第10話 悪魔との日常
今日、オレはアップルパイを作っている。
菜園でリンゴがたくさん採れたのでアップルパイを作ってみようとなったのだ。
今は、昨日仕込んでおいた生地を伸ばして畳んでを繰り返す工程だ。隣にはバエルがいて、逐一教えてくれる。
教えてもらう身の上なので、ノートを準備している。料理中教えてもらったことを後でまとめて、分からないことがあればバエルに聞くのだ。
ところで、この悪魔は、オレに親切にしてくれる。
バエルは、オレがこの地獄にいる間の衣食住と身の安全を保証してくれている。オレとしては世話になりすぎるのも落ち着かないので、家事の手伝いはオレから買って出た。そして、実際に家事をしてみて気付いたのだが、オレは家事ができない。実家暮らしも長かったし、実家を出てからは仕事の忙しさにかまけて家事などろくにしてこなかった。食材の切り方なんて忘れていたし、料理などとりあえず強火で料理すればいいくらいに思っていた。掃除や洗い物もひどいものだった。
バエルはそんなオレにも丁寧に教えてくれる。
悪魔を自称しているにも拘わらず、彼女はとても親切なのだ。オレに教えたりせずに自分でやった方がはるかに速いだろうに……。手伝いを買って出たのに却って邪魔をしているのではないかと思うと情けなくなってくる。
「なんでこんなに、親切にしてくれるんですか?」
聞くつもりはなかったのだが、なぜか口をついて出てしまった。そして、バエルはきょとんとした顔をしている。まあ、いきなり言われても分からないだろう。
「あー、いや。悪魔ってもっと意地悪なイメージがあったので」
とっさに誤魔化すように、そんなことを口走った。
バエルはしばらくオレの様子をうかがっていたが、やがて口を開いて、こんなことを言い出した。
「……なるほど。でも、悪魔にも親切心はありますよ? むしろ人間よりも親切かもしれません」
「そうなんですか?」
「ええ。まず、悪魔は基本的に好き勝手に生きるものです。けれど、それは親切心がないのとは別ですよね」
確かにそうだ。好き勝手にしていても、親切心がなくなるわけではない。
「それに悪魔は人間よりもいろいろな能力が高いですし、時間もありますから。目の前に困っている人がいたら、敵でもない限り、助けるくらいはすると思います」
悪魔は強者で、人間は弱者だ。だから、悪魔はむしろ施す側ということか。
「まあ、中には意地悪な悪魔もいますし、すべての悪魔が親切というわけではないですね。それに『人間より親切』と言うのはちょっと言い過ぎだったかもしれません。人間は自分を犠牲にしても他人に親切することがありますが、悪魔はそんなことはしません。悪魔が親切にするのは、あくまで自分に余裕があるときだけですね」
どちらがいいのかはオレにはよく分からない。余裕があるときに親切してもらえるだけでも十分な気もする。しかし、人間の社会では自己犠牲的な親切が必要とされる場合は確かにある。
「ただ、親切にされたからと調子に乗って、あれもこれもと要求するのはダメです。悪魔は指図されるのが大嫌いですから」
悪魔の親切心は自発的なものであって、他人から強要されるものではないと。
「へえ」
バエルの説明を聞いて心の中で唸ってしまった。面白い。「余裕があるから助ける」という悪魔の理屈はシンプルで分かりやすい。そういうさっぱりとした考えはむしろ好きかもしれない。ただ、人間は弱い。自分の余裕を度外視してでも人助けが必要になることもある。だから人間は愛とか道徳とかに思いを巡らすのだろう。オレはそんなことを考えていたのだが、バエルの話は終わっていなかったようだ。
「だから、ケイさんも私の親切に甘えていいんですよ? 心配しなくても、ちゃんと上達していますし」
また不意打ちされてしまった。どうやら、オレがバエルに迷惑をかけてないかと気にしていたことはお見通しだったようだ。
「それに、孫に教えているみたいで楽しいです」
