだった。
彼は商売が好きな悪魔で、普段は人間社会に溶け込んで生活している。
バエルとはビジネスパートナーで、時々、お互いに情報交換や仕事を融通しあったりしているらしい。
「やあ、こんにちは。バエルちゃんは留守かな?」
「こんにちは。彼女なら、研究室にこもっていますよ。呼んできましょうか?」
相変わらず、さわやかで丁寧だ。バエルに用があるみたいなので、取り次ごうとしたら固辞されてしまった。
「そうか。情報交換に来たんだけど、忙しいみたいだね。じゃあ、これを渡しておいてよ。渡せば分かると思うから」
そう言って、マモンは一冊のファイルを渡してくる。
「君にも関係あることだから、読んでみるといいよ」
マモンはそう言い置いて帰って行った。
はて、オレに関係あることとは何だろう。
ファイルを見ると、とある国の情報機関が作った報告書らしい。薄く、数ページくらいしかないが、一般人が手に入れられるようなものではないはずだ。それをマモンはどういう手段を使ってか手に入れてきたらしい。
報告書はあの謎の雑草に関するものだった。
***
――その報告書の要旨にはこんなことが書かれていた。
「雑草」は新発見の植物で、ムギの根に寄生してその栄養を奪う。「雑草」に寄生され栄養を奪われたムギは正常に生長できなくなる。一方、寄生した「雑草」は数日のうちに急速に生長して花を咲かせ大量の種をつける。種子は非常に小さく、風に乗って遠くまで運ばれる。また、その種子は非常に小さいため、肉眼で判別することはほぼ不可能である。
「雑草」の種子は宿主となる植物が発芽し値を伸ばすと、何らかの方法でそれを感知し、宿主の根に寄生し生長を始める。それ以外で「雑草」が発芽するケースは確認されていない。
これらの特徴から、「雑草」を駆除するには、発芽してから種子をつける前までの短期間のうちに除去し、種子が結実しないようにするのが重要であると考えられる。
この「雑草」がどこからどのように運ばれてきたのかはいまだ不明であるが、被害の範囲が特定の農地だけに限定されていることから、人為的な工作の可能性が濃厚である。
また、被害にあった農地は広範囲にわたるが、種子を散布した際の痕跡や目撃例などが皆無であることから、未知の技術が使われた可能性が高い。これに関しては、近隣の住民が見慣れない機械の残骸を処理したと証言しており、その残骸の特徴からドローンの関与が疑われる。
なお、今後も他の場所で同様の被害が発生する可能性があること。被害が拡大した場合、紛争や戦争が誘発される危険性があることに特に留意が必要である。
***
――ドローンを動かしたのはオレの技術だ。
そんなことは信じたくなかったが、報告書をすべて読んで、そう確信した。
報告書には断定的なことは書かれていなかったが、ドローンが使われた可能性が高いと推測していたし、仮にドローンが使われていた場合、超高度な自動航行を実現しているだろうと推測している。さらに、その超高度自動航行システムを搭載したドローンが大量に投入されたのだろうとも書いてある。オレが知る限りそんなものは今まで存在していなかった。
しかし、それはオレの技術を使えば可能なのだ。
オレが開発したのは、簡単に言ってしまえば、超高精度、超高効率の物理演算エンジンだ。従来、スーパーコンピューターでしかできなかったような物理現象のシミュレーションをそれ以上の精度で、低コストかつ効率的に実現できる。
オレは自身が開発したこのシステムアーキクチャを「箱庭」と名付けていた。
「すごいですよこれはー。今は粗削りですけど、ゆくゆくは宇宙そのものをコンピューター上で再現できるかもしれないですねー」
バエルはそんなことを言っていたが、さすがにそれは言い過ぎだと思う。
それとも悪魔の力を借りればそんな途方もないことも可能なのだろうか。
それはともかく、この箱庭を使えば、現実世界の機械や、物質をコンピューター上で再現し、その挙動を再現することもできる。
コンピューター上で設計した機械を、そのままコンピューター上で挙動をテストしたり、機械学習をさせたりすることもできる。コンピューター上で実施した機械学習の結果を、現実世界で作動する機械のAIチップにコピーすれば、学習済みの機械の出来上がりだ。
現実に機械を作らなくても、コンピューター上で設計して、コンピューター上でテストも学習もできるのだ。しかも、現実世界よりもテストや学習を高速化できるし、並列で実行すればその分効率は上がる。
医薬品の分子構造とそれを作用させたい生体環境をコンピューターで再現すれば、医薬品が生体内でどのよう作用するかテストすることもできるだろうし、他にはゲーム用の物理エンジンへ流用することも考えていた。
