第5話 マリ姉乱入 そして、偶発的な逃亡⁉︎
「どしたの? お母さん?
「誰の
小百合は、呆れた様子を隠すことなく、そう言った後、またひとつため息を
そんな、緊張の箍が緩んでしまった魔桜堂の外から、さくらを呼ぶ声が聞こえてきた。
「さくらくん……? またひとつ、新たな火種が登場って感じよ」
美亜が、そう言いながら、
「さくらちゃぁん、いるぅ……?」
声の勢いとは反対に、店のドアが静かに開き、そこから顔を覗かせたのはマリだった。
店内でカウンター席にひとりで座っているさくらの存在を確認して、中に入り、隣に腰掛ける。
「新たな火種……なのかな?」
さくらが呟く。
「ん……? なにか言った?」
マリが困惑した表情を浮かべたまま、さくらに詰め寄る。
「なんでもないです。マリ
さくらが問い詰められた原因から、強引に話題を変えようとしている。少しだけわざとらしさが残っていたけれど、マリがそのことを気に掛ける素振りは見せなかった。
マリのその様子に胸をなでおろすさくら。
それとは反対に、マリは、さくらには見えない角度で、一瞬、眉尻を上げ、小さく頬を膨らませてみせる。そして、はにかみながらさくらを上目遣いに見つめ、わざとらしいくらいにもじもじしている。
既に報復が開始されたようだ。
意を決したという感じを込めて、自身、渾身の演技でさくらに話しかける。
「さくらちゃんっ、今、夏休みでしょっ。わたしとデートしよっ」
テーブル席のふたり、もちろん、沙羅と美亜が、一斉に顔を上げた。
カウンターの向こうでは、冷たいお茶の入ったグラスを持つ、小百合さんの手が微かに震えている。
マリは、小百合に礼を言って受け取ったお茶を一口飲む。自分を落ちつかせようとしているようにも見える。
そこで、初めて沙羅と美亜からの視線に気づいたと言わんばかりに、満面の笑顔で、ふたりに向きなおった。
「沙羅ちゃんは勉強、はかどって……る? えへっ」
「えぇ、まぁ……。そ、それより、マリさん?」
「まぁ、ここには、美亜ちゃんもいるから、余計な心配だったよね? えへへっ」
「いえっ……、その……、マリさん?」
マリの言葉の勢いに押されて、沙羅と美亜は、肝心な部分を聞けずにいた。
「マリ姉、大学でなにかあったんですか? 大学も夏休み中ですよね?」
動きがぎこちない沙羅と美亜を、さくらが左手で制し、さりげなさを装って理由を問いかけてみる。
そこへ。
「えっ……? なにかないと、さくらちゃんとはデートできないの?」
マリからの二度目の攻撃に、沙羅と美亜が、またしても揃って顔を上げた。
そしてマリを凝視する。今回は、『ガバっ』とか『ギロっ』とかの擬音まで聞こえてきそうなふたりのタイミング。そのうえ、沙羅は、険しい視線を、さくらにまで向けている始末である。
テーブル席から、沙羅が放つ突き刺さりそうなほどの視線と、カウンター席の、さくらの隣から、小さな体を乗り出すようにして、恥じらいながらも上目遣いに見つめ続けているマリからの視線。
沙羅とマリからの、別々の感情の篭った視線に、思わず引き下がるさくら。
普段は冷静なさくらからは、想像出来ないくらいの慌てようだ。
「さくらちゃん? するの? しないの? デート……」
さくらの華奢な腕を胸に抱きしめながら、なおも詰め寄っていくマリ。
こちらも、いつもとは違い、意外と積極的になっている。
「あの……、だ、だから、なにかあった……の?」
さくらが、少し前に使った質問を繰り返す。マリはかわいらしく
「さくらちゃんっ、マリさんと、デート……するの? するの? するの?」
沙羅のいっそう鋭さを増した視線に、可及的速やかな対応を迫られたさくらが、ついに小さく言葉を漏らした。
「さ、沙羅さんまで……。それに、沙羅さんのは、選択肢がひとつしかないじゃないですか」
「さくらちゃんも夏休みでしょ……? 朝は子どもたちに空手の指導でしょ……? 日中は沙羅ちゃんたちと宿題してるでしょ……? たまには、わたしとも付き合って欲しいんだよぉ……」
ここまでを、俯いて訥々と話しだすマリ。呟かれた言葉は、なんとなく震えている。
マリのその声を、涙声と勘違いしているような沙羅と美亜。こちらも、揃って俯いてしまった。というより、マリから目を離してしまった。
「そういう訳だから、さくらちゃんのこと借りてくよぉ……。これは、デートじゃないからっ⁉︎ ふたりとも安心してっ⁉︎」
それだけを勢いに任せて言うと、マリはさくらの腕を取って、魔桜堂から駆け出していった。
マリのあまりの行動の早さに、見送ることしかできなかった、その場にとり残された、沙羅、美亜、そして小百合。
呆然としている三人に、別の笑い声がかけられた。
「沙羅ちゃんも、美亜ちゃんも、マリちゃんにしてやられたわね。あれ……? もしかして、小百合さんまでもですか? まぁ、マリちゃん、見た目はあれですけど、さくらちゃんとの付き合いは長いですからね」
「しのぶさん……」
沙羅と美亜が揃って声を上げた。魔桜堂の入り口で、しのぶが手を振っている。
