第3話 開会式 ブラッシュアップ不足バージョン

 晴天の、夏の公私宴開会式当日。午前九時五十九分、気温は既に三十度を超えている。収容能力七万人の公私宴球場は満員。スタンドの過剰な熱が、フィールドの天然芝を焦がした。一羽のハヤブサが球場の上空を滑空した。

 バックスクリーンからややライト寄りの場所に設置されたスコアボードの時計が十時を指し、国営放送である国益放送局のテレビとラジオで夏の公私宴開会式生放送がスタートする。

 夏の公私宴開会式で司会を務めるアナウンサーが、フィールドのダイヤモンドを丸々使って設置されたステージに上がった。

 「これより、第23回夏の公私宴を開催いたします!」

 その声が球場に響いた直後、レフトスタンドに陣取った交響楽団がファンファーレを奏でた。

 「公私宴出場者の入場です!」

 アナウンサーの声に合わせて、交響楽団の奏でる音楽がファンファーレから入場曲に変わった。入場曲の曲名は、民主主義への旅路。1946年にジャズ作曲家の音吹楽斗が作曲したこの曲は、戦前に渡米経験のあった音吹が、デューク・エリントンの楽曲にオマージュを込めて作ったものだった。

 公私宴球場のレフト側には、球場の外に通じるゲートが設置されている。そこから、公私宴出場者たちが球場内に入ってくる。最初に入場してきたのは、前回の夏の公私宴優勝チーム、東東京代表だった。群青色の優勝旗を持った男を従えて、東東京代表チーム18人の先頭を歩くのは、国滅鬼畜丸。国滅は、中肉中背で、平凡なルックスの、六十代前半の男だった。

 沈没党が客席に仕込んだ無数のさくらが、狂ったような歓声を上げた。それによって、沈没党の支持者たちは活気づいた。更に、沈没党の支持者ではない客までもが、周囲の国滅支持に同調し、国滅に声援を送り始めた。あっという間に、観客の大多数が国滅の支持者に仕立て上げられた。

 「夏の公私宴三連覇中の、東東京代表です!」アナウンサーがマイクを強く握りしめ、叫んだ。「先頭を歩くのは、日本の救世主、我らが国滅鬼畜丸総理大臣です! 抱かれたい男ランキング、七年連続ナンバー1! 上司にしたい男ランキング、七年連続ナンバー1! 男性が選ぶなりたい顔ランキング、七年連続ナンバー1! その他もろもろ、ナンバー1! 歴代最高の総理大臣と名高い国滅鬼畜丸総理が、今、素敵な笑顔で、観衆に手を振っております! 混沌を極める世界情勢にあって、唯一人、日本を導ける、モーゼ顔前けの、先導者! 危機管理のスペシャリスト! 道徳の生きた手本! 正しい歴史の伝道者! 株高製造機! 好景気の創造主! 全日本国民の父! 国滅鬼畜丸総理、万歳! 万歳! 万歳!」

 東東京代表チームは球場を一周してから、ステージの真ん前で足を止めた。

 東東京代表チームの次は、北北海道、南北海道、青森県、といった具合に、日本列島の北から順にチームが入場していった。沈没党のチームには拍手喝采があり、沈没党以外の政党のチームにはブーイングが巻き起こった。それらもまた、沈没党のさくらの扇動によるものだった。

 出場者入場は滞りなく進行し、ステージの前に幾つものチームの列が出来た。そうして、鳥取県の順番がやってくる。鳥取県代表チームで入場してきたのは、漢咲唯一人だった。沈没党のさくらが、特大のブーイングを発した。同調した観衆も特大のブーイングを発する。球場は異常な憎悪に包まれた。ブーイングの中には、漢咲の人権を著しく侵害するような暴言も混じっていた。それらは非難ではなく、醜悪な誹謗中傷だった。

 「鳥取県代表です!」アナウンサーが嫌悪感丸出しの声で叫んだ。「日本の恥部、漢咲大黒柱が、哀れ、一人ぼっちで入場です! 人徳のなさを物語る光景です! 非国民の中の非国民! 劣化した政治の権化! こんな人間が政治に携わってよい訳がない! さあ、皆さん! もっと強くブーイングをしましょう! もっと激しく罵ってやりましょう! あの男を政界から、いや、日本から追い出せ!」

 大観衆と司会から罵声を浴びせられながらも、漢咲は胸を張って歩いた。一切臆さず、一切恨めしそうにせず、凛とし続けた。

 鳥取県代表の次に入場してきた島根県代表チームが、沈没党のチームであったために、さくらは急きょ罵声を歓声に変えた。少し遅れて、同調する人々もさくらと同じようにした。

 出場者入場は更に進行し、九州地方まで進んだ。宮崎県代表の入場の段になって、再び球場が異常な憎悪に包まれた。漢咲が浴びせられたのと同じくらい大きなブーイングと、同じくらい悪質な罵声が、宮崎県代表チームの先頭を歩く男に浴びせられる。

