第22話 対ドラゴン そして、高音域な雑音⁉︎

ももの無意識のうちに発動している魔法は、桃自身が制御できなければ、危険なものだっていうことはわかるよね……?」

「うん……」

 桃が素直に頷く。


「これから、今の桃が持つ魔法の最大出力を見せてあげます……」



 さくらがそう呟いて、自分の左手を光らせた。その刹那、桃が透明な球体に包みこまれる。

「お兄ちゃん、これって、魔法障壁ですよね? わたしにも……?」

「はい……。それから、沙羅さらさんには、せっかくなのでドラゴンを見せてあげます。これを見たら、ボク以外の魔法使いに、素手で立ち向かうことの危険さと無謀さを知ってください……」

 さくらの物静かで儚げな言葉が、【魔桜堂まおうどう】の地下に設定されている、魔法領域内に木霊こだましている。


 さくらは続けて、魔法を発動させるための呪文を、短い言葉だけで詠唱した。それを機にして、新たに左手が淡く発光し始める。そして、輝き始めた指先を、頭上に向け、その天頂を指し示した。

 左手の光量が激しさを帯びると時を同じくして、魔法領域内の明るさは少しずつ失われていった。稲光が光り、稲妻が落ち、雷鳴がなり、そして視界が暗雲に包まれた、という表現のほうが正しいだろうか。

 それまではさくらの左手からだけの輝きだったが、それが全身からの発光に拡がり始めていた。

 ついに、それまで淡い桜色だった暖かみのある光に、禍々しさが加わった。


 さくらがその身に纏う、狂気の色に染まったかのような光に、障壁の中から見ていた三人の表情にも緊張が走る。

 そんな、三人の様子をまるで気にすることもなく、さくらが新たな呪文の詠唱を始めた。

 同時に、立ち込めた暗雲の上層部分から、耳障りな高く響く雑音ノイズが聞こえてきた。そして、暗雲を切り裂いて一条の閃光がはしる。

 その雑音ノイズは、三人を護っているさくらの魔法障壁の球体が、ギシギシと軋ませるほどの重圧を与え始めた。


 そして、閃光によって切り裂かれた暗雲の間から、夜の闇の色よりも濃い、漆黒の、翼とおぼしき巨大な影が現れた。

 その翼を羽ばたかせ、徐々に雲間から降下してくる、漆黒の影。

 さくらが用意した魔法領域を覆いつくすほどに、巨大な両翼を広げた、現代では誰ひとりとして、見たことのないだろう幻想生物、ドラゴンがその全容を現した。


「ちょっとっ、さくらちゃんっ? なんなのよ、その凶悪なファンタジーはっ」

 障壁の中の沙羅が叫ぶ。

「まだ、桃の魔力のほうが上ですから、制御できない相手ではないですよ……」

 冷たい響きを纏った、さくらの声が、沙羅たちに届く。

「そのドラゴンより、桃のほうが強いってこと……?」

「強い……というのとは違います。桃の今使える魔法は、防御のための魔法ですから、あのドラゴンからの攻撃をも凌ぎきることができるというものです」

 さくらが静かに放った言葉は、誰に向けられたものでもなかった。しかし、地下に創造された魔法領域内に静かに響き渡る。


 その間も、耳障りな高音域の雑音ノイズが鳴りやむことはなかった。漆黒の翼を持つドラゴンは、その凶悪な姿で、さくらの魔法領域内を、さくらの体を掠めるくらいの至近距離をとり、飛翔旋回を繰り返している。