「しのぶさん? してやられた……っていうのは?」
「美亜ちゃんたち、マリちゃんのこと、話題にしていたのと違う? マリちゃんが、ここに来る前に……」
しのぶの言葉に、美亜も沙羅も首を捻っては、お互いに顔を見合わせている。
「ふたりとも、心当たりないの……?」
しのぶの言葉に対して、美亜が短く声をあげた。
「わ、わたしがマリさんのこと、新しい火種……って言いました。その言葉にさくらくんも否定はしなかったし……。わたしの言葉の
慌てて立ち上がった美亜を、しのぶが優しく制する。
「美亜ちゃん? マリちゃんは、そんなことくらいで怒ったりしないから、気にしなくていいわよ。今回も、美亜ちゃんの話に乗っかった、さくらちゃんの返事に対して、『……わたしが、さくらちゃんの言ったこと、聞き逃すはずないでしょっ。お姉さんの怖さを見せつけてあげるわっ』……くらいのものだと思うけど?」
マリの声と動きを真似て、しのぶが沙羅たちに説明してくれた。
「マリちゃんは、頭の回転が速いのよ。そこに、さくらちゃんが絡んでくるとなおさらなんだけどね。今ごろは、さくらちゃんを連れ出したのはいいけど、隣でドキドキしどおしのはずよ。マリちゃんは、さくらちゃんのこと溺愛しすぎなのよ……」
しのぶが、ここまで説明を終えて、ため息をひとつ
美亜が、またしても短く呟いた。今度の美亜は悪戯っ子の笑顔をしている。そのまま、沙羅に向き直る。
「いいのぉ? 沙羅ぁ?」
「いいのぉって、何が?」
「さくらくんと一緒に行かなくてよぉ……。このままだと、さくらくん、マリさんにまでも取られちゃうわよぉ。さくらくんの競争率って、意外と高いのよぉ」
美亜が、沙羅の背中を無理やり押そうとけしかける。
さくらに対する、沙羅の想いを知っての言葉なのだが、そこには、応援している気持ちと、反応を見て楽しみたい想いが、半分ずつ混ざりあっている。
「そ、そんなの、困る……」
「だったら、言わなきゃダメよぉ、沙羅。わたしも一緒に連れてって……って」
沙羅に言いながら、美亜の肩が小刻みに震えている。一瞬、しのぶと視線が交錯したことにも、沙羅は気づいていない。
「ほらぁ、沙羅がしっかりしないと……。さくらくんて、あぁ見えて結構鈍いのよ。だから、がんばらないと……、ねっ」
「うん、そうだよね。さくらちゃんたら、ホントに鈍いから……。わたしがしっかりしないとね。がんばるよ、わたし」
そう言うと、大きな瞳を輝かせて、沙羅はさくらのもとへ駆け出していった。
沙羅がさくらを追う後ろ姿を、手をひらひらと振りながら、魔桜堂で見送った美亜が、もうひとこと付け加えた。
勿論、その言葉が沙羅に届くはずはないのだが。
「でもね、沙羅? ホントはあなたがいちばん鈍いんだよぉ。自分の気持ちに気づいてない残念娘ってあなたのことを言うのよぉ……。ねぇ、しのぶさん?」
今まで沙羅が座っていた席にやってきたしのぶの瞳は、かすかに潤んでいる。どうやら、笑いたいのを堪えていたようだった。
「そうかぁ……。沙羅ちゃんがいちばん鈍いんだぁ。美亜ちゃんもそこまで言えるようになったのねぇ。うん、よくがんばったねぇ」
そう言いながら、しのぶは美亜の頭をやさしく撫でる。
しのぶたちは、美亜が退院して、沙羅に連れられ、初めてこの商店街にやってきたその日から、何かにつけてこうするのが日課になっていた。
しのぶだけではなく、
それが、美亜にとっては、この場所で受け入れてもらえたように思え、嬉しく思えたのだった。
「わたしが、今ここにいられるのだって、しのぶさんたちのおかげですよぉ……」
それは、美亜の今の素直な気持ちだった。
「そうねぇ……。でもそれを言うなら、沙羅ちゃんのあなたへの強い想いと、さくらちゃんの魔法の力のおかげだと思うわよ」
「そうですね……。もちろんですよ。沙羅とさくらくんには、感謝、感謝です」
しのぶの言葉に素直に従う美亜。
そんな美亜をやさしく見つめながら、しのぶが話題を変えてきた。
「そうそう、ところで美亜ちゃん?」
「はい?」
美亜のすぐ目の前に、しのぶの顔が近づいてくる。
「美亜ちゃんは、初めからさくらちゃんのこと、迷わずに呼んでたでしょ。それって、さくらちゃんのことを、以前から知ってたっていうこと?」
「さくら……くんのことですか?」
「そう、ほとんどの人たちは、たいてい間違うのよぉ、さくらちゃんのことを……。特に沙羅ちゃんが勘違いしていたときは盛大だったわぁ……。わたしたちも、それに便乗したけどね」
「沙羅なら、それはあるかもしれませんけど……」
美亜が、そこまで言って考え込んでいる。
「以前から……というか、わたしが校舎から転落した時に、魔法を使って助けてくれたのが、さくらくんだったんです。その時は、男の子の制服着てましたから……、女の子だとは間違えないと思います」
そう言った美亜の頬は、自然と上気し、かすかに紅く染まっていた。
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