 「宮崎県代表です!」アナウンサーが憎しみを込めた声で叫んだ。「先頭を歩くのは、倫理党党首、衆議院議員、国会の面汚しの希望ヶ丘鉄之条です! 実のない偽善を喚き散らすだけの、無能です! 国滅鬼畜丸総理によるありがたい法案にことごとく異を唱える、国会一のクレーマーです! 否定するだけならどんなバカにだって出来る! それがいつまで立っても分からない、脊髄反射の否定野郎! 国会の遅延装置! 国滅鬼畜丸総理のすばらしさを素直に認められないひねくれ野郎! 器が小さい! 税金泥棒の筆頭! 日本の時限爆弾! 政界の膿! 虫唾が走る、消え失せろ!」

 希望ヶ丘は、二メートル近い身長で、体重は百キログラムほどだった。大きくて強くて柔らかい上質な筋肉を有した肉体。マリモみたいなアフロヘアー。鋭い眼光を隠したサングラス。目立つ青髭。人好きのする口。シャープな顎。ハケットロンドンのスーツにエドワードグリーンのローファー。獅子のオーラを醸し出す、四十代。希望ヶ丘も漢咲同様、罵声に対して一切動じず、凛とし続けた。

 選手入場が進むなかで、さくらと、同調する人々は次第に同化していった。彼らが同化して出来上がった集団は、一つの怪物になっていた。行動原理の全てがシンクロして、個人が失われた、悍ましい怪物だった。そうして、沖縄県代表が入場してくると、最早さくらも何もなく、怪物は沖縄県代表の先頭を歩く女を罵倒し始めた。

 沖縄県代表チームの先頭を歩く女は、長身の美しい女だった。はての浜を擬人化したかのような、果てしない美貌の女だった。

 「沖縄県代表です!」アナウンサーが憎悪によって裏返った声で叫ぶ。「先頭を歩くのは、良心党党首、衆議院議員、性悪女、愛母美海! 政治家の理想形である我らが偉大な指導者国滅鬼畜丸総理を、国会で何度も侮辱した、大罪人です! 女性の地位向上を謳いながら、自身の軽薄さで女性の地位を貶めている、全女性の敵です! 自分は美人だと勘違いした挙句、男の性につけいり、不当な地位を得た、万死に値する、ビッチです! 更に、この女は・・・・・・」

 「おい! 腐れアナウンサー!」

 大音量のアナウンサーの声よりも大きな声が、沖縄県代表チームの列の中から発せられた。その声は、観客席から轟いてくる怒号よりも大きかった。アナウンサーと観衆が驚きのあまり沈黙し、球場は静まり返った。大声の主が列から外れ、両手をポケットにつっこんだまま、愛母の隣まで大股で歩いた。大声の主は、ラフな服装の若い男だった。その顔は、タトゥーと無数のピアスで飾られていた。

 「お止めなさい、上原さん」愛母が大声の主に向かって言った。

 上原は愛母の声を無視して、アナウンサーを睨み、叫んだ。

 「クソしか吐き出さねえそのケツ穴みたいな口を今すぐ閉じやがれ!」

 上原の強い気迫に気圧され、アナウンサーは小さな悲鳴を漏らし、尻餅をついた。

 上原は、アナウンサーからバックネット裏へと顔の正面を向け、高々と左手を上げ、その中指を突き立てた。そのまま、ライトスタンドを向き、レフトスタンドを向き、叫ぶ。

 「さくらのクズども! さくらの思い通りになってるバカども! 安全地帯からきたねえ言葉をまき散らしてねえで、文句があるならフィールドに降りてこいや! 全員まとめて八つ裂きにしてやっからよお!」

 上原の発言は、観衆の憎悪を増幅させた。群れのテリトリーを侵されて激怒するカバのように、安全地帯のテリトリーを侵された観衆は怒り狂ったのだ。今までよりも更に悪質な罵声が上原に向かって放たれる。その罵声は、球場を邪悪に歪めるほど凶悪だった。

 ライトスタンドから、フェンスを乗り越えてフィールドに侵入する男たちが十人いた。怒り狂っているその男たちは、ナイフや釘バットなどの武器を持って、上原に向かって真っすぐに走った。

 「そんなおもちゃで俺がヤれっかよ!」向かってくる十人に対して上原が叫んだ。「返り討ちだ! 目ん玉も金玉もえぐり取ってやんぜ!」

 上原は殺気を放ち、夫婦手の中段開手構えをとった。目ん玉も金玉もえぐり取ってやんぜ! という言葉が脅しではないことを証明する構えだった。血の雨が降る、誰もがそう確信した正にその時、愛母が上原の真っ正面に立った。愛母は微笑みながら、上原の目を優しく見詰めた。

 「止めなさい、海斗」愛母が言った。

 殺伐とした雰囲気に似つかわしくない穏やかな声で名前を呼ばれ、上原は一瞬で戦意を失った。上原は舌打ちをして、構えを解いた。

 「邪魔だ! どけ! どかねえなら、お前からヤっちまうぞ!」

 十人が声を揃えて、愛母に向かって叫んだ。どすのきいた恐ろしい声が十人分重なった、身の毛もよだつ怒号だった。その怒号を背中に浴びても、愛母は全く動じなかった。愛母は振り向いた。そうして、すぐそばまで迫ってきた十人を優しく見詰めた。

