第8話 圧倒的な数、数、数!
この
しかし自由を
誰かと約束をし時間を守るという行為そのものが日々の生活から抜け落ちている彼にとって、寝坊は普通のこと。いわば当たり前なのである。
朝を知らせる小型の魔物が外で鳴いていた――
ようやくパチっと目を開けたファブリックは、いつものように大きく伸びをしてからあくびをした。転生前に愛用していたナイトキャップを模して作った帽子を脱ぎ、緑色鉱石を加工して作った自動歯磨きカップを口にくわえる。
ウィィィィンと震える心地良い振動に脳と眠気を揺さぶられながら、パジャマを脱ぎ捨てる。それでもなお、ファブリックの脳には約束のやの字もない。
さて、今日は何をしよう。ウィッチを倒した後に見つけた鉱石の解析をしてみようかな? 頭の中はワクワクで溢れている。
しかしここでようやく首を
天気が良いから洗濯か?
それとも草刈り用
うーむと唸りながら首の角度が90度まで傾いたところで、ようやく思い出す。
ああ、アレじゃん……と。
「やっべ、完全に忘れてたわ。うっわ、もう時間とっくに過ぎてんじゃん! あの理不尽姉ちゃん怒ると激コワじゃん。ヤッベー、目ぇ付けられるぞ、どうすっかな、どうしたもんか」
このままサボってしまおうか。きっと激ギレされるだろう。
後日謝罪する? きっと激ギレされるだろう。
これから王都ギルド本部に行って謝罪?
きっと後で激ギレされるだろう。
ならばシレッと途中参加?
激ギレはされるだろうが、職務中ならまだどうにか誤魔化せるか??
脳内でそろばんを弾いたファブリックは、新調したリュック型の入れ物にスフィアとミミズ用αをありったけ詰め準備を整えた。どうせ怒られるならば、直接謝罪するのがベストに決まっている。
青色鉱石を加工し作った冷凍庫から二食分のパンを取り出し、モニュモニュと
「こっからペリテ運河の仮本部までは、……歩けば二時間、走れば一時間。さて、歩く……、いや、走るか。しゃ~ねぇなぁ……」
重い荷物を背にエッホエッホと走り出す。既に日は高くまで上がり、ウェインたちが出発してから三時間が経過していた――
☆☆☆☆☆
同時刻、ユドラ川上流 ――
先行隊に合流したウェインらA班は、目の前の異常事態に困惑していた。
茶色の大波のように蠢くサンドワームの流れは、未だユドラ川を沿うように南下を続けていた。しかし一番の問題は、その進路ではなく圧倒的な
「先行隊の話では、例年より少し数が多い程度ではなかったのか?!」
ウェインが声を荒げた。それも仕方のないことだ。
「そ、それが、詳しくムーカンを調査し直したところ、例年の倍、……いや、四倍ほどのワームが発生していたようで……、その……」
発生数を見誤った担当者が冷や汗混じりに言った。異常な数を前にし、ウェインは高台に用意された観測ポイントで強く床を踏む。
「言い訳はいい。それで正確な数は?」
「や、約15から、に、20万、程度かと……」
「20万?!
ようやく認めた担当者を振りほどき、ウェインは報告隊の一人にC班へ伝令を出せと命じた。下手をすれば最終防衛ラインまでワームは止まらない。直感的なウェインの予測だった。
「だが数が多いからといって我々の任務に変わりはない。A班の者に告ぐ。これより我らはワームの先頭へと回り込み、進路を西へと誘導する。浮遊系スキルを持つ者は先回りし我らを先導、それ以外の者は私に続け!」
例年見ないほど色濃く
「奴らには正確な舵がない。しかし性質上、自ら川に飛び込むことは稀だ。奴らと並行して走る時は、できるだけ川を挟み行動するよう心がけろ。飲み込まれれば、ひとたまりもないぞ!」
馬に跨り先頭を駆けるウェインは、先行する浮遊スキル保有者の合図を受け進路を指示する。どうやらワームの先頭が近いらしく、場に緊張が走った。
川沿いの荒れ地を我が物顔で走るワームは、行く手を阻む全ての物を破壊し進み続けていた。たとえ仲間が朽ちて死のうとも、決して動きが止まることはない。本能的に砂地を求め進み続けるしかないのだから。
ただ、だからといってワームの移動に法則性がないわけではない。
ワームの行列の先頭には列を先導する《フォーマー》と呼ばれる百匹程度の集団が形成され、後続はフォーマーに導かれるまま進行を続ける。フォーマーは、数が少なくなれば後方から補充、少なくなればまた補充という具合で自動的に成り立ち、列を進行する。早い話が、《フォーマー》を意図的に先導することさえできれば、列全体を任意の方向へと導くことが可能、というわけだ。
「しかし問題は数だ。フォーマーを含め、奴らは個々に考えることをしない。ただ前行く者に続き、走り続けるだけだ。だからこそ我々が選択を誤り、ひとたび列が分裂しようものなら、二手に分かれた大きな波が生まれてしまう。そうなれば制御はおろか、我ら自身が波に飲まれ、全滅しかねない」
