第2話 十八のとき

 萌える青葉を五月雨が撫でる。

「ゲーセン行こうぜ!」

 ホームルームを終えた教室で、クラスメイトが盛り上がっている。

 愁也はスマートフォンでバスの時刻表を確認しながら、彼らの話を聞き流していた。

「あいつは?」

「あー」

 ひとりが言葉を濁した。皆の視線が注がれている気がしたが、愁也には関係ない。

 愁也は、椅子の背もたれにかけていた学ランに袖を通し、リュックサックを持って、いそいそと教室を出た。

 頭の中は、スーパーで買うものと帰宅後の楽しみで晴れ晴れとしている。それに、本屋にも寄りたい。

 スーパーも、本屋も、ゲームセンターも、駅前のショッピングモールに併設されているので、結局行き先はクラスメイトと同じになってしまう。



 3年前、村は隣の市に合併という形で吸収された。

 村には高校がないから、本数の少ないバスに乗って市の中心の高校まで通学する。遊び場は、駅前のショッピングモール。駅直結だから、雨の心配もない。



 愁也は駅でバスを降り、ショッピングモールの本屋に向かった。

 通い慣れた店内で、足は自然といつものコーナーに向かう。

 スイーツレシピの本。近くには男性向けの料理本もあるから、気兼ねなく本を眺めることができる。

 パフェの構成の本を立ち読みしていると、名を呼ばれた。

「愁也?」

 愁也は顔を上げ、相手の顔を見て目をまるくした。

冬悟とうご、久しぶり」

「久しぶり、愁也」

 同じ村で生まれ育った同級生、楠木冬悟だった。

 保育園、小学校、中学校は同じだったが、高校は別々になった。

 ダークネイビーにシルバーのラインが入った学ランを着用する冬悟は、洗練された雰囲気がある。

 冬悟は格好良くなった、と愁也は思った。おバカ高校の田舎丸出しの学ランの愁也と違い、冬悟の高校は県内でも指折りの偏差値の高さで進学校なのだ。

「愁也、よくここに来るのか?」

「けっこう来るよ。今まで会ったことなかったな」

「俺もよく来るけど、意外と会わないものなんだな」

 今まで会わなくてよかった。愁也は、心のどこかでそう思ってしまった。

 ――トウゴがかわいそうじゃん!

 保育園時代、級友に言われて口を閉ざした冬悟を、愁也は今も忘れられない。

 愁也は本屋で何も買わず、冬悟は公務員試験の問題集を購入した。

「公務員試験、受けるんだ?」

「うん。この後、そこの予備校で講義」

 冬悟は愁也に着いて、スーパーまでついてくる。

 愁也が目的の食材を見比べている間に、冬悟は菓子パンを買い、また愁也のところに戻ってきた。

「ずっと疑問だったんだけど」

 核心をつかれたような気がして、愁也は手に取った商品を落としそうになった。

「ヒメって、生まれてすぐに神社に来るものじゃないんだな」

 話の内容を聞かれることはないだろうけど、愁也は小声で答える。

「昔、失敗した例があったらしいぞ。生まれたときに髪が白かった女の子がふたりいて、ひとりは、すぐに神社で引き取った。そしたら、その子は5歳を過ぎて黒髪になってきた。もうひとりの子は白いままだったけど、病気で亡くなったとか。それがあったから、ヒメらしき子が生まれてもすぐに引き取らないんだと」

「ああ、だから」

 それだけ言って、冬悟は口をつぐんだ。

 スーパーを出ると、愁也のクラスメイトとすれ違った。皆、避けるように愁也を一瞥する。

 愁也の家はヤバい一族だ、という噂が高校で流されてから、愁也は輪の外側にいるような感じになっている。



 雨に濡れた神社の石段を、いそいそとのぼる。

 ただいま、と声をかけるが、返事はない。奥の部屋で、楽しそうな声が弾んでいた。

 愁也は台所で荷物を下ろした。

 あらかじめ下準備しておいた材料を冷蔵庫から出し、スーパーで買ったチョコレートを湯煎する。

 あらかじめ下準備しておいた、オレンジコンフィに湯煎したチョコレートをくぐらせる。

「愁也、おかえりなさい」

 花が咲いたような愛らしい声で呼ばれ、愁也は作業の手を止めた。

「ただいま……っ!」

 息をのみ、その拍子にオレンジコンフィをボウルに落としてしまった。

「その格好」

「おばあちゃんに着付けしてもらったの」

 変かな、と恥じらう彼女に、愁也は正直な感想を述べた。

「似合うよ……ヒメ」

 色とりどりの小花がこぼれるチョコレート色の振袖に、渋い橙色の女袴姿の彼女。金にも銀にも映える長い髪はハーフアップにされて、つまみ細工の簪で飾られている。化粧もしている。

 くっそ、可愛い!

 言えないけど。

 ヒメとして神事に関わる少女は、長じてもなお、可愛いままだった。

「あ、あのね、おとうさんとおかあさんが、お寿司とケーキを買ってくるって! おじいちゃんもお仕事を終わらせてくるって!」

 彼女は愁也の手元を覗き、オパールのような光を宿した瞳を一層輝かせる。

「オランジェットだ! 美味しそう!」

「どうぞ」

 愁也は、完成したオランジェットをひとつ、彼女に差し出す。

 彼女は、白く細い指でオランジェットをつまみ、口に運んだ。鼻歌がこぼれ、愁也も思わず笑みをこぼしてしまう。

 ――俺が彼女を守るんだ。

 幼い頃から何度も誓ったことを、再三自分に言い聞かせる。

「お誕生日おめでとう、ヒメ」

 疼く咽喉に気づかないふりをして。

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