第9話 ゆったりとクク豆湯を一杯


「クシュン!」


 本部で昼寝をしていたクルフが、寒さにやられて目を覚ました。

 各自持ち場についているためか、仮本部の中は人が出払っており、今まさにクルフは自由の時間を謳歌していた。


「だ~れか俺の噂してやがんな。にしても、ったくクソ寒ぃな。こんなとこで寝てたら風邪引くぜ。おーい、誰かいないのか?」


 クルフがギルドの人間を呼んだ。しかし誰もいないのか返事はなかった。


「俺ぁギルドのマスターだぜ? 秘書の一人くらい付けてくれてもいいだろうよ。あー、寒ぃ寒ぃ」


 しばらく待ったところで誰からも返答はなく、詰め所の外へ出たクルフは、どこかに毛布でもないかと探し回った。人が出払った仮本部周辺には誰の姿もなく、ただ一人残されたクルフは、いじけて砂を蹴った。


「どっか行くなら一声かけてくれてもいいじゃねぇかよ。本当に冷たい奴らだぜ、ったくよぉ」


 諦めたクルフは、出しっぱなしになっていた炊き出し用の鍋に水を注ぎ、指を鳴らし火を付けた。寒い寒いと火にあたりながら湯を沸かし、持参したクク豆をすり潰し、湯に溶かした。


「あ゛あ゛あ゛生き返るぅ。やっぱ寒い時はクク湯に限るな。にしても、本部付きの奴らはどこ行っちまったんだよ?」


 よくよく見れば、C班として一部待機しているはずの者たちの姿もなく、クルフが首を捻った。何かあったかと考えたが、すぐにまた面倒になって湯をすすった。


「あの~、……誰かいますかね」


 ふぅと一息ついたクルフに何者かが声をかけた。やっと人がいたと目の色を変えたクルフは、「いいとこに来たな」と、その人物を焚き火へといざなった。


「いいタイミングで現れたな。ほれ、俺様特製のクク豆湯だ。お前にも飲ませてやる」


「クク豆? そんなことよりも、ここにいるはずの恐い姉ちゃんに用があるんだが」


「それよりってなんだよ。そんなもんはいいから、さっさと座って飲め。俺様の命令だ!」


 背中にどでかいリュックを背負った怪しい男を疑問一つなく引き入れたクルフは、上機嫌にクク豆湯の入ったコップを差し出した。いただけるものはいただいておくかと受け取ったのは、言うまでもなくファブリックその人だった。


「ったくウチの連中はどうなってんだか。こうして俺をほったらかし、自分だけはさっさとどっか行っちまう。俺は悲しい、慕われてない!」


「あんた、昼間っから飲んでんのか?」


「ここに酒がありゃ一樽飲み干したいとこだ! 俺の悲しみがテメェにわかるか?!」


「知らん。にしても、この茶色のお湯、なかなか美味いな」


「おお、お前にはこの旨さがわかんのか! ウチの奴らときたら、ココ豆湯もマズいだの豆臭いだの文句ばかりだ。クソ真面目な奴らには、この芳醇な香りが理解できんのだ。情けない!」


