第7話 悪魔との生活

 喫茶店の二階が居住スペースになっていて、オレは階段から一番近い一室を貸し与えられた。

 魔王と悪魔との生活が始まったが、この悪魔たちは、意外なほど健康的な暮らしをしている。


 契約した日の翌朝。

 起きて下に降りると、魔王さまがいた。足に身体をこすりつけてご飯を催促してくる。猫用ご飯の場所をおしえてくれたので、皿に盛って置いてあげると「うにゃうにゃ」とおしゃべりながら食べはじめた。

 おいしいそうでなによりだ。


 魔王さまが食べおわるのを見届けてから、バエルを探そうと立ち上がると、ちょうど表から声が聞こえてきた。

 どうやら外にいるようだ。ドアを開けてのぞいてみたら、バエルは二羽の大きなカラスに餌をやっていた。普通のカラスより一回りは大きい。たぶんワタリガラスという種だろう。大きくなると聞いたことがある。

 ワタリガラスは頭がいいと聞いたことはあったが、ペットとして飼っているのだろうか?


 バエルはこちらに気付くと、「あら、おはようございます」と挨拶してきた。

 そして、こちらが驚いているのを見て、「お客様にご挨拶なさい」とカラスたちに促している。

 カラスたちが、バエルの腕と肩に止まって、それぞれ「アー」「アー」と鳴いた。オレに挨拶してくれたようだ。

「こちらは使い魔のふーちゃんとむーちゃんです。かわいいでしょう」

 バエルがそう紹介してくれる。

 こんな大きなカラスがかわいいとは思えなかったが、とにかく挨拶は返さなければとバエルとカラスたちに向けて挨拶する。

「……ああ、おはようございます。ケイです。よろしくお願いします」


 この大きなカラスたちは、ペットではなく使い魔だった。使い魔が何なのかは後で聞いてみよう。


「ご飯を上げてみませんか?」


 バエルはこちらがまだ固まっているのを見ると、餌をやってみないかと提案してきた。

 餌は殻を取り除いたクルミだ。カラスたちはこれが好きらしい。

 一番の好物はクルミだが、他のナッツ類や、鶏肉や魚なども好きなので、そういったものを上げることもあるのだそうだ。

 クルミを二つ、手にのせて待ってみる。しばらくそうしていると、危険がないとわかったのか、二羽はクルミをついばんで、ひとのみにしていた。食べ終わると、お礼のつもりか「アー」、「アー」と鳴いて、飛び立っていった。


「ちょっと手伝ってください」


 カラスたちを見送った後、朝食の前に、店の裏手の菜園に案内された。結構大きな菜園で、色々な野菜や果樹が植えられている。ここで、バエルに教えられながら、野菜を収穫した。いま収穫した野菜は朝食のメニューになるらしい。

 そういえば、昨日の夕食のサラダは山盛りだった。ここの野菜を使っていたのか。


 悪魔がどんな暮らしをしているのかなんて、今まで聞いたことはなかったが、魔法を使ってなんでも解決するイメージがあった。

 しかし、この悪魔たちは外の世界の人間たちと変わらない暮らしをしているように見える。

 どこから電気を引いているのか分からないが、洗濯機や冷蔵庫を使っているし、その他にもエアコンやウォシュレットなども揃えていた。ガスも水道も普通に使えるようにしていた。

 ただし、テレビと掃除機はおいていなかった。


「テレビは時間を食べる悪魔ですから」


 理由を聞くとまじめな顔で返された。

 掃除機は魔王さまが苦手なので置いていないそうだ。



 そして、これはしばらく暮らしてから気付いたのだが、悪魔たちは買い物にいく様子がない。野菜は菜園で賄えるが、他の食材や魔王さまのご飯はどこかから調達してこなければならない。買い物に行くわけではないのに、どうしているのだろう?

 聞いてみると、厨房の脇にある食糧庫に自動的に食材が補充される仕組みになっていると教えてくれた。ここは魔法仕様のようだ。

 ともかく、なにか食べたいものがあれば調達してくれるらしい。しかも、食材以外のリクエストも対応してくれるという。

 ……よくしてくれるのは本当にありがたいのだが、これでは「ヒモ」みたいだ。あまり世話になりすぎるのも落ち着かない。

 だから、バエルの手伝いをすることにした。家事も野菜作りも経験がないが、何か手伝えることがあるだろう。

 そう伝えるとバエルは「それは助かります」と喜んでくれた。

 それから、バエルは、参考にと何冊かレシピ本を貸してくれたのだが、その時に鶏の照り焼きを指さして「これが食べてみたいです」とか言っていた。……ちゃっかりしている。まあおいおい挑戦してみよう。


