第3話 小屋と平原の狭間に賊一組


 裏通りを出たファブリックは、適当にすいていた店に入り、手に入れた銀貨で一番安いパンと肉を購入し袋に詰めた。


 誰に何を言われようが、ファブリック自身には無関係だった。

 賊がいようが、騒ぎが起ころうが、王都に来た目的は《金の工面》と《食料の調達》でしかないのだから。


 硬いだけで味のしないパンを口に含み、タダでもらった水でふやかす。少しだけ柔らかくなった塊を飲み込めば、ようやく腹が歓喜の声を上げた。


「四日ぶりの食事か。無味無臭だがこれはこれで美味い」


 金と食料が手に入れば、もう王都に留まる理由はない。また来たときと同じように大通りの端を歩き、門兵に通行手形を見せ、家路を辿るのみ。


「……通行手形を」


 どこかよそよそしい顔をする門兵の前を通過し王都を出れば、ようやくわずらわしい人の波から開放される。ファブリックは大きく一つ伸びをして、重くなった袋を背負い直す。


「ったく、が充填出来てればひとっ飛びなんだけどな。ま、仕方ないか」


 またトボトボと歩くしかない。ただ一つ、家路を急ぐファブリックに、無数の視線が注がれていることなど知る由もなく――


「にしても寒いな。なんだってここはこんなに寒いんだ。雪が降るわけでもないのに妙に寒い。いつになったら夏がくるんだ。……いや待てよ、夏なんてあるのか?」


 独り言も慣れたものだ。会話の相手など一人で事足りている。予想不可能な他人との会話など、ファブリックは求めていなかった。


 谷を越え、平原を抜け、時折河原で水を飲みながら、何一つ変わらない家路もすでに慣れたもの。寄り道もせず巡った先にあるのは、やはり見慣れた小屋が一つ。


「何事もなく到着だな。よし、さっさと買った肉を小分けにして冷凍処理してしまおう」


 軒先で袋を下ろしたファブリックは、購入した食料を小分けに分類していく。

 しかしその約百数十メートル後方では、やきもきしたギルドの兵が見張っていることなど知りもしない。


「ウェイン様、アイツ、肉を小分けにし始めましたよ。……本当に賊なのでしょうか?」


「賊も食料調達くらいはする。今に尻尾を出すに決まっている。我らはこのまま待機。奴が動き出すまで様子を見る」


「で、ですが……、こ、今度はパンを小分けにしています。しかも一食分があんなに少ない! ……不憫だ」


「た、食べる量は人それぞれだろうが。ああやって我々を油断させているだけかもしれん。注意をおこたるな」


 小袋に食料を移し終えたファブリックは、尻を掻きながら小屋に入っていく。

 当然ながら、その後どれだけ待とうが出てくることはなく、陽も落ち、王都冬の一日がいよいよ終わろうとしていた。


 陽が沈むと、平原に風が吹き始めた。窪地で身を潜めていたウェインらギルドの兵は、指先を温めながら温度の下がった身体を揺らす。


 動くならそろそろだと部下に発破をかけ、煙突から煙を吹き始めた小屋に注視する。しかしそれが夕食の肉を焼いているだけの何気ない一コマであることは言うまでもない。そうして夜は何も起こることなく深まっていく。


「ウェイン様、これ以上遅くなれば、付近を通る者の数も減ります。それに闇が深くなれば魔物の動きも活発になります。これ以上、留まる意味があるのでしょうか?」


「も、もう少しだ。私の見立てが正しければ、奴はそろそろ動き出す。これまでに発生した賊による強奪も、今と同じような時間帯だったはずだ」


「確かに、それはそうですが……」


 部下の一人が不満を蓄えて言い含められた直後、小屋と真反対の方角から、突然爆発音が上がった。同時に聞こえてくる蹄の音と人間の悲鳴には、明らかに緊急性が感じられた。


「小屋の反対、四時の方向から爆発音! ウェイン様、まさか奴が?!」


「い、いや、奴はまだ小屋にいる。中には影も見えている。奴ではない」


「ならば誰が?!」


 部下の慌てた声に合わせ、再び爆発音が鳴り響いた。最初の悲鳴とは別の叫び声が聞こえたところで、ようやくウェインが重い腰を上げた。


「こ、声の方角へ向かう。一班は我に続き、二班は反対側へ回り込め!」


 一斉に窪地から飛び出した兵士は、光を灯し直線的に音の方向へ走った。再び起こった爆発の音は小屋からほど近く、ものの数十秒で全貌が見え始める。


 狭間になった土の地面に仕掛けられていた氷華トラップに、一台の馬車がかかっていた。賊と思しき十数人の男が馬車の周りを取り囲み、今まさに中の貴族を連れ去ろうとしていた。


