第9話 悪魔の商人

 涼しくなってきた。


 バエルに、本格的な冬になる前に、暖炉で燃やすための薪を用意してほしいとお願いされたので、身支度をしてから一緒に裏庭に向かう。

 オレの今の出で立ちは、動きやすいオーバーオールに長袖シャツ、足には長靴。手には滑り止めの効いた手袋をはめている。これはバエルが用意してくれたものだ。一方のバエルは、今日は教えるだけのつもりだけのようで、いつものブラウスにスカート、エプロン姿だ。


 裏庭にはすでに割られた薪が大量に積まれている。聞いてみるとあれは、今年の冬用で、これから割るのは来年以降の薪なのだという。

 薪は十分に乾燥させないと火力が出ない。そして普通は割ってから一年以上乾燥させる必要がある。冬は乾燥していてよく乾くので、冬になる前に薪割りを済ませるのだそうだ。

 目の前には、切断された丸太が大量に積まれており、傍らには斧が置かれている。

 まずバエルがお手本を見せてくれた。華奢な体で斧を軽々と持ち上げ、コンッコンッとテンポよく割っていく。華奢に見えてもこの子は悪魔だった。腕力もすごいし、汗一つかかない。

 オレも斧を借りて試してみるが、当たらない。当たっても割れない。

 コツを聞くと、バエルはしばらくオレのフォームを確認してから、オレの姿勢やフォームを手ずから直してくれた。それから、とにかく斧頭を丸太に真上からまっすぐ命中させるのが大事だと教えてくれた。

 オレはとにかく割ってやろうと力を込めて振り下ろしていたが、それで却って命中しにくくなっていたようだ。思い切り力を込めなくても、きちんと当たりさえすれば斧頭の重さで割れるのだという。木材の種類によっては、それだけでは割れないこともあるそうだが、バエルは初心者のオレのためにまずは割りやすい木材を用意してくれているようだ。


「なかなか筋がいいです」


 言われた通り練習していると、なんとか割れるようになった。まだまだへろへろとぎこちないが、バエルはほめてくれた。

 バエルには別の用事があるようで、「冬まではまだ時間がありますし、少しずつでいいので」と言って先に戻っていった。


 薪割りをしているとたちまち汗だくになってしまった。それでも、そのまま一時間ほど続けると、さすがに喉が乾いた。だから、一度水分を取ろうと店に向かう。

 裏口から厨房に入ったら、店側から声が聞こえる。誰か来ているようだ。


 店を覗くと、スーツをかっちり着こなし、髪をオールバックにした、いかにもビジネスマン風の男が目に入った。

 男は席から立ち上がろうとしている。直前までバエルと話をしていたようで、ちょうど帰ろうとしているところに出くわしたようだ。


「やあ、君が新しいお客さん?」


 男は、立ち上がったところで、こちらに気付いたようで気さくに声をかけてきた。

 汗だくだったので、あまり出て行きたくなかったが、声をかけられてしまっては仕方ない。「ええ。こちらでお世話になっています」と言いつつ男のほうへ向かうと、男は急に態度を変えて「ああ、すみません。もう帰らなくてはならないので、挨拶は今度ゆっくり。魔王さまとバエルちゃんのことよろしくお願いしますね」と言って、慌ただしく帰っていった。


 何か失礼なことをしただろうかと思っていたら、バエルが「ケイさんが汗だくだったので気を使ってくれたんでしょう」と教えてくれた。

 お昼になるし、とにかく汗を流して来いと言われたので、水分を補給してからバスルームに向かった。シャワーを浴びて着替えて戻ってくると、バエルが昼食の支度をしていたので手伝った。

 今日の昼食はBLTサンドと山盛りサラダにミックスジュースだ。

 BLTサンドにかじりついていると、バエルから午後の「お話」を中止にしてほしいと言われた。


「中止は構わないですけど、急にどうしたんですか?」

「実は先ほど急ぎの仕事を頼まれたんです」


 あのビジネスマン風の男は、実は悪魔で、名前をマモンと言う。お金儲けが大好きなのだそうだ。バエルとはビジネスパートナーで、たまに情報交換をしたり、お互いに仕事を依頼しあったりするという。

 今日は、情報交換と仕事の依頼をしようと店まで来てもらったところ、逆に情報の分析の仕事を依頼されたそうだ。急ぎの仕事らしく、午後は、その仕事に充てることにしたようだ。

