第8話 人を食った悪魔

 包丁など家庭科の授業で握ったくらいで、料理などろくにしたことがなかった。だが、家事を手伝うことになったので、簡単なレシピから練習している。

 そういえば、バエルがオレのためにエプロンを用意してくれたので、家事をするときはそれを身に着けている。


 それで、今日は海苔トーストを作ってみた。

 これは、以前、地元の喫茶店で見かけて気になっていたのだが、結局食べずじまいだったものだ。オレがリクエストしていた食材が食糧庫に補充されるようになったので、昼食の一品として挑戦してみたわけだ。


 完成したトーストをかじってみる。

 ……うん、これは悪くないのでは? 食パンとバターと焼き海苔、それぞれの風味が香ばしいし、一体となって味を引き立てている。コーヒーにもよく合うし、バエルもほめてくれた。


 カランコロン


 バエルと二人で海苔トーストとサラダとコーヒーの軽い昼食をとっていると、ドアベルがカランコロンと鳴った。

 入口を見やると、丸眼鏡で口髭をはやした小柄なおじさんがこちらを見ていた。

 おじさんはチェック柄のしゃれたジャケットを身に着けて、ヒゲをきちんと整えている。オレが観察しているうちに、おじさんは、つかつかとこちらに寄ってきて口を開く。


「それは何だ?」


 いきなりそんなことを聞かれた。

 なんのことか分からずないので答えられずにいると、おじさんは手を伸ばし、皿に残っていた海苔トーストを奪った。そうして、おじさんは立ったまま海苔トーストをがつがつと貪るように食べてから、ひとこと言い放った。


「まあまあだな」


 なんなのだ、このおっさんは?

 バエルも驚いていたようだが、「また、あなたは……。とりあえず、そちらに座ってください」と、ため息をつきながらもカウンター席を勧めている。このおっさんは、一応はバエルの知り合いらしい。席を勧めたということは、この店の客なのだろうか。


「同じものを」


 おっさんは席に着くなり注文した。

 バエルは文句を言うでもなく厨房に向かう。

 バエルが厨房へ向かう前にオレと視線を合わせてきたので、オレも厨房へ向かった。たぶんオレに海苔トーストを作ってほしいのだろう。

 オレが食材を用意している横で、バエルはコーヒー豆を挽き始めた。


「海苔トーストセットです」


 この喫茶店にはメニュー表はないので、これは適当だ。おっさんの前に海苔トーストとサラダ、コーヒーを置くと、今度は「いただきます」と言って食べ始めた。行儀よく食べることもできるようだ。

 おっさんがもぐもぐと海苔トーストを食べている前で、バエルがおっさんのことを紹介してくれる。

「このおっさんも悪魔なのです」

 変なおっさんだとは思ったが、やはりである。そして、バエルもおっさん呼びだし、扱いもぞんざいだ。一方で、おっさんは自分の話なのに、特に気にするでもなく食べるのをやめない。

 バエルによるとおっさんの名前はベヘマといい、食べることにこだわりがあるという。以前は、なんでもいいからとにかくたくさん食べられれば文句はないという感じだったが、最近は量よりも味にこだわっているようで、暇ができると新しい食材や味を探しているそうだ。

 海苔トーストを食べるのは初めてだったようで、「面白い組み合わせだ」と感心していた。


 オレの母国の人々も食に関するこだわりには並々ならないものがあったので、母国は食べ物の情報にあふれていた。それを思い出しつつ、珍しい料理や食材についておっさんにいろいろ教えてやった。

 おっさんは、殺人級のデスソースとか、世界一くさいと言われる缶詰に興味がわいたようだったし、揚げバターの話をしたときは、変な顔をして、「人間ってやっぱりバカなのかな」と言っていたが、興味はあるようだった。

 とくにフグの卵巣のぬか漬けの話には食いついていた。「やはり人間は侮れない」としきりに感心していた。


 おっさんは、海苔トーストを食べ終わると、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言った後、カウンターに大金を置いて帰って行った。これから、オレの母国に向かうと言っていた。そこにしばらく滞在して色々な料理を探してみるのだという。

 フットワークが軽いことだ。


 それにしてもなんだか疲れた。おっさんのインパクトがすごすぎたのだろう。そのせいで忘れていたのだが、そういえば、オレたちは昼食の途中だった。

 海苔トーストはおっさんに奪われてしまったし、何か作ろうか。


「助かりました」


 バエルに何を作ろうか相談しようと思ったら、唐突にバエルにお礼を言われた。はて何のことだろう。

 聞けば、今日はすんなり帰っていったが、あのおっさんはいつも突然押しかけてきては、バエルの作った料理を代わり映えしないと文句を言ったり、こちらが興味のない話を延々と続けたりするので、たいへん面倒くさいのだという。しかも、料理が気に食わなければ、礼も言わず、支払いもせずに帰っていくという。先ほどは、あんな大金をポンと置いていったので驚いたのだが、あれは海苔トーストと食べ物の情報に対するおっさんなりの対価だから問題ないのだそうだ。


 そうか。面倒くさいおっさんの相手をしたからお礼を言われたのか。


「人肉牧場の相談をされたときは本当にうんざりしました」

「人肉牧場?」


 不穏な単語が出てきたので、思わず聞き返してしまったが、すぐに聞かなければよかったと後悔した。

 なんでも、あのおっさんは、ふとした機会に人肉を食べたことがあり、それはたいへんに美味しかったらしい。そこでおっさんは人間を飼育して、好きな時に食べてやろうと人間牧場を計画したのだが、上手くいかない。人間は成長するのも遅い上に、ストレスに弱い。過度なストレスにさらさると肉の質が落ちる。人間は将来のことも分かってしまうので、食用に育てられていると分かれば、それだけでストレスになってしまう。

 それで、どうにかしたいと相談されたそうだ。

「うぇ」

 変な声が出た。確かにそれはうんざりする。

「悪魔は危険なのです。あなたは魔王さまと私のお客様なので手を出されなかったですが、そうでなければ食べられていたかもしれません」

「えぇ」

 また変な声が出た。

 だが、そうすると、あのおっさんをあのまま見送ってよかったのだろうか。あの国にはいい思い出はないとはいえ、オレの話を聞いて出かけて行った先で人間を食料にされたらいい気分はしない。

「まあ、最近は、人間を生かしていたほうが面白そうと思っているみたいですから、たぶん大丈夫でしょう。もっとも、あのおっさんを怒らせたりしたら分かりません」

 バエルは他人事のようにそう言った。そこに人間への同情は感じられなかった。まあ、あのおっさんは何を言っても聞かないだろう。

 だが、そうか。バエルも悪魔なのだ。オレには親切にしてくれるが、決して人間の味方などではないのだろう。


 そういえば、ここで世話になるようになってから、敷地の外には出たことがなかったので、他の悪魔に会ったことはない。悪魔が危険と言うのなら、外出しないほうがいいのだろうか? 運動不足気味だし、あたりをジョギングしたいと思っていたのだが……。

「地獄にいる間の身の安全は保証すると言ったでしょう。他の悪魔はケイさんが我々のお客様だと分かりますから、手を出してくることはないですよ」

 頼もしいことを言われた。

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