指定の場所で待機していたB班と交差したウェインらは、そこから二手に分かれ作戦を開始する。いよいよフォーマーの先頭まで回り込んだウェインは、浮遊したまま準備を整えた一団へ合図を送った。
「用意した資材をワームの進行方向へ投入しろ! そこへ私が一気に火を放つ。奴らは主に火や水を嫌う。あとは各自川沿いに配置し、フォーマーを西側へと誘導しろ!」
うなずいたギルドの面々が散っていく中、火の壁を作るため用意された大量の資材が川の西側、南への進路を防ぐように投入された。ウェインは一足早く馬上から飛び上がり、眼下に広がる資材へ向け、剣を振り下ろした。
「それでは行くぞ。
巨大な火柱が川伝いに吹き上がり、敷き詰められた資材が炎に包まれていく。続けざま放った炎は、まるで順路でも指し示すように弧を描き、炎の道を作り上げていく。
ギルドの面々も火矢や自らのスキルを駆使し道を補強していく。東には川が、そして川に沿うよう南側に作られた炎の道が、ワームを西方向へと誘導する。
フォーマーの先頭が炎の匂いを嗅ぎつけ、進行方向に迷い始めた。すると速度が落ちたことで列詰まりが発生し、左右にあぶれた個体が川側へと膨れ始める。
このまま
後列の流れを緩やかにすべく、遅効系スキルを持った者たちが膨れた集団を引き締め、列を整えていく。その隙にウェインらが足踏みするフォーマーの尻を叩き、西側へと集団を先導する、というのが例年の流れである。
しかし時に、
いつもであれば容易く引き締められるワームの列が、あまりの数による圧により止めきれず、次第に制御領域を越え両側に溢れ始めていた。ウェインらが必死にフォーマーを先導するものの、足踏みしたワームの動きは鈍く、
「A班、マズい! これ以上は制御が効かない!」
「泣き言はいらん。全勢力を持って奴らの動きを止めろ。ここで侵攻を終わらせる!」
フォーマーの尻を叩くように、ウェインが再び炎柱を吹き上げた。あまりの熱さによろめいたワームが、少しずつ西側へ歩み始める。が、後方の圧力は秒ごとに増し、いよいよ動きのないフォーマーの背中を押し始めていた。
「ダメだ! もう無理だ! 止めて、……いられない……!」
「もう少しの辛抱だ。A班で手が空いている者もB班の加勢に回れ、ここを突破されると厄介なことになる、急げ!」
川沿いに陣取っていたA班の面々も力尽きかけていたB班の後ろに回り、魔力を込めた。しかしさらに後方から推し進めようとするワームの圧力は凄まじく、ついには川側にまで列が溢れ始める。
誰かの「駄目だ」という叫びの直後、押されたフォーマーのワーム数匹が、炎の壁に直撃し炎上した。すると熱さに暴走した一部のワームが、熱から逃れるため温度の低い川方向へと流れ始める。炎の壁を守っていた残りのA班が必死に抑えるも、いよいよ限界が目前にまで迫っていた。
「数秒、あと数秒でフォーマーが動く。耐えろ、耐えきるんだ!」
ワームの肉が焼ける匂いが周囲に充満し、圧力に負けた小さな個体が音を立て弾け始めた。ギシギシと密度を増していく最前線は、既に爆発する直前の風船のように膨らみきっていた。
ダメ押しにウェインの剣が地面を叩いた。するとようやく重い腰を上げたフォーマーが西側へ流れ始めた。「ヨシ!」とA班の誰かが拳を握ったが、それとほぼ同時、川と炎の壁を繋いでいた辺りで爆発音が響いた。
「ま、まさか……?!」
ウェインの顔が強張った。そしてそれを裏付けるように、誰かが叫んだ。
「壁の一部が破壊された! 南へワームが抜ける!」
フォーマーが西側へ流れ始めたのもつかの間、圧力に押し出された一部のワームが炎の壁を突き破り、川沿いを南下し始める。一度漏れたが最後、進行方向にかかる圧力に負け、横道へそれたフォーマーを切り離すように、南側進路へとワームが流れ始めた。
「南への進行を止めろ! ここで止めなければマズいことになる!」
ウェインが慌てて川沿いへ走るが、一度押し込まれた圧の力は凄まじく、押し出された水鉄砲のように
「マズいです、数が多すぎる、侵攻を止められない!」
過去のフォーマーを置き去りにした集団は、また新たなフォーマーを形成し南下を開始する。ウェインは浮遊可能な隊員に本部への伝令を任せ、第二波を止めるべく再び南へと走った。
「一度失敗したからといって諦めるのはまだ早い! そのために第二、第三の仕掛けを用意しているのだ。最前線で力を使ったものは一旦後方で待機、他の者は再び川向こうから南へ下る、急ぐぞ!」
ウェインがギルド隊員を鼓舞すると、大きな声が上がった。
まだ大丈夫、自分に言い聞かせたウェインの額には汗が滲んでいた。
《 アレな感じがする 》
そう口にしたクルフの言葉が脳裏をよぎる。
「あの人の勘は、嫌な時だけよく当たる。本当に嫌になる!」
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