 ウェインの号令に続き、横並びで兵が飛び出す。

 急な明るさに驚いた賊の一人が頭上を見上げたが、勢いよく飛び上がったウェインの剣が、軽く喉元を切り裂いた。


「なんだ、王都のギルドか?!」


「なぜ奴らがここに! クソッ、テメェら、そいつらさらってずらかるぞ。ギルドの馬鹿どもを相手にするな!」


 囮となった賊の部下が盾となり、ウェインら第一波の攻撃を受け止める。賊の頭は人質である貴族の男女を肩に担ぎ、闇夜を駆け出した。

 しかし「第二班、撃てー!」という号令が轟くと、賊の進行方向に身を隠していたギルドの兵が平原の裾からヌッと顔を覗かせる。


「馬鹿な?! 周到すぎる、張っていやがったのか!」


 賊が二手に分かれ、第二班と相まみえた。だが戦力差は明らかで、賊がギルドの兵に勝てる見込みは万に一つもない。


かしらぁー! コイツら強すぎる、俺たちじゃ止められねぇ、グァッ!」


「A級ギルドの実力を侮るなよ。第二班、一団を突破次第、賊のあたまを仕留めろ!」


 軽やかな動きで賊の下っ端の首を落としていったウェインは、壁となっていた全ての賊を倒し、未だ逃亡を続ける首領を追いかけた。

 しかし平原は賊にとっての主戦場。逃げる術は心得ている。

 物陰に隠していた馬に跨った賊の首領は、人質を担いだまま速度を上げた。「このままでは逃げられます!」と助けを呼んだ誰かの声が平原を抜けていく。


「逃げられる? たかだか馬に乗った程度で、この私から逃げられるだと? 我が隊の兵にその程度と思われているのがはなはだ不服だな」


 隊列からスッと抜け出したウェインは、助走を付けて岩を踏み切り高く飛び上がると、炎をまとわせた短剣を構え、逃げる賊の馬目掛け投げつけた。

 寸分の狂いもなく命中した短剣は、軽々と馬の太腿を削り取る。激しく転倒した馬から飛び降りた首領は、人質を担ぎ、冷や汗を拭いながら逃げるほかない。


「うぅ、《バラウル》のウェインが出張ってるなんて聞いてねぇ。奴ら今は、《王都の厄介事》で手一杯のはずじゃなかったのかよ!」


「止まれ賊! 逃げきれると思っているのか!!」


 一気に速度を上げたウェインは、ついに人質を投げ捨てた首領を追い詰める。あまりの速さに付いてこられないギルドの兵らを置き去りに、逃げ場のない岩場に首領を追い込んだ。


「雑魚が我から逃げきろうなどと」


 再び剣に炎が灯る。炎の従事者フレイムワーカーのスキルを持つウェインにかかれば、目の前の賊など炭と同義。一度剣を振るってしまえば、消し炭の如く周囲に散らばるしかない。


「な、なんだってこんな奴らが! くそ、こうなったらもう使うしかねぇ!」


 首領が背後に隠していたポケットから筒状の瓶を取り出し、上空へ投げ捨てた。

 直後、光とともに割れた筒から出た何かが膨張し、空中を浮遊した。


「貴様、何をした! あれは……、ば、馬鹿な、シャドウウィッチだと?!」


 宙を漂う影が揺れ、けたたましい叫び声を上げた。

 霧状だった身体が凝縮して固まるにつれ、モノ本来の姿へと戻っていく。


 霧の中から姿を現したのは、シャドウウィッチという全身がガス状の黒い霧に覆われた怪しいモンスターだった。


「なぜこのような高レベルモンスターを賊風情が。クソッ、私一人でどうにかなるか?!」


 ウィッチは両手に魔力を込め、突然周囲を薙ぎ払った。

 衝撃に巻き込まれた首領の身体がバラバラに弾け飛ぶさなか、バックステップで攻撃を躱したウェインは、初めてまともに剣を構えた。


「どうやら飼い主の言うことを聞くようなタマではないらしい。本来ならば、我がギルドの手練と手分けし殲滅するレベルの魔物と、よもやこのような形で相対することになるとは……」