 「お止めなさい、私のかわいい子供たち」

 綿毛のように柔らかな愛母の声を浴びて、十人は急停止した。過去、女が相手でも容赦なく暴力を振るってきた十人は揃って、愛母に対して暴力を行使しない自分自身を訝った。この女をヤっちまえ! と、脳内で叫んでみる。しかし、体は言うことを聞かず、一歩も動けない。一歩も動けないどころか、愛母の顔から目を離すことすら出来ない。この美しく優しい顔を見ていると憎しみを忘れてしまいそうだ、と、十人は思う。思って、ハッとする。俺はそんなヤワなタマじゃねえ、と、自分に言い聞かす。そうして、必死に強がった。

 「私のかわいい子供たち、だとよ! イカれてんのか、このアマ!?」十人が声を揃えて言った。

 「全ての日本人は、私がお腹を痛めて産んだ子に等しい。私はあなたたちのお母さん。お母さんはあなたたちを心から愛している」

 愛母の声は、母性の源泉だった。それを耳の穴に優しく注がれて、十人は身震いした。甘美な身震いだった。無条件に愛される至高の喜び。骨抜きになるどころではない、骨がとろける悦楽。十人は愛母の母性に浸り、全ての憎しみを捨て去って、童心に返った。

 「ママ」十人が声を揃えて言った。幼児プレイの熟練者よりも幼い声音だった。

 「スタンドに戻りなさい。お母さんの言うこと、聞けるわね?」

 「ママ! 聞けるよ! 僕、ママの言うことちゃんと聞けるよ!」

 そう言って、十人はライトスタンドに向かって我先にと走り出した。ママに褒められたい、その一心で走り、フェンスをよじ登り、スタンドから愛母を見やる。愛母は微笑みながら拍手をしていた。それを見て、十人は昇天した。愛なき世界で生きてきた十人は、愛母によって愛というものを生れて初めて知ったのだった。十人の魂は無垢な翼で辰野町上空を飛び回った後、元の肉体に戻り、汚れの消え去った心根で、祈った。誰に何を祈る? 愛母に全人類の平和を祈ったのだ。十人にとって愛母はもう、愛の女神そのものだった。

 乱闘を期待していた観衆は、十人の行動に怒りを覚え、更に罵声を強めた。言葉の暴力を無数に浴びせかけられて尚、愛母は慈しむような目をスタンドに向け、そうして、徐に歌い出した。宮古島に伝わる民謡、ばんがむり、である。オカリナの音色よりも美しく純粋な歌声が球場に響き渡る。決して大きくないその歌声が、特大の罵声にかき消されることなく人々の耳に届いた現象は、愛は憎しみよりも強いという真実の体現であった。罵声を放っていた人々は、次第に声を抑え、愛母の歌に耳を澄ませていき、うっとりとして、甘えた声でママとつぶやき、心穏やかになっていった。

 愛母が歌い終えたとき、もう、観衆の汚れは払われていた。観衆は全員、愛母に祈っていた。優しさが場を包み込み、公私宴球場は楽園と化した。

 「本当に恐ろしい女だよ、あんたは」上原が愛母に向かって言った。「弱い気の奴は誰でもあんたをママと呼ぶようになる」

 「私は日本のお母さんなんだから、ママと呼ばれるのは当然のこと」愛母は言った。「あなたも、小さい頃のように私をママと呼んでいいのよ」

 上原は頬を赤らめ、「黒歴史だ、忘れろ」と言った。

 小鳥のさえずりが聞こえてくるほどの静寂に包まれた公私宴球場で、沖縄県代表は行進を再開した。その行進が済んで、選手入場は終了した。

 全四十九チームがフィールドにずらりと並ぶ様は壮観だった。

 気を持ち直したアナウンサーが、立ち上がり、叫ぶ。

 「続きましては! 国旗掲揚です!」

 バックスクリーンのそばに設置された旗ポールに、旗が上がっていく。その旗は、国滅鬼畜丸の顔が大きくプリントされた選挙ポスターと見紛う代物だった。揚がったのはその旗だけで、国旗掲揚は国旗が揚がらないまま終了した。

 「続きましては、公私宴運営委員会会長、柳生正義公私宴大臣からのあいさつです!」国旗掲揚で国旗が上がらない不自然に一切躊躇することなく、アナウンサーは言った。

 公私宴運営委員会会長兼公私宴大臣の柳生がステージに上がった。柳生は七十代の小男だった。

 「出場者の皆さま、観客の皆さま、本日は大変暑いなか夏の公私宴開会式にお集まり頂きまして、誠にありがとうございます。さて、戦後八十六年が立ち、夏の公私宴開催もこれで二十三回目の運びとなりました。私は第12回夏の公私宴から公私宴運営委員会の一員として公私宴に携わらせていただいておりますが、今回の開会式ほど総務省のやりたい放題にされたことは過去に一度もございません。アナウンサーの実況から観客の皆さまの声に至るまで、これほどに偏りのある、醜悪な罵声が飛び交った選手入場は過去に一度もございません。国旗掲揚で国旗が揚がらなかったことも過去に一度もなく、一政治家の顔写真がプリントされた旗が揚がったことなども過去に一度もございません。民主主義の下、公正に執り行われるべき公私宴の開会式がこのようなプロパガンダに仕立て上げられてしまったことは、痛恨の極みであり、大変に遺憾です。観客の皆さまと視聴者の皆さまには、何が真実であるのかをご自身で考えて頂きたいと、私は公私宴運営委員会会長としてではなく、公私宴大臣としてでもなく、一人の日本国民として、切に願っております。私からのあいさつは以上です」

