第4話 《アクア》と《イグニス》
不意にウェインが振り返る。
そこには左右の小脇にボールのようなものを抱えたファブリックが立っていた。
「なッ?! き、貴様そこで何をしている! 早く逃げろ、殺されるぞ!」
「うるせぇ、何時だと思ってんだ。せっかく画期的な設計を思いついたのに、バカ声で全部消し飛んだろうが!」
「い、いや、そんなこと言っている場合では」
「黙れ子女。どーせ俺を追っかけて来たんだろ。テメェらギルドの人間はいつもそーだ。いい加減な憶測で、いつも俺を疑う!」
「いいから逃げろ、殺されるぞ!」
「殺される? ああ、……で、そいつなんなの?」
グンと霧状の身体を巨大化させたウィッチが大手を広げ二人を見下ろしていた。もう逃げ道はないぞというばかりだ。
「クッ、この怪我さえなければ……。どうやら貴様は本物のバカだったようだな、結局私の見る目がなかったということだ、くくく、世話がない」
「さーてどうだかね」
不意にファブリックが笑った。そして小脇に抱えていた二つのボールを両手の上に置き、フーと息を吹きかけた。
「な、何をしている?! そんなボールをぶつけて倒せる相手ではない!」
「ボール、ねぇ。やっぱり凡人には、これがボールに見えるんだ。心外だよなぁ、《アクア》に《イグニス》?」
ファブリックが声をかけると、左右のボールがフッと光を灯した。左手の《アクア》は海のように青白く、右手の《イグニス》は鮮血のように赤黒く周囲の色を染め上げていく。
そして指先からスッと浮き上がり、空中で静止した。
「な、何だ貴様、その
「魔法だぁ? 違うね、こいつは革命だ。現代科学と、この異常な世界を融合させた新たな時代の象徴だ。
「ぜよ?!」というウェインの台詞を待たず襲いかかってきたウィッチは、まず標的をファブリックに定めた。
一瞬反応の遅れたウェインが逃げろと叫ぶも、動じることなく左側のアクアを正面に掲げたファブリックは、さて準備運動だと呟く。
影で広がった巨大な手で押し潰すように降り注ぐウィッチの攻撃をファブリックが一瞥する。
「アクア、じゃあいこうか。ウォーターウォール」
軽く指先を曲げ指示を出す。
アクアから発生した薄い水色の膜がアクアとファブリックの周囲を覆い、ウィッチの攻撃を弾き返す。
「薄い膜で攻撃を防いだッ?!」
「時にお嬢さん、水はたったの三パーセントしか圧縮できないって知ってるかい。その特性を、古来より人はメッチャ便利に利用してきたわけよ。だからさ、水圧ってのを上手く利用すれば、意図的にとんでもないエネルギーを生み出せるのさ。キミらが想像もしないほどのね」
攻撃を防ぐとすぐに消えた膜の異様さに、ウェインとウィッチの動きが止まった。何が起こったのかわからない。そんな様子だった。
「もちろんそれが広範囲になればエネルギー量だってバカにはならない。でも一点に集中すれば、……ダイヤモンドだって軽く砕ける」
ピョンと振りかぶったファブリックは、立ちふさがるウィッチへ向けアクアを構えた。
「よしアクア、ショット!」
キュっと光を集中したアクアが、円の中心から眩い水色のスジを発射する。
スジはそのままウィッチを容易く貫通し、軽く左右に振れば身体を二つに分断した。
ウィッチが痛みで悲鳴を上げた。あまりの事態に、ウェインは言葉を失った。
「ウォータージェットって知ってる? 超凝縮した水を凄い勢いで噴射して物をカットしてくアレ。これはその魔改造版みたいなもんだな。ま、早い話が
次々に光のスジを照射し、霧状の身体を削っていく。しかしそうはさせじと散らばったウィッチは、怒りに任せて唸り声を上げる。
「お、おい、お前……」
「お、
ボソボソ独り言を言うファブリックへ向けられたウィッチの攻撃が、全て薄い水の膜に掻き消されていく。
一歩も動くことなく、まるで指揮者のように片方の指先を動かすファブリックは、次第にノッてきたのか、今度は右の手を高く掲げた。
