第22話 男は思い悩む


 夜、食事の片付けが終わると自由時間になる。

 二人で翌日の食事の仕込みをしたり雑談したりすることもあるが、大抵は歯を磨いてシャワーを浴びたら、部屋に引っ込む。

 魔王さまとバエルは寝るのが早い。「おやすみなさい」といって早々に彼女たちの部屋に引っ込んでいく。

 オレも部屋に戻って、本を読んだり、バエルに教えてもらったことを復習したりする。

 ここには一般にいう娯楽はない。テレビは置いていないし、アルコールもない。しかし、これで問題ないのだ。

 バエルはアルコールよりもコーヒーのほうが好みみたいだし、オレはもともとアルコールを受け付けない体質だ。この喫茶店にも料理用以外のアルコールは置いていない。

 オレはアルコールが飲めないせいで夜の付き合いは苦手だったし、活字中毒だから本さえあれば娯楽には困らないタイプなのだ。だから、もともと仕事のない夜はこんな感じだ。

 会社を経営していたころは、忙しさにかまけて、あまり重要でない接待はお断りしていたし、他の者に任せていた。そんな性格だから、あんな目に会ったのかと思ったこともあったが、今となってはそんなのどうでもいい。もともとこんな性分なのだ。


 今日はバエルに教えてもらったことを復習してから、ベッドに横になった。ぼんやりと天井を眺めながら、先日のバエルとの会話を思い出す。


 先日、バエルに悪魔になる方法を尋ねたら、今のオレでは無理だと言われてしまった。そしてその時、バエルがオレに伝えた条件は二つあった。一つ目は心の傷を癒すこと。二つ目は、生涯を捧げられるような生き甲斐を見つけることだ。


 一つ目の心の傷を癒すことに関しては、案外簡単に解決しそうだった。

 バエルに相談したら、VRのヘッドギアのような装置を貸してくれた。この装置は、脳神経をスキャンして心の傷の原因となるようなシナプスを検出し、刺激を与えることで、それらのシナプスの接続を弱めたり、なくしたりできるのだという。一日あたり数十分、続けていれば効果があると言うので続けている。

 バエルは、「最初からこれを試してもよかったのですが……」と言っていたが、最初にこれを勧められても、オレは病んでいる自覚すらなかったから、続かなかったかもしれない。それに、バエルに色々教えてもらえたし、以前のように生活していたのでは味わえない達成感もあった。これまでの時間は得難いものだと思っているから全く問題ない。


 二つ目の生き甲斐については難しい。

 かつて、オレは自分の研究成果をネタに会社を興した。研究や開発は楽しかったし、慣れない会社経営は大変だったがやりがいはあった。オレの技術をきちんと完成させたいと思っていたし、色々な分野への応用も期待されていた。それに人々の役に立てることが誇らしかった。

 しかし、あの事件で研究成果も生き甲斐も誇りも全て残らずなくなってしまった。オレの手元には何も残らなかった。

 もう一度あんな情熱が持てるのだろうか……。

 オレもあの研究を続けられるものなら続けたいと言う気持ちはある。オレはもともと学ぶことが好きな性分だ。だからバエルと話しているときは本当に面白い。

 しかし、悪魔は不老不死だ。これから先、永遠に研究や学問に携わっていくことができるかと聞かれると、自信がない。分からない。

 人間の生涯はたかだか数十年がだが、悪魔は死なないのだ。この先、学問に費やしても、どこかで飽きてしまうのではないか。もういいやと思ってしまうのではないか。そんなことを考えてしまう。

 一方、バエルは何千年も知の研鑽に捧げていると言う。

 どうしたらそんなことが可能なのだろうか。バエルには使命があると言っていたが、それが彼女の支えになっているのかもしれない。そうだとすると、オレにも使命のようなものが必要なのだろう。

 それとも、そもそも、悪魔になろうなんてオレには過ぎた願いなのだろうか。

 あー、分からん。

 いずれにしても、生き甲斐だの使命なんてものは、いくら考えたところで湧いてくるものではない。これについてはいったん保留するしかない。


 それに、バエルは条件に挙げなかったが、オレは悪魔になるのに、もう一つのものを用意しなければならないと考えている。

 それは対価だ。

 バエルは、悪魔になるには改造手術のようなものを受けなければならないと言っていた。その改造手術の対価を用意しなければならないと思っている。

 悪魔に「お願い」するには契約を結んで取引をするか、暴力などで無理やりいうことを聞かせるか。二つの方法がある。このうち暴力は論外だ。オレはこの地獄で最弱なのだ。だから、契約を結ぶためにオレが支払うことができる対価を用意しなければならない。

 バエルは親切なので、オレが悪魔になるのに対価を求めないかもしれない。しかしオレは必要だと思う。オレは四十年も生きていないが、こういうことをにすると、後で思いもしないようなしっぺ返しが来ることは知っている。

 たまたま出会った人間に親切にされたら、「ありがとうございます」、「どういたしまして」で済ませることができるが、親しい人に親切にされたらそれで済まさないほうが良い。これから先、付き合いが続いていくのに、一方的に親切にされたままというのはよくないのだ。

 だからお礼として、何かしらの対価をきちんと提示しなければならない。

 そうは言っても、今のオレには差し出せるものは何もない。

 そもそも、改造手術がどれくらい大変なのかもわからないし、対価の相場も分からない。後払いとかでもいいのだろうか。

 対価をどうするかは、一度きちんと話し合った方がいいだろう。

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