 言い終わり、柳生はステージ上から国滅を睨み付けた。国滅は不敵に微笑んだ。その微笑みは、邪悪そのものだった。

 「続きましては、内閣総理大臣による優勝旗の返還と、出場者宣誓です!」アナウンサーが言った。

 国滅は従えていた男から優勝旗を受け取り、胸を張って歩き、ステージに上がり、柳生に優勝旗を手渡した。

 「ナめたこと言ってくれたな、老害。覚悟しておけよ。この大会が終わったら、政界からたたき出してやるからな」

 集音マイクでも拾えない小さな声で国滅が言った。その声は柳生だけにしか聞こえなかった。恐ろしい声を発しながらも、国滅は笑みを絶やさなかった。

 国滅はバックスクリーンに体の正面を向け、口を開いた。

 「私、国滅鬼畜丸が総理大臣の任に就いてから、早八年が立ちました。思えば、八年前、日本はコロナウイルス終息後も混迷を続け、亡国の一途を辿っておりました。前総理大臣である、賢王道山の悪政によって疲弊した日本を再び世界一の国にすることが、総理大臣に就任する際、私に課せられた責務でございました。総理大臣就任当時、私はまだ、うら若い五十四歳でございました。下劣な野党や低俗な一部マスコミからは、こんな若造に日本が救えるものか、などという見当外れな非難が聞かれましたが、私はそういった見当外れの非難に負けず、国民の皆様のために、粉骨砕身、働いてまいりました。全国民の、支持と、期待と、親愛を一身に受け止めて、粉骨砕身、働いてまいりました。国難極まった、2020年代、粉骨砕身、働いてまいりました。この八年間、私は愛する日本のために、数々の画期的な政策を打ち出してまいりました。異次元緩和を超越した異世界緩和による前人未踏の超低金利。それと並行して行われた経済政策、日銀筆頭株主政策の完遂。そうして実現した、株価の爆上がり、経済大国日本の復活。同時に、無限円安によって輸出大国日本の復権も果たし、更には、新たに定めた社畜正規雇用法によって正規雇用の拡大をも実現いたしました。安全保障の問題に関しましては、米中キャパシティ全振り外交で世界を手玉に取り、アジアの聖域という日本の立場を確立いたしました。また、私の私設軍隊、国滅鬼畜丸軍の創設によって、近隣諸国への抑止力は強化され、日本は、誰もが住みたいと願う世界一安全な国となりました。その他にも、私の功績は枚挙にいとまがなく、語り出したら切りがありません。そうした、八年間の私の努力が実を結び、日本は、世界の覇権奪取に向けて、着実に、前進しました。しかし、その道は未だ、道半ばでございます。ですが、もう一期、私が総理であることを有権者の皆様がお許しくだされば、必ずや、この国滅鬼畜丸、日本ファーストを推し進め、必ずや、今後四年以内に世界の覇権を取ることをここにお約束いたします! 今、この場でこうして自信を持って世界の覇権を取ると言い切れるのは、この会場にお越し頂いた有権者の皆様の暖かい声援があったからです。先程の、出場者入場の際、皆様は、私のような素晴らしい人間を素直に称賛し、また、漢咲大黒柱などのような劣悪な人間を勇敢に非難されました。良いものは良いと発言し、悪いものは悪いと発言する、その民主主義の精神が、私の総理大臣としての八年の間に、ここまで国民の皆様に浸透したのだと知り、私は多大な勇気を頂き、世界の覇権を取ると言い切ることが出来たのです。国民の皆様には、私を支持し、私に勇気を与えてくださったことを心から感謝いたします! 私の心を打った、皆様の民主主義に則った言動、それを、お歳を召された柳生公私宴大臣は先程のあいさつで、否定しました。民主主義を否定するような人間が、この二十一世紀の政界に存在していることは、痛恨の極みであり、大変に遺憾です。私は、次の総理大臣としての四年間で、必ずや、政界の膿を出し尽くし、清廉潔白な政界を作り上げることを、ここにお約束いたします! 私と国民の皆様は、相思相愛です。私はあなた方を愛しています。ですから、この夏の公私宴、どうか沈没党を応援してください。私は、この過酷な夏の公私宴を勝ち抜き、東東京代表を優勝に導き、私を総理にという全国民の皆様の切な願いに必ずや応えてみせます! 全国民の国滅鬼畜丸支持者の皆様、私と一緒に、世界を見下ろす覇権国家日本を作りましょう! 我々の日本が世界一豊かな国になるまで後一歩です! 総理大臣としてのもう一期を私、国滅鬼畜丸にどうかお与えください! 私だけが、この世界で唯一、皆様の望みをかなえることが出来る政治家なのですから!」