 実際その動きは至近距離、というより、そのいくつかは、直接さくらへの攻撃にもなっていた。

 漆黒の翼の切っ先が、さくらの頬を、そして華奢な腕を切り裂いた。そこにあかが滲む。


 それでも、さくらがその場を微動だにすることはなかった。巨大な魔界の住人を見据え続けている。

 さくらのその視線からは、殺意も殺気も感じ取ることはできなかった。

 ただ、この世の全てをてつかせてしまいそうなほどの、冷たい視線。

 そこには、絶対的な破壊の意志だけが宿っていた。

 桃にも、沙羅や美亜にも、未だ背を向けたまま、さくらの冷たく透き通るような声が聞こえてきた。


「今の桃の魔力なら、このドラゴンの攻撃も凌ぎきれることは、ボクが保障します。でも、それほどの大きな魔力を、ドラゴンよりも弱い相手に、勝手に全力で発動してしまったら……、護るために使われず、余った魔力が相手に向かっていってしまったら……。桃なら、迎える結末は理解できますよね……?」

「うん……」

 桃が障壁の中で、小さな返事とともに頷いた。そして、自分の体が震えていることに気づく。さくらの持つ、膨大で巨大な魔力量を感じ取った瞬間だった。


「ぼくの左手で発動させる魔法は、桃と同じ、護るための魔法なんです……。桃の魔法の原理もこれと同じじゃないかな? 見てて……」

 さくらの頭上では、漆黒の巨体がグルグルと旋回し、嬌声をあげている。

 眼下の、さくらの不穏な動きを感じ取ったのだろう。その動きに反応を見せたドラゴンが、さくらを標的と見定め、錐揉みしながら急降下してきた。

 その攻撃に対して、三人に背を向けたままのさくらが自身の左手を翳す。同時にドラゴンの鼻先が、さくらのその掌に触れた。接触の瞬間、直視できないほどの眩い閃光が、さくらの魔法領域全体を包み込んだ。


 それまでのドラゴンの嬌声や、翼の羽ばたく音が聞こえなくなる。そして、巨大な地下空間に静寂の時が訪れた。

 三人が閉じていた瞼をあげ、その様子の変貌を目のあたりにする。

 そこには、さくらの手に頭を擦りつける、飼い慣らされたような、漆黒の凶悪なファンタジー世界のラスボスがいた。

「さくらくんが、ラスボスを手懐けた」

 そう呟いて、呆れた様子なのは美亜ひとりだった。沙羅と桃は、未だに小さく震えている。


 そんな三人を見て、さくらは苦笑を浮かべている。

 そして、桃に向かって言葉をかけた。

「まずは、全力で凌ぎきってみて……。少しだけ、桃の魔力が上だから怖がらないで……。魔法の制御を覚えようか」

 さくらの言葉に、桃は小さく頷いた。

「少しだけ、強度は落とすけど……、魔法障壁は解除しないでおくから。桃自身の魔力がどのくらいのものなのか……、桃の目と感覚で見極めてみて」

「うん、がんばるっ」

 続けられたさくらの言葉に、桃が元気に返事をして、自分の小さな手を胸の前で握りしめて見せた。



「さくらちゃんっ? いいかげんにしなさいよねっ。な、なにが興味あるでしょ? なのよっ。さくらちゃん自身が、あんだけ強力な魔法を発動させておいて……」

 さくらがふたりの元へ戻ってきて、開口一番、沙羅が言い放ったのが、この言葉だったのだ。

「さくらくんの本気の魔法、眩しすぎてよく見えなかったですけど、初めて感じることができました……」

 最初、驚愕の表情を浮かべていた美亜も、すぐにもとの優しげな笑顔に戻り、さくらに話しかけてきた。


「いえ……、あれは、桃の今のスペックと、同じ程度の出力ですから……」

 さくらはそう言って、さくらたち三人の背後で、未だにドラゴンに向けて魔法を繰り出している桃へと視線を向けた。

「桃ちゃんのスペック……って。そうしたら、さくらくんは、あれ以上ってことですよね? 今のも本気じゃなかった……ってことですか?」

「そうですね、桃の魔力も、まだ抑えきれる範囲でよかったです」

「よかった……って、さくらちゃんたら、怖いことアッサリ言ってくれるわね……」


「そうですか? 沙羅さんも、魔法使いのぼくのことが怖くなったでしょ……?」

 さくらが寂しげに、そして儚げに放った言葉に、沙羅と美亜の表情が一瞬だけ険しくなった。

「こ、怖くなんて、な、ないわよっ」

「沙羅さん? 言葉咬みまくりで、声震えてますよ……。説得力に欠けてますけど?」

 さくらのツッコミに、沙羅は次の言葉が出てこず、ただ俯き、美亜は小さく吹きだした後から話しだした。

「そんなことを普通に言ってしまうさくらくんだからこそ、信用できるんですよ。自分のためには魔法を使わないんだろう……って。魔法そのものは、おそれる力かもしれませんけど、怖いかどうかはそれを使う人次第だと思います」

