第29話 魔王さまは昔話する
小麦の値段が上がっている。
そして、小麦粉も他の小麦製品も値段だ高騰しているし、品薄だ。
うちの食卓もパンやパスタよりも、ご飯ものが多くなってきた。
ちなみに今日のメニューはエビピラフと山盛りサラダだ。
例の雑草について、現地で調査を行っている学者が、冬小麦にも被害が出る可能性があると発言したらしい。今回、被害にあっているのは春小麦で、寒冷な地域で栽培される。冬小麦はもっと温暖な地域で栽培されるが、冬になる前に種をまく。
その学者はこれから種がまかれる冬小麦にも被害が出る可能性があると発言したのだ。もちろん可能性はゼロではないだろう。ただ、どのくらいの可能性なのか分からない。しかし、市場も消費者もそういうニュースには過剰に反応する。結果、小麦の価格が高騰し、小麦製品は品薄になっているというわけだ。
ところで、うちにはコーヒー党しかいない。
バエルのおかげでオレもすっかりコーヒー党だ。
決してご飯ものがコーヒーに合わないわけではないが、やはりコーヒーにはパンとかマフィンとか小麦から作ったものがよく合うと思う。バエルは何も言わないが、パンがないと元気がないように見える。
そのせいか、オレがアップルパイを作ったと言ったら、いつになくはしゃいでいた。
「本当ですか? やったー! 早く食べましょっ。あ、私コーヒー淹れますね」
最近はコーヒーを淹れるのはオレの担当だったのだが、バエルは自分でコーヒーを淹れて、おいしそうにアップルパイを堪能していた。
こんなに喜んでくれるなんて、作ってよかった。
***
今日もレトちゃんは話を聞かせてくれるようだが、話を始める前にこう言われた。
「あの子は、自分の使命をケイに教えるつもりはないみたい。私からは教えてあげられないけど、今日は代わりの話をしてあげる」
そうか。残念だが、話してくれないのなら仕方がない。それに代わりの話を聞かせてくれるというのならそれはそれでありがたい。
そんなことはさておき、レトちゃんには、アップルパイのほうが優先だ。
アイスカフェオレとアップルパイ、コーヒーを用意して席に向かうと、レトちゃんはすでにバエルの姿をして待っていた。レトちゃんもアップルパイが楽しみだったようだ。猫の姿の時は甘いものを口にしないが、人間の姿の時は甘いものもいけるらしい。
「うん。おいしい」
にんまり笑ってそう言ってくれた。
アップルパイは、レトちゃんにも満足してもらえた。
***
「昔、この星にはもっと発達した文明があった」
アップルパイを食べ終えたレトちゃんは、そう言って昔話を語り始めた。
――三千年ほど前、この星は地球と呼ばれていた。
地球上には今よりももっと発達した文明があった。
今と同じ人間たちが築いた文明だった。
ほとんどの人間が争わずに仲良く暮らしていくことを望んでいた。
しかし、なぜだか人間たちは仲良くできなかった。
豊かになっても他人に嫉妬した。
ルールを平気で破った。
信頼を寄せられても平気で裏切った。
自分の利益のために平気で嘘をついた。
自分が正しいと思い込んで平気で他人を攻撃した。
もう十分に持っているのにさらに欲しがった。
便利になったのであらゆることが自分の思い通りになると誤解した。
積み重ねられてきた知識を使って兵器を作った。
やがて一部の人間たちは仲良く暮らしていくことをあきらめた。
群れるから争うのだ。
群れなくても一人で生きていけるような強い生命体になろう。
誰かがそう言った。
多くの人間たちがそんなのは馬鹿げていると思った。
しかし、賛成した人間も少なくなかった。
想像以上に多くの人間たちが他の人間にうんざりしていたのかもしれない。
そうして、人間をベースに新しい生命体が作られた。
その生命体は「新世代」と呼ばれた。
元々いた人間は「旧世代」と呼ばれるようになった。
新世代はたいていのことでは傷つかず病気にもならなかった。
新世代の身体能力は人間とは比べ物にならなかった。
新世代の知能や記憶能力は人間のはるか上を行った。
新世代は発達した文明で培われてきた科学技術を魔法のように使いこなした。
新世代は年とともに衰えることもなく滅多なことでは死ななかった。
だけど、一人で暮らしていくことのできた新世代は極々一部だった。
ほとんどの新世代は一人で生きていくことができなかった。
一人で生きていけるように作られたはずなのに、一人で生きていくことができなかった。
新世代は失敗だった。
失敗だったので、それから新世代は作られなくなった。
ほとんどの人間が旧世代のまま暮らした。
結局、ほとんどの新世代が旧世代の社会で一緒に暮らした。
そして争いはもっとひどくなった。
旧世代たちが、新世代たちの力を手に入れようと争った。
旧世代たちが、新世代たちの力を利用して争った。
全く関係のなかった旧世代たちも争いに巻き込まれた。
新世代と新世代が殺しあった。
やがて、大きな争いが終わった。
旧世代のほとんどは死に絶えてしまった。
生き残った新世代のほとんどは自分たちに絶望して自らを殺した。
自らを殺さなかった新世代は享楽的に生きるか、節制して生きるようになった。
新世代たちは互いにあまり干渉しないようになった。
新世代たちは老いることなく生き続けたが、子孫を残すことはなかった。
結局、この星の上には、少しの旧世代とほんの少しの新世代が残った。
発達させてきた文明のほとんどは痕跡すら残さず消え去った。
旧世代たちはずいぶんと数を減らしてしまったが、相変わらず争いをやめなかった。
それでも、少しずつ数を増やした。少しずつ文明を発達させた。
そうして、この星の上には、また人間たちが満ちた。
新世代は、旧世代に力を利用されるとろくなことにならないことを学習したので、旧世代とは距離を取って生活した。
仕方なく旧世代と交流するときは力を隠した。
一部の新世代は享楽的に生きていたので、たまに旧世代にちょっかいを出して楽しんだ。
運悪くその力を旧世代に利用されそうになった新世代は、調子に乗らないように旧世代を懲らしめた。
そうしているうちに、新世代は旧世代に悪魔と呼ばれるようになった。
新世代は自分たちでも悪魔を自称するようになった。
「わたしたちは失敗作。呪われている。だから悪魔と呼ばれるのにふさわしい」
レトちゃんは、悲しそうにそう締め括った。
オレは何も言えなかった。
「これでも、まだケイが悪魔になりたいと思うなら、その理由をよく考えてみて。たぶんそれがケイの生き甲斐であり使命」
レトちゃんはオレにそう迫った。レトちゃんからもらえる情報は、たぶんこれで全てだ。
「あの子の使命は、今話してくれた悪魔の歴史に関係があるんですね」
「ノーコメント」
レトちゃんは、答えてくれなかったが、つまり、そういうことだ。
もうオレは迷わなかった。
あの子の使命は分からないが、だいたい推測がつく。それにオレがやりたいことは分かった。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
レトちゃんにそう伝えた。
「ご飯」
オレの答えを聞くと、レトちゃんはにんまりと笑ったが、すぐに猫の姿に戻ってしまった。そして、疲れたのかその場で寝ころんでしまった。今日はここまでのようだ。
オレは、魔王さまのご飯の準備をすると、魔王さまを抱っこして、ご飯の前まで運んであげた。魔王さまはいつもと同じように、「うにゃうにゃ」とおしゃべりしながらご飯を食べていた。
魔王さまはなぜだかいつもより小さく見えたので、ご飯を食べおわった魔王さまをたくさん撫でてあげた。
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