 国滅の声は、愛母の歌によって心穏やかになっていた観衆を再び邪悪に染め上げた。息を吹き返したさくらが歓声を上げる。同調する人々がそれに続く。公私宴球場は割れんばかりの国滅コールに支配された。国滅は両手を高らかに上げ、歓声に応えながらステージを下り、東東京代表チームの先頭へと戻った。

 「すばらしい、歴史に残る出場者宣誓でございました!」アナウンサーが涙ながらに言った。「世界に誇る我らが名君、国滅鬼畜丸総理、万歳! 万歳! 万歳!」

 アナウンサーに続いて、観衆も万歳を始めた。巨大な万歳の波が、アメリカの球場を模して造られた場所で猛り狂う様は、異様だった。万歳は三分ほどノンストップで続いた。

 「続きましては」激しい万歳で息も絶え絶えになったアナウンサーが言った。「108発打ち上げ花火です!」

 人間が持つ108の煩悩、それら全てを天に打ち上げて消し去るという目的で第一回夏の公私宴から行われているのが、この行事、108発打ち上げ花火である。同時に二発以上打ち上げることはせず、一発ずつ順番に打ち上げていくため、昨今では冗長すぎると非難されがちな行事であった。

 一発目の打ち上げ花火が上がった。四尺玉の冠菊だった。澄んだ青空に火の柳が垂れた。観衆の視線もテレビカメラのレンズも全て空に向けられる。

 二発目の花火が上がってすぐ、国滅は東東京代表チームの列から離れ、沖縄県代表チームの先頭に立つ愛母のそばまで歩いていった。

 「少し痩せたようだね、愛母議員。尻のラインがシャープになった。また綺麗になったよ、君は」国滅が舌なめずりをした。「女は二十歳を超えたらババアだが、君だけは別だ」

 「そのような下劣な発言はお止めなさい、国滅さん」愛母が無表情で言った。

 「何を言っても問題ないのさ、オフレコだからね」

 「オフレコであろうとも、あなたの発言で私が不快を感じた事実は変わりません」

 国滅は両腕を大きく開き、天を仰ぎ、首を横に振り、「女はすぐこれだ! すぐに不快を感じただの何だのと文句を言う! 男に媚びる以外に脳のない生き物の分際で、自尊心ばかりが強くていけない!」と言った。

 「それが、男女平等を謳う国滅鬼畜丸総理大臣の本心ですか」愛母は怒りをこめて言った。

 「公でなら幾らでも女に媚を売るさ。嘆かわしいことに、女も有権者だからね」

 「国滅さん。私はあなたを軽蔑します。やはりあなたは総理大臣であるべき人間ではない。もっと言うならば、政治家であるべき人間ですらない」

 「いいね。君みたいなクール系の美女が怒りの炎を燃やす様は、美しい。そんな女の炎を力ずくで鎮火してやることこそが、男の喜びだ」

 「あなたとはもう何も話すことはありません」

 「そう言うなよ。この世界一の色男、国滅鬼畜丸がわざわざ口説いてやってるんだ。靡けよ」国滅は微笑んだ。口角の角度にこだわりぬいた、自慢の微笑みだった。

 愛母は嫌悪のあまり首を横に振った。

 「一発ヤラせてくれたらよ、良心党の議席数が増えるよう手心を加えてやるからよ、いつまでもツンツンしてねえで、俺という最高の男を素直に受け入れな」

 そう言いながら、国滅は愛母の臀部に手を伸ばした。わきわきと五指を蠢かせた嫌らしい手が臀部に迫る。

 国滅の手が愛母の臀部に触れる寸前、上原が国滅の手首をつかんだ。汚らわしい手は愛母の臀部に触れずに終わった。

 「なんだ、ガキ?」国滅が上原を睨み付けながら言った。「総理大臣の体に気安く触れることがどれほどの大罪か、知っての狼藉か?」

 「黙れよ、クソ野郎」

 そう言って、上原は国滅の手首を強く握り締めた。国滅の手首がみしみしと鳴った。

 「痛い!」国滅が悲鳴を上げた。「骨が折れる! 止めろ! 止めてくれ!」

 国滅は両膝をつき、懇願した。上原はそれを無視した。

 「海斗、手を放しなさい」

 愛母に言われ、上原は国滅の手首を放した。国滅は涙目になりながら、上原につかまれていた部分をさすった。

 「国滅鬼畜丸総理様! 大丈夫でございますか!?」

 そう叫んだのは、白人男性のような骨格に巨大な筋肉を纏った若い大男だった。大男は国滅に駆け寄り、痛がる国滅のそばで両膝をつき、激しく取り乱した。

 「おお! 御労しや、我らが絶対の主、国滅鬼畜丸総理様! その高貴な御手首を下郎に汚されて、御労しや!」大男は号泣した。それから、激怒し、立ち上がり、上原を睨んだ。「下郎! 貴様、自分が何をしたか分かっているのか!?」