 美亜の言葉に、沙羅も隣で大袈裟に頷いている。



「沙羅ぁ……、見て見てぇ……」

 三人が、美亜の言葉によって、漸く重苦しい雰囲気から解放されようかとしたその時、桃のかわいらしい呼び声が聞こえてきた。

「なによぉ、桃ったら……」

 その声に応えるように、沙羅が返事をして、面倒そうに立ち上がり、そして振り返った。

 振り向きざま、突然沙羅の目の前が闇に覆われた。沙羅は自分の顔に、ザラザラした感触を覚えた。それは、なんとなく濡れていて、そしてなんとなく生温かい。

 沙羅の動きが止まった。


 その状態のまま、沙羅が大きな深呼吸をひとつした。

 どうにかして、自分を冷静に保とうとする、そして、勇気を振り絞るための行動のようだ。

「ねぇ、さくらちゃん? ちょっと聞きますけど……、これ、わたしは危険な状態なのかな……?」

 沙羅がなにか言っている。ただ、顔全体が覆われているために、フガフガフガフガ……としか聞こえてこない。

 最初驚いて、目を丸くしていた美亜も、今ではその華奢な肩を震わせて、笑いを堪えている。


「危険はないと……思いますよ。外見的にはどうかと思いますけど……?」

 さくらの訳のわからない返事が、沙羅の耳に届く。

「外見的……には? さくらちゃん? それってどういうことよ?」

 沙羅が、そんな感じのことを呟いたところで、沙羅の顔を覆っている、ザラザラで濡れていて、生温かいなにかが、下から上に動いた。ベロンという派手な擬音を残して。

 目の前の障害が取り払われ、漸く視界を確保することができたその時、そこで、その結果、沙羅の視界に飛び込んできたものは、それまで凶悪だったはずの、漆黒のドラゴン赤銅しゃくどう色をした大きな舌だった。


 沙羅が状況を把握するのに、ゆうに数十秒の時間を要した。その間、沙羅の顔からは、汗でも涙でもない、ベタベタした水滴がいくつも滴っていた。

「いやあぁぁぁぁ……っ。わ、わたしぃ、舐められたっ。今、ベロン……ってぇっ」

 絶叫して、その場に座り込む。

「舐められてたっていうより、喰われてたわよ……」

 美亜からのツッコミは、残念ながら、沙羅には届いていないようだ。


 そして、漆黒の竜の頭上に座っていた桃が、不敵な笑みとともに呟いた。

「けしかけてやったわよ……。わたしって天才かも……。何度もチビッコって言った仕返しよ……。オホホホホホ……」

 小悪魔のような微笑を湛え、竜の頭上で立ちはだかる桃。自身に陶酔している様子で、腰に右手をあてたポーズをとり、左手で沙羅を指差し、ついには、高笑いまで聞こえてきた。


「ねぇ……、さくらくん? 桃ちゃんのほうが、魔王さまの素質、あるのと違う?」

 美亜が、大きなため息をいた後、さくらの耳元で囁いた。

 さくらは、呆然と立ち尽くしていた。

 漆黒のドラゴンの頭上では、桃が、愛おしそうに、その頭を撫でている。


「桃っ、そこを動くなよ。今から、たっぷりお説教だぁっ」

 勢いよく啖呵を切って、桃に駆け寄ろうとする沙羅が、再び漆黒のドラゴンに弄ばれた。

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魔法使いって信じますか? 2  もももさくらも 浅葱 ひな @asagihina

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