 ウィッチは間髪入れず魔力を込めた爪先をウェインへ振るった。しかし華麗に攻撃を躱したウェインも負けてはいない。合間合間を縫って放った炎の曲線は、美しい弧を描き、ウィッチの影を確実に削っていく。


「いけるか?! どうにか私一人でコイツを仕留めねば」


 宙を舞ったウェインが強く地面を蹴りウィッチの胸元へ飛び込んだ。しかしそうはさせじと分散した影が無数に広がり、粒上になってウェインに襲いかかる。


「クッ、ちょこまかと。貴様は黙って私に斬られていればいいのだ!」


 臆することないウェインの攻撃は止まず、形勢は確実にウェイン側へと傾いていた。しかし戦況は突然変化する。


『 ウェイン様、我々も加勢します! 』


 遅れていたギルドの兵が戦いの場になだれ込んだ。遅れて声に反応したウェインは、マズいと振り返る。


 敵がその瞬間を見逃すはずはない。

 攻撃の対象を切り替えたウィッチは、不用心に踏み込んだ兵の一人に狙いをつけた。棒立ちの兵士にウェインが「逃げろ」と叫ぶも、間に合うはずはない。


 気付く隙さえ与えられず、兵の上半身がえぐられ吹き飛んだところで、隣の兵がようやく理解する。

 ああ、これは戦闘のレベルが違う、と。


「すぐにここを離れろ! お前たちでどうにかなる相手ではない、すぐに王都へ戻り、援軍を呼ぶのだ!」


 叫ぶ間もウィッチが攻撃の手を緩めることはない。ウェインが間に入り攻撃を捌くも、標的となる兵はまだ他にもいる。

 分裂することができるウィッチからすれば、これは千載一遇の好機。逃すはずがない。


「ひぃ、ば、バケモノ!」


 兵の一人が恐怖に飲まれ腰を落とした。闇に紛れ、大腕を放ったウィッチの攻撃が迫った。

 だがほんの一瞬早く反応したウェインが、身体をぶつけ兵士を吹き飛ばした。しかしこれがいけなかった。


「グァッ!」


 ウィッチの攻撃がウェインの肩を直撃した。肩当てを吹き飛ばしウェインに傷を負わせたウィッチは、闇に紛れた口元から嫌らしい笑い声を上げた。


「う、ウェイン様!」


「私のことはいい、お前たちはすぐにここを去れ! 足手まといにしかならん!!」


「しかしッ!」


「いいから早く!」


 戦場に背を向け逃亡する兵にニタニタ笑みを浮かべたウィッチは、また五つに分裂し、まとめて片付けてやると身構えた。

 しかし円形に剣を振るったウェインは、後方を走る兵を守るように炎の壁を作り、ウィッチの進行を防ぐ。


「貴様の相手はこの私だ。アイツらには指一本触れさせはせん!」


 肩を押さえたままウェインが叫ぶ。

 しかし戦況は確実に逆転していた。


 片腕の自由を失った今、もうウィッチを倒すすべはない。攻撃を躱し続け、どうにか逃亡するほか生き延びる手段はないが、それは目の前の魔物を世に放つことと同じ意味を持つ。ギルドをまとめる一責任者として、それだけは絶対に避けねばならかった。


「ならば諸共よ。地獄の底まで貴様を道連れにしてくれる!」


 ブンと振るったウェインの剣が激しく燃え盛る。相打ち覚悟でウィッチを消し去るほか、もう方法はない。


『 ウォォオオオォォ! 』


 可能な限り全ての力を剣に集中し、ウェインが唸り声を上げた。


 しかしその時、

 その気合を掻き消すほどで、

 かつを、誰かが背後で呟いた。



『うっせぇなぁ、集中できねぇだろうがタコ。八枚におろすぞイカ野郎』

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