「悪魔の商人ですか」

 ふいに頭に浮かんだので口走ってしまったが、なかなか不穏な響きだ。バエルは、それを聞くと「面白いこと言いますね」と言って、ころころ笑った。


「でも、大丈夫ですよ。人間の商人のほうがよっぽど悪辣です。マモンくんは武器も麻薬も人身も扱いませんから」


 マモンは、人間社会に溶け込んで生きている悪魔だが、人間の決めたルールや制約に従って、どれだけ稼ぐことができるかを楽しんでいるのだそうだ。人間の決めた法律やルールには従うし、人間のように法律の抜け穴を探し当りしない。何なら人間以上にルールや道徳を守っている。さらには商売には悪魔の能力は使わないという徹底ぶりだ。バエルが彼から依頼された情報の分析も、バエルよりも時間はかかるものの人間でも十分対応可能なレベルの仕事らしい。


「そういえば、ケイさんの財産をマモンくんに投資しておきました」


 バエルからマモンへの仕事の依頼というのはそのことだったようだ。

 バエルはオレが国に残してきた財産を整理して、マモンの事業に投資したのだという。そういえば、少し前に財産のことを聞かれたり、書類にサインさせられたりしたが、もう対応してくれたのか。

 運用益は、生活費にも充てられるが、オレがいつかここを出て行くときに渡してくれるための金も、それを充てる予定だという。

 国に残してきた財産などとっくに諦めていた。回収しようとも思っていなかったし、失踪扱いになって何年かしたら死亡認定されて、オレを捨てた遺族が相続するものだと思っていた。どうせ使っていない住居や、塩漬けになった有価証券だ。有効活用してくれるならばありがたい。


 バエルがマモンから依頼された仕事もそれなりのお金になるという。

 この悪魔たちは、人間と関わらない生活を送っていると思ったが、その気になれば、ちゃんと人間の金を稼ぐこともできるようだ。食糧庫に補充される食材も人間から仕入れているもののようだし、支払いには当然人間の通貨が必要だ。不思議に思っていたが、こうして稼いでいたのか。

「マモンくんは、商売がうまいですからねー。きっといっぱい儲けてくれますよー」

 バエルは、「ふふー」と口許を緩ませていた。本当に、よくできた悪魔である。


 ***


 ところで、この喫茶店の地下は、バエルの書斎と研究施設がある。バエルはこれから、その地下の書斎でマモンから依頼された仕事をこなすという。「何かあったら、地下にいるので呼んでください」と言われている。

 オレは、午後の空いた時間で薪割りの続きでもやろうと思っていたのだが、「あまりやりすぎると、筋肉痛がひどくなりますから」とやんわり制止された。ならばと、オレは書庫に行って、本を漁ることにした。

 書庫に行ってみると思ったよりも広い。というか奥が見通せない。限りなく続いているように見える。知恵の悪魔の書庫である。どこまでも広がっていてもおかしくない。書庫と言うより大図書館と言う方がふさわしい気がする。

 ちょっとワクワクもするが、怖くもある。不用意に一人で探検して行方不明にでもなったら馬鹿みたいだし、今度バエルに頼んで、案内してもらおう。

 とりあえず、今日は入口に近い所で本を物色しようとうろついてみる。人間の図書館と同じ分類で整理されているようだ。絵本や画集、写真集の類も置いてあった。学術書が充実しているようだし、現在発行されている学術系の雑誌をまとめたファイルも置いてあった。ほとんどの本は世界の主要言語で書かれたものだったが、まったく見たことのない文字で書かれている本もあった。

 最近出版された本も置いてあるようで、昔よく読んでいた有名作家の小説が目に留まった。

 今日はそれを読むことにしよう。薄めの文庫本なので、二、三時間あれば読めるはずだ。書庫には読書用の机と椅子も用意されていたので、そこに腰を落ち着けた。


 夢中になっていたようで、読み終わってみれば、夕方近くになっている。

 もういい時間なので読書は止めにして立ち上がろうしたら、背中と腕が固まって動かない。薪割りの筋肉痛だろうが、これは想像以上だ。思えば運動などろくにしていなかったので、いきなりの重労働に身体が追いついてこないのだろう。

 それでもどうにか無理やり動かして、本を棚に戻してから店まで戻った。

 そして、痛みを我慢しつつも夕飯の支度をしていたら、バエルも仕事が片付いたらしく、地下から上がってきた。

 バエルがオレのぎこちない動きを見てケラケラと笑うので、痛みを我慢してロボットダンスを披露してみた。するとバエルはもっと笑ってくれた。

 バエルはその後、筋肉痛によく効くという薬をくれた。悪魔の薬はよく効いた。おかげで、翌朝には筋肉痛は治まっていた。

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