「そしてお待ちかね。水のアクアに対し、イグニスは《火のスフィア》だ。アンタらのスキルみたいに無から有を作り出すなんてのは、俺から言わせればインチキなのよ、インチキ」
なす術のないウィッチが躊躇した瞬間を見計らい、ファブリックが右手を握った。
「よしイグニス、ショット!」
掛け声と同時に、渦巻いた細い炎柱が突き刺さった。ウィッチはすぐに分散し難を逃れたものの、数秒遅れていれば全身が燃え尽きていたに違いない。
「今のは火の魔力を燃料にした火炎放射器ってとこかな。アーッハッハッハ、たーんじゅん!」
圧倒している。ウェインの目が丸く見開く。
ただの一歩も動くことなく、A級に属する魔物を圧倒している。それはウェインにとって驚き以外の何物でもなく、ただ言葉を失うしかない。
「ではここで勉強ね。水が水蒸気になる時、その体積は何倍になると思う? 制限時間は五秒。じゃあ準備しようか」
アクアが発光しウィッチの周囲に膜を照射し包んでいく。慌てて払い落とそうとするも、ウィッチにはどうすることもできない。
「二、一、ゼロ。では答え。およそ1700倍まで膨張するんだってー。さて、では続けて問題。それがもし密閉空間で起こったとすると、どうなるでしょう?」
ウィッチを包んだ膜の中には水が漂う異空間ができあがり、ファブリックは微笑みながらイグニスを構えた。
「では実際に、水を
糸状に照射された褐色の影が水の膜を包んでいく。「何が起こっている」と呟いたウェインの問いに答えるように、ファブリックが両の手を握った。
「で~は答え合わせ! 答えは……
だ・い・ば・く・は・つ!! ガーッハッハッハッハッハ!」
ウィッチを包む円球状だったものが、突如大爆発を起こし炎上した。そのあまりの音と爆風に、ウェインはまた言葉を失くし立ち尽くす。
「これが世にいう水蒸気爆発だ。みなさん、よーく覚えておくよーに!」
音と爆風が止むと、平原の一部は不毛の荒野と化し、ウィッチごと影も形もなく消し飛ばしていた。あまりの爆発と音に気付き、逃げだしていたはずの兵たちも、また現場へと立ち戻っていた。
「よーし、アクアにイグニス。エネルギーがもったいないし本日はここまで。やっと静かになったし、帰って製作の続きを再開するぞっ♪」
何事もなかったように二つのスフィアを抱えたファブリックは、「そんじゃ」と手を振った。しかしウェインもみすみすファブリックを帰すわけにはいかない。何よりこの異常な状況を整理しなくてはならない。
ファブリックがA級の魔物をこともなく殲滅したのは紛れもない事実。誰の力も借りず、さらに言えば動くこともなく圧倒したのは現実なのだから……
「待て貴様! いや、お前!」
「なんだよ、まだ何かあるのか。作業の途中だって言ったろ」
「お前、自分のしでかしたことの意味がわかっているのか。お前は今、
「へー、そう、知らんけど。それだけならもう帰るぞ」
「待てと言っている! 貴様、一体何者だ。事と返答によってはタダでおかん!」
ファブリックの目が酷く曇り、「面倒くせぇ」が顔に浮かんでいた。モロに。
「……んなことより。ほれ、あそこで転がってる貴族。なんか怪我してるし、さっさと助けた方がいいんじゃない。それにそこらでひっくり返ってる山賊、アレもほっとくと全部逃げるぞ」
「貴族……?(ハッ、忘れていた!)。し、しかし、まだ貴様を放置するわけには!」
「うるせぇなぁ。さっさと自分の仕事しろよ。俺は賊とは無関係、これでもういいだろ。はい、話終わり。解散!」
小走りで帰っていくファブリックの後ろ姿に「このままでは済まさんからな!」とウェインが叫んだ ――
まーた面倒事に巻き込まれた。
ファブリックは一人
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こうしてファブリックの嫌々冒険記は始まりました。
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