 「分からんね」上原が言った。「関係ない奴が口を挟むんじゃねえよ」

 「関係ないだと!? この私が国滅鬼畜丸総理様と無関係だと申すか!? 貴様! 誰に物を言っているのか分かっているのか!?」

 「大物ぶってんじゃねえよ。てめえなんざ知らねえ」

 「何という無知・・・・・・いいだろう、名乗ってやる。私は、第二十二回夏の公私宴で初当選した衆議院議員、国滅鬼畜丸チルドレンの筆頭、北北海道代表キャプテン、剛腕悪太郎だ! 頭が高い、控えい、小僧!」

 「肩書をご大層に並べ立ててマウントを取りにくるっていうのは、てめえらみてえなゴミクズの常套手段だな。ケツ穴が小さくてしょうがねえや、てめえらは。あいにく、俺は相手が誰だろうが頭を低くしねえし、控えもしねえよ」

 「上級国民であるこの剛腕悪太郎に頭を垂れぬということは、貴様、それ相応の地位と権力を有しているのであろうな?」

 「そんなもんは持っちゃいねえ。必要ねえからな」上原は自身の胸をポンと叩いた。「俺は、民宿で働いて、それで充分に幸せな男だ」

 「民宿で働く? 貴様は経営者か?」剛腕が言った。

 「経営者じゃねえ、労働者だ」上原は胸を張った。

 上原の声を聞いて、剛腕は五秒ほど沈黙し、それから、大声で笑い出した。花火が弾ける音よりも大きな笑い声だった。

 「貴様、正真正銘の下級国民ではないか!」そう言ってから、剛腕は笑うのを止め、鬼の形相で叫んだ。「貴様のような卑しい労働者階級ごときが、上級国民に生意気な口をきくんじゃない! 戯け者!」

 上原は剛腕に向かって左手の中指を突き立てた。そうして、「てめえこそ生意気な口をきくんじゃねえよ。ケツ穴にフィスト突っ込んで奥歯爆破すっぞ、ごらあ!」と言った。

 「下級国民らしい低能ぶりよ。口を開けばケツ穴ケツ穴と、語彙が少ないにも程がある!」

 「てめえみてえな無能とコミュニケーションをとるのには、ケツ穴って単語一つで事足りるんだよ」そう言ってから、上原は国滅を見やった。「ほら、お前の大好きな国滅のバカが痛い痛いって泣いてるぜ。早くあいつを医務室に連れてってやりな。それから、奴のケツ穴にヨロシクして、喜ばせてやんな」

 上原のその発言は、剛腕の逆鱗に触れた。10000トンの有機物をマグマに一遍に投げ込んだ際に起こる現象が、剛腕の心中で起こった。その怒りの爆発は心中で収まらず、肉体にも作用し、剛腕が身に付けていた衣服を全て吹き飛ばした。全裸となり、白日の下にさらされたその肉体は、炎そのものであるかのように怒りで真っ赤に染まっていた。全身で怒りを表しながら、剛腕は強大な気を放った。大城山に生息する動物たちが恐怖のあまり一斉に山を下りるほど強大な気だった。

 「この剛腕悪太郎! 自分自身を愚弄されようとも、自分の両親を愚弄されようとも、日本を愚弄されようとも、沈没党を愚弄されようとも、怒ったりはしない! しかし、偉大な指導者国滅鬼畜丸総理様を愚弄されたならば、例え相手がアメリカ大統領だろうがローマ法王だろうが、絶対に許さん! 小僧! 貴様を生かしてはおかんぞ! 国滅鬼畜丸総理様を愚弄した罪、死を持って償え!」

 剛腕は上原目掛けて強烈な右のパンチを放った。時速10000キロメートルで直進する砲弾みたいなパンチだった。間髪入れず、上原も強大な気を放ちながら左のパンチを繰り出す。カウンター狙いの上品なパンチではなく、迫りくるこぶしに向かってこぶしを放ち正面衝突で相手のこぶしも心も破壊しようという、泥臭いパンチだった。

 剛腕と上原、どちらかのこぶしが爆ぜる、あるいは、両者のこぶしが爆ぜる、そんなグロテスクな事態が現実のものになろうかという寸前で、剛腕と上原のパンチがピタッと止まった。漢咲が二人の手首をつかんだのだ。つかまれた部分に漢咲の気を感じて、二人は冷や汗を流した。二人は揃って漢咲の顔を見た。漢咲の顔は静かな怒りを宿していた。

 「この球場は、国民のためにある選挙の場です。断じて、暴力を行使する場所ではない」地球の中心から響いてくるような深く力強い声で、漢咲は言った。

 「僻地の知事風情が、衆議院議員に説教を垂れるな!」という声を、剛腕は発しようとした。しかし、漢咲の気に圧倒され、声帯が縮こまってしまったために、発声することはかなわなかった。

 「あんたの言うことはもっともだが、俺は一度殴ると決めた奴は何が何でも殴るぜ。引っ込んでな」という声を、上原は発しようとした。しかし、漢咲の漢気に惚れ、ハートが震えてしまったために、発声することはかなわなかった。

 黙した剛腕と上原は、一見、戦意を失ったように見えた。しかし、怒りと憎しみは二人の心中で尚も猛り続けていた。二人は、漢咲につかまれていない方の手で再びパンチを繰り出した。こぶしとこぶしの正面衝突、泥臭いパンチの再現だ。そのパンチは、衝突する寸前でピタッと止まるところまで最初のパンチを再現していた。今回、二人の手首をつかんだのは、希望ヶ丘だった。つかまれた部分に希望ヶ丘の気を感じて、二人は流す冷や汗の量を増した。