バエルは悪戯っぽく笑いながらそう言った。
……孫。
そうだ。この悪魔は見た目通りの年齢ではないのだった。しかし孫のように思われていたなんて、なぜだか釈然としない。
それに、甘えていいと言われても、素直に「分かった」なんて言えるわけがない。たまに甘えるのもいいかもしれないが、甘えてばかりは嫌なのだ。
「ありがと。バーちゃん。でもオレ頑張るよ!」
もやもやした気持ちを抱えながらも、おどけたふりをして、そう言ってみた。以前、彼女がふざけて「バーちゃんと呼んでくださいね」と言っていたのを思い出したのだ。
バエルは一瞬びっくりしていたが、しかし次の瞬間にはケラケラと笑ってくれた。
アップルパイは美味く焼きあがった。バエルが丁寧に教えてくれたおかげだ。
アップルパイを作った後もリンゴはまだ大量にあったので、リンゴジャムも作ることになった。おかげでリンゴの皮むきは上達した。
***
魔王さまが苦手なので、この店には掃除機がない。だから、ほうきとモップで掃除しなければならない。二、三日に一度、朝食を食べてからバエルと一緒に掃除している。住居部分も含めるとだいぶ広いので、それなりに大変だ。
ただ、バエルによると実は楽をしているらしい。
何のことだろうと思ったら、ここでは、埃を出さない布や絨毯を使っているという。それに加えて、あのどこまで広がっているか分からない書庫は自動で清掃されるらしいし、他にも、使い魔が協力してくれたりするらしい。使い魔については、後で紹介してくれると言っていた。
布製品を使っていれば、必ず綿埃がでてしまうものだが、バエルによると、ここの布製品は綿埃を出さない加工が施されているらしい。現在の人間社会でも埃が出にくい布製品は作っているのかもしれない。しかしホコリを出さないというのは実現できていないはずだ。気付かないところに、とんでもないテクノロジーが使われていた。
言われてみれば、綿埃など見当たらない。床を指で拭ってみたが、指先にも綿埃はつかない。
ただ、綿埃が出ないとは言っても、生きていれば抜けていく髪の毛や、窓を開ければ入ってくる土埃を防ぐことはできない。だから掃除は必要だ。それでも、大部分はモップで軽く拭けばそれで済んでしまうのだ。オレは数日に一度のモップ掛けでも大変だと思っていたのだが、実は全然大したことではなかったらしい。
そして、この埃の出ない布製品は、実はバエルの研究の成果らしく「すごいでしょー。これには苦労したんですよー」と自慢げにしている。オレは、「ああ、確かにこれはすごいな」と頷くしかない。一見、普通の生地にしか見えないがどんな加工をしているのだろうか。
***
オレは、鶏の照り焼きと豚汁に挑戦している。これは今日のの夕飯のおかずだ。
鶏の照り焼きは、バエルが以前レシピ本を貸してくれた時に「これが食べたいです」と言っていたメニューだ。バエルのリクエストなので、彼女の手伝いは断った。
一人で料理に取り組んでみたわけだが、オレはまだ料理の段取りが分かっていない。
今回も豚汁の具を切っていたら、照り焼きをちょっと焦がしてしまった。
後でバエルに聞いてみたら、「料理に使う具材は全部先に切っておくといいかもしれません」とアドバイスをくれた。他にも、汁の具を煮立たせている間に肉を焼くといいとアドバイスしてくれた。そうすれば、どちらかが吹きこぼれたり、焦げそうになったりしてもすぐに気付けるという。なるほど。
照り焼きはちょっと焦げてしまったが、その部分はオレが食べることにして、バエルにはきれいに焼きあがったところを食べてもらった。味は悪くないと思うがどうだろう。
「うん。ちゃんと上達していますね。美味しいですよ」
バエルは嬉しそうに褒めてくれた。
バーちゃんに褒められてオレはちょっと嬉しかった。また、リクエストを聞いて作ってみよう。
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