 ズズズと湯をすすったファブリックは、やけに静かな本部に違和感すら覚えたものの、どうやらこの変な男のほか誰もおらず、面倒なので探すことを諦めたところだった。


「芳醇かどうかは知らんが、うむ、なかなか美味い(ちゃんと味がある)。これはどうやって作るのだ?」


「こいつか? こいつはココ豆といってな、メリル種のサルのウンコからーー」



『 ま、まだ誰か残っているか! 』



 突如誰かが二人の会話を遮った。

 肩で息をした誰かは、すぐにクルフに気付き、敬礼のポーズを取った。


「ここにはもう俺しかいないが。何があった?」


「な、何がって、何かどころではありません!」


「落ち着いて話せ。何があった?」


「だ、第一から第三までのポイントを破られ、現在、有事防衛拠点にて最終対応中であります!」


「…………は?」


「ですから、現在、有事防衛拠点にて、ワームの進路を防いでおります! ……ですが、想定を超えるワームの数に、その……」


「押されてて、いよいよ決壊寸前、ってことか?」


 ギルドの連絡係がクッと下を向く。どうやら状況は相当マズそうだとクルフが不敵に笑った。


「なるほど、状況はわかった。それでウチのが誰もいなかったのか。……にしても、なんで誰も俺を起こさねぇんだよ、ったく……」


 ハハハとファブリックが空気を読まず笑った。そこで初めて、連絡係とクルフの視線がファブリックへと向けられた。


「で、そんな状況の中、お前はなんで笑いながらココ豆湯飲んでんだ? というより、そもそもお前誰だ」


「誰って……、俺はAA.ファブリック。喧しい女にここへ来るよう言われたから仕方なく来てやったまでだ」


 クルフがポンと手を叩く。そして現時刻を確認し、五時間の遅刻を物ともしないおかしな男の存在を理解した。


「なーるほど、お前が例のか。よ~く話は聞いてるぜ」


「なんだよ、やっぱり捕まえて幽閉するなんて言わないだろうな。だとしたら俺は帰るぞ!」


「んな小さいことは後で考えりゃいい。どうやら今はそんなこと言ってる場合じゃねぇ。で、詳しい状況は?」


「ハッ! ワームは現在有事防衛拠点の北、数キロの場所まで迫っており、ウェイン様が引き続き対応中であります。しかし未だ勢いは衰えず、逼迫ひっぱくした状況にあることに変わりはありません!」


「ギリギリじゃねぇかよ。わかった、すぐに俺も現場に向かう。表に馬を回してくれ。ただどう急いでも十数分はかかる。どうにか持ち堪えるようアイツらに伝えろ」


 ザッと敬礼をした連絡係が飛び出していった。また二人きりになったところで、ファブリックは不穏な空気を読み取り、そっと逃げようと企てた。しかしスッと回り込んだ太い腕に捕まってしまった。


「悪いが四の五の言ってる場合じゃなさそうなんでね、テメェにも働いてもらうぜ。文句は後で聞いてやる」


「うへぇ」という嗚咽を漏らしたファブリックに、クルフが「馬は乗れるか?」と質問した。


「乗れん。というより、乗ろうと思ったことがない」


「なら俺の後ろに乗れ。多少遅くなるが、15分もあれば現場につく」


「……ちなみに聞くが、その有事防衛拠点までどれくらいあるんだ?」


「ほんの10キロ程度か。それがどうした?」


「ちなみにもう一つ聞くが、もし今回の仕事が上手く片付いたとして、かかった費用はそっちギルドで負担してくれるんだよな?」


「はぁ? そんなの当たり前だろうが。ウチをどこだと思ってやがる。王都直属のギルド、《バラウル》だぞ。余計な心配はいらん、さっさと着いてこい」


「そのセリフ、忘れるなよ」と言ったファブリックは、うーんと悩みつつ、リュックの中からイグニスを取り出し起動した。


「俺には馬なんぞ必要ない。誰だか知らんが、おっさんも一緒に連れてってやる。場所だけ案内しろ、残念ながら俺は方向音痴なんだ」


「はぁ? ……って、おいおいおい、なんだよそのちっこいの! 宙に浮いてんじゃん、クソ格好いいなおい!」


 ワクワクが止まらないオヤジにドン引きしつつ、ファブリックは説明もせずクルフの背中に飛び乗った。そして説明もなく、「あんたはイグニスに乗ってバランス取ってろ」と命令した。

 意味もわからずイグニスに乗ったクルフに質問する間も与えず、ゆっくりと浮上させたファブリックが、「絶対落ちんなよ」と呟く。


「落ちるなだぁ? ぁああぁァああぁ?!」


 空中でピタリと停止したイグニスが急加速しビュンと発進する。

 早馬で伝令に走る連絡係を一瞬で追い越した二人は、一路、有事防衛拠点へと飛んだ――

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