 「おいたが過ぎるぜ、坊やたち」希望ヶ丘が笑みを浮かべながら言った。「アライグマだってもう少し分別があるぜ」

 漢咲が龍ならば、希望ヶ丘は虎だった。龍虎に両手の自由を封じられながらも我を通すほど、剛腕と上原は無謀な男ではなかった。怒りと憎しみは未だ絶えずとも、二人は矛を収めるようにして、放っていた気を収めた。漢咲と希望ヶ丘がつかんでいた手首を放すと、剛腕と上原は大人しくこぶしを引っ込めた。

 「相変わらず、所構わずに綺麗事を吹聴しているみたいだな、漢咲よお」手首の痛みが引いて、すっかり調子を取り戻した国滅が言った。「お前さん、今どこの知事をやってるんだっけ?」

 「鳥取県です」漢咲は国滅と向かい合い、言った。

 「鳥取県って、まだ人が住んでたのか。すまないね、中央政府暮らしが長いもので、認知していなかったよ」

 そう言って、国滅は嫌味ったらしく笑った。剛腕が失笑の声を露骨にもらした。

 「お時間があったら、一度鳥取県にいらっしゃい。人も、土地も、文化も、全てが素晴らしい、良い場所ですよ」

 「無礼だぞ! 貴様!」剛腕が唐突に怒鳴った。「ご多忙な総理様に向かって、砂丘しかないような僻地に来いなどと、礼節をわきまえないにも程がある!」

 「愚者の発言に一々腹を立てるな、剛腕君。気が滅入ってしまうぞ」国滅が言った。

 国滅は前進し、漢咲との距離を体が触れるギリギリまで縮めた。二人の身長差は四十センチメートル近くあり、超近距離では互いの目を見て話すことすら困難だった。

 「剛腕君、俺を抱っこしたまえ」

 国滅に命じられ、剛腕は脊髄反射で動いた。剛腕は、国滅の脇に両手を入れ、そのまま国滅を持ち上げた。そうして、漢咲と国滅の目線の高さが同じになった。

 「よお、漢咲よ。悔しいだろう? 同い年の総理大臣を目の前にして、僻地でチンケな知事なんかやってる自分が恥ずかしくなっただろう?」漢咲の口元に息を吐きかけながら、国滅はゆっくりとした口調で言った。

 「県民の方々のそばに身を置き、県民の方々の声を聞きながら政治が出来る。これほど素晴らしい仕事を任せられた喜びは筆舌に尽くし難い。私は、総理大臣の任を果たすのと同じ心持ちで鳥取県知事の任に就いています。悔しいことなどあろうはずがなく、また、恥ずかしいことなどもあろうはずがない」ミントの香りがする爽やかな息を吐きながら、漢咲は言った。

 「真顔で負け惜しみを言いやがって・・・・・・」国滅のこめかみから一筋の血が流れた。こめかみに浮かび上がった血管がブチ切れたのだ。それ程に、国滅は激怒した。「悔しがれ! 漢咲! 悔しがって、地を這いつくばって、俺に羨望の眼差しを向けろ! 俺を気持ち良くしろ! 総理大臣の俺に気を使えよ、この野郎!」

 国滅が叫んで飛ばした唾液が、漢咲の顔を汚した。それでも、漢咲は顔色一つ変えず、真っ直ぐな目を国滅の目に向け続けた。

 「政治家の責務は、国民に気を配り、国民が気持ち良く生活できるよう尽力することです。総理大臣に気を配り、総理大臣を気持ち良くすることは、政治家の責務ではない」

 漢咲の声を浴びて、国滅は歯を食い縛り、激高と苦悶の混じった表情を作った。国滅は、自分に対して媚びへつらわない人間というものに不慣れだった。俺を気持ち良くしろ! などと一々命じなくても自分を気持ち良くしてくれる人間に囲まれて日々を過ごしている国滅にとって、意のままにならない漢咲は憎悪の対象でしかなかった。

 「漢咲の野郎、許せねえ。何かこいつを悔しがらせる手段はないものか?」そう心中でつぶやいて、悪知恵を働かせる。そうして、一つの考えを思い付き、国滅は幼稚な笑みを浮かべた。

 「剛腕君、もういい。降ろしたまえ」

 剛腕は素早く国滅を降ろした。

 「剛腕君、美政麗をここに呼んできたまえ」

 剛腕はその命令にも素早く対応し、西東京代表チームの先頭に立っていた美政をすぐに国滅のそばまで連れてきた。

 「美政麗、ただ今参上いたしました。国滅総理、何の御用でございましょうか」

 「ご苦労さん、美政ちゃん」そう言って、国滅は美政の肩に腕を回した。それから、漢咲を見やり、ニヤリと笑う。「お前の右腕になると目されていた男、美政麗は今、俺の腹心だ」