 ***


 オレから人間のことを聞いたり、オレと議論したりすることを、バエルは、「お話」と呼んでいた。

 お話は、たいてい店のテーブルに座ってコーヒーを飲みながら進んでいく。魔王さまは、たいていお話が始まるとオレの膝に収まって、お話の途中は寝ている。お話が終わるころには目覚めて降りてくれる。

 オレは、魔王さまを撫でながら話すことが多いが、バエルはお話の途中でノートを取ったり、考え込んだりしている。テーマはその時によってさまざまで、数十分で終わることもあれば、二時間ほど続くこともある。一日のうちにお話の時間が何回か取られることもあるが、根を詰めて何時間も続くことはない。こちらの集中力が続くようにペースを考えてくれているようだ。


 とりあえず、空いた時間は家事をしたり、菜園で野菜を収穫したり、庭の掃除することにしている。書庫の本も自由に読んで構わないというので、今度物色してみようと思っている。


 お話は契約した日の翌日から始まったが、初回はあの事件のことを聞かれた。

 いい思い出ではないので、あまり話したくなかったのだが、この悪魔は聞き上手で、オレはいつの間にか話してしまっていた。

 最初は、バエルの質問にポツリポツリと受け身で答えていたのだが、終わるころにはオレが話す合間に、たまにバエルが質問をさしはさむ形になっていた。オレは夢中で話していたように思う。気付けばオレの会社の事業内容はもちろん、色々な人間関係や法律関係、マスコミの報道なんてものまで、洗いざらい話していた。マスコミや裁判の話をするときは愚痴のようになってしまうこともあったが、バエルはきちんと聞いてくれた。

 この悪魔はやはり相当に頭がいい。専門的なこともたいてい頭に入っているようだし、質問もポイントを押さえていて鋭かった。


 ともかく、バエルはオレの話をきちんと聞いてくれた。

 決してオレの味方になってくれたわけでも、オレに同情しているわけでもなかったが、事件が起きてからは、ずっとオレのことを悪い奴と決めつけてくるヤツらばかり相手にしていたので、バエルのような態度は却って新鮮だった。

 だから、うれしかったし、ちょっと救われた気もした。


 ***


 家事の手伝いをすると言っても、最初は何を手伝えばいいかさえ分かっていなかった。そんなオレにバエルは少しずつ教えてくれた。数日もすると、スープの具材のカットや、サラダの盛り付けを任されるくらいにはなった。洗い物や食器の片付けも分担している。


 その日の夕食は、オムライスと山盛りサラダとスープだった。

 家事を始めたばかりなので、オムライスの手伝いはタマネギをみじん切りにするくらいだったが、サラダはオレが盛り付けまで担当した。


 オレはふと気になって、他の悪魔もこんな生活をしているのか聞いてみた。

 オレには悪魔はもっと荒んだ生活をしているイメージがあったのだ。

 ただの偏見でしかないのだが、それでもたいていの人は、悪魔がこんな健康的な生活をしていると聞いたら驚くと思う。


 バエルは、「悪魔にも色々いますからね」といって、説明してくれた。

 悪魔の中には、自堕落に暮らしているのも、淫蕩にくらしているのもいる。人間社会に溶け込んで生活しているのもいれば、何もせずひきこもっているのもいるのだという。悪魔という種族はとにかく頑丈なので、その気になれば食べなくても寝なくても生きていられる。実際そうして生きている悪魔もいるらしい。しかし、そうは言っても、曲がりなりにも生き物なので、食事も睡眠もとったほうがいいのは変わらないらしい。

 中にはひたすら絵を描いている者もいるし、瞑想に没頭しているのもいるという。普段は休眠して過ごして、年に数日だけ活動するのもいるらしい。


 色々な悪魔がいるが、ともかく、バエルたちは「こういう生活が好き」なのだという。

 オレも、こういう生活は悪くないと思った。忙しく働いていたころは、使った食器を洗わずにシンクにほったらかしにしていたり、冷蔵庫に買っておいた食料を腐らせたり、とりあえずあるものを腹に詰め込んだりしていたが、ここではそういったことはない。

 なんというか、きちんと生きている気がする。

 事件が起こるまでは、仕事は充実していたはずだし、生活にも不満はなかったはずだが、どこかで罪悪感や違和感があったのだろう。そういう心境もあって、家事の手伝いを申し出たのかもしれない。

 そんな理由を説明するのはなんとなく気恥ずかしかったので、「私もこういう生活は悪くないと思います」とだけ伝えた。

 バエルは「それはよかったです」と言って、ちょっと嬉しそうにしていた。

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