といっても、まだまだシステムの改良もしたかったし、設計や機械学習に使うためのデータセットも全然足りていなかった。
箱庭で使うデータセットをすべて自前で用意するのはあまりに効率が悪いので、他の会社と技術提携して情報を提供してもらおうと考えていた。
そこで、ひとまずは極限環境下で作業するロボットや、人手が足りない分野での高性能ドローンのメーカーと業務提携契約を締結しようと準備をしていた。
そんな時、声をかけてきたのはとある軍事関連のメーカーだった。確か「アルコーン」という名前の会社だった。彼らはオレの会社との業務提携契約を持ち掛けてきた。こちらに有利な条件が並べられていたが、軍用技術に応用されるのがイヤだったので断った。アルコーンの代表は「いい話があるのだが……」と何か匂わせていたが、たぶんあれは「雑草」のことだったのだろう。
その数か月後、オレは身の覚えのない罪状で告発され、そのまま実刑判決を受けた。そして、オレの会社も箱庭も奪われた。
報告書を読んでから、改めてオレが立ち上げた会社の行方を調べてみたら、最終的にアルコーンが子会社化していたし、ドローン事業を立ち上げていた。
やはりあいつらだ。
オレに声をかけてきたとき、アルコーンはドローンの技術などほとんど持ち合わせていなかったはずだ。
ほとんど何もない状態から、ドローンでこんな大規模な作戦をこなせるようになるなんて考えられない。あいつらが箱庭を使って、秘密裡に、隠密性が高く複雑な作戦をこなせるようなドローンを作ったのだろう。箱庭を使えば学習を積ませるために現実に機械を作らなくてもいいので、機密情報を守りやすいし、テストを高速化できるので設計から製品を製造するまでの時間を短縮できる。結果、悪事が露見する可能性を低くできる。
そうして、作り上げたドローンを使って「雑草」の種子をばらまいたのだ。
***
ああ。これはきつい。
人間というのは、こんなことができるのか。
たぶん首謀者は悪事を働いているなんて思ってもいないのだろう。
ずいぶんと無邪気に、本当に悪気もなく他人を害するものだ……。
それに、考えうる限りで、最悪の使い方ではないだろうか。
不謹慎だが、正々堂々と人間を殺す兵器のほうが、まだましだと思う。
「雑草」をばらまいた奴等は、誰にもばれないように悪事を働き、その裏で自分たちの利益を貪るつもりなのだろう。こんな被害にあったら、被害者は誰を恨んでいいか分からまま貪られるのだ。
こんなのはあってはならないはずだ。
ああ、あいつらが憎い。
オレから箱庭を奪った奴も、それに協力した奴も、実際にこんなことに悪用した奴も全員殺してやりたい。
自分自身にもほとほと呆れ返る。よくも能天気にこんなものを開発していたものだ。
オレは本当に能天気だ。能天気にも「箱庭」は社会の役に立つものだと思っていた。
悪用される可能性なんて十分に考えられただろうに、何の対策もしていなかった。やろうと思えば奴等から死守することもできたかもしれない。
とはいっても、奴らからしても喉から手が出るほど欲しい技術のはずだ。オレが対策したとしても、遅かれ早かれ奴等の手に渡っていたのかもしれない。
そう考えるとやはりオレは箱庭を世に出すべきではなかったのだろう。
時間を巻き戻すことなどできないが、実際に被害にあった人たちを救ってやりたい。被害にあった農地は種子に汚染され「雑草」を駆除するには、これから途方もない努力を要するのだろう。
――オレの技術は呪われてしまった。
レトちゃんが「わたしたちは呪われている」と言っていたが、それと同じだ。
箱庭は呪われてしまった。
それにしても、彼女たちはこんなものを数千年も抱えているのか。
よく放り出さなかったと思う。
よく生き続けたと思う。
***
気付けば、魔王さまがテーブルの上に座ってオレの様子をうかがっていた。
魔王さまもレポートを読んだのだろう。魔王さまは、まるでオレを慰めてくれるかのように「にゃう」と鳴いた。
頭をぐりぐりこすりつけてくるので、オレも気が済むまで撫でさせてもらった。魔王さまはされるがまま撫でさせてくれた。
さて、きついが、そろそろ夕食の準備をしなければ。魔王さまに「ありがとうございます」と伝え席を立つ。
そこへバエルが地下の研究室から上がってきた。
「これ、マモンさんから」
そう言って、バエルに報告書のファイルを手渡した。
バエルは、オレの様子が気になったのかこちらの様子をうかがっていたが、すぐに報告書をパラパラとめくって内容を確認した。バエルはオレの様子がおかしい理由を察したようだったが、気分を入れ替えるように明るい声で言った。
「とりあえず、食事にしましょうか」
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