 「腹心などと、もったいないお言葉にございます」美政は繕った声で言った。

 「現在の内閣では派閥の問題なんかで閣僚に任命してやれなかったが、次の内閣では官房長官に任命してやろうと思ってるんだよ、俺は、この腹心の美政ちゃんのことをよ。漢咲大黒柱とかいうアホが尊敬して止まない、いつぞやの総理大臣、国滅対語が官房長官に据えたいと言った、最強のナンバー2気質美政麗が、俺の官房長官になるのさ。どうだ、漢咲、俺が羨ましいだろう? 悔しいだろう、漢咲? 自分の内閣で官房長官を務めるはずだった親友を俺に取られて、屈辱の極みであろう、漢咲!?」

 「おいおい、一国の総理大臣ともあろう男が、なんて幼稚なことをしてやがるんだよ!」希望ヶ丘が国滅に向かって言った。「略奪愛の成果を喚き散らして自己肯定感を得るチンカスみてえな脳みその作りをしやがって、救いようがねえや、この総理大臣は。いい歳して、精神年齢がしょんべん臭いんだよ、あんぽんたん。てめえみてえな小物は、さっさと総理なんてやめちまえ、この国のためにもよ」

 希望ヶ丘の発言は、国滅を激怒させるよりも先に、剛腕を激怒させた。怒りのあまりに我を忘れた剛腕は、奇声を上げながら希望ヶ丘にパンチを放った。そのパンチを、希望ヶ丘は小指一本で受け止めた。突き指すらしない、ノーダメージだ。

 「親玉のためにブチ切れる、その姿勢は買うぜ、坊や。でもな、ほんの数分前に手首つかまれて感じた実力差を失念して力任せのこぶしを放つ、その間抜けっぷりは買えねえよ」

 その声が耳に入らないほどに、剛腕は怒り狂っていた。剛腕は再び奇声を上げ、もう一度パンチを放とうとした。

 「やめねえか、剛腕! 俺に恥をかかせるんじゃねえ!」国滅が怒鳴った。「そのふざけた緑アフロを確実にヤれねえんなら、パンチなんぞ打つんじゃねえ! てめえが弱いと思われたら、俺まで弱いと思われるだろうが! 国滅鬼畜丸チルドレンの名に泥を塗る真似をするんじゃねえよ、バカ!」

 国滅の声で、剛腕は我に返った。

 「申し訳ございません! 国滅鬼畜丸総理様!」剛腕はこぶしを引っ込め、国滅の方を向き、跪いた。「国滅鬼畜丸チルドレンの名に泥を塗った罪、この剛腕悪太郎、腹を切って償いまする!」

 「腹切りなんてクソの足しにもならねえもんは必要ねえ! てめえは、これからも俺に楯突く害虫どもをヤり続けて、罪を償っていけばいいんだ!」

 「なんというご慈悲! ありがたや! ありがたや!」感極まって、剛腕は大量の涙を流した。「国滅鬼畜丸総理様は正しく聖人君子の鏡! この剛腕悪太郎、一生涯、あなた様に尽くしまする!」

 心酔は性愛に似ている。盲目になり、自分と相手の痴態が見えなくなり、獣と化す点が、一致している。それが事実であることを、剛腕の肉体が証明していた。剛腕の男の部位は、国滅への激しい心酔によって、天を穿っていた。

 国滅は剛腕の痴態に目を向けず、希望ヶ丘を睨み付け、そのまま希望ヶ丘を指差した。それから、漢咲を指差し、上原を指差し、口を開く。

 「お前ら三人、この大会中に皆殺しだ。沈没党の総力を挙げて、皆殺しだ。泣いて謝っても許さねえぞ。皆殺しだ」

 「てめえにタマ取られる前に、俺がてめえのタマを取ってやるよ。四回戦でな」上原が言った。

 「悪いな、坊や。この総理大臣のタマは俺が取るんだ。三回戦でね」希望ヶ丘が言った。「めちゃくちゃになっちまったこの国を、どげんかせんといかん。政治家の責任として、俺が戦後最悪の総理大臣に引導を渡す」

 「今のうちに好きなだけほざいとけよ、虫けらども」国滅は笑みを浮かべた。最悪、という言葉を具現したかのような笑みだった。「俺を怒らせた時点で、お前らの人生はツんでるんだ。世界一偉い総理大臣様に目を付けられたらどうなるか、思い知らせてやる。どんな手を使ってでも、なぶり殺してやるからな。それから、愛母議員。こいつらを血祭りにあげるついでに、あんたのことも犯してやるぜ。俺を袖にしたことを後悔させてやるぜ。俺の股間のビッグマグナムに突かれる時を、楽しみに待っていな」

 悍ましい顔をして悍ましい言葉を吐き捨てる国滅に、漢咲は悲しみに満ちた眼差しを向けた。

 「鬼畜丸さん。対語先生が・・・・・・お父上が草葉の陰で泣いていますよ」

 国滅は笑みを消し去り、血走った目で漢咲を睨んだ。

 「人類史上最も優れた人間であるこの国滅鬼畜丸よりも、貴様のような卑しい下級国民の出の人間のほうが総理大臣にふさわしいなどと嘯いた、あんな節穴目玉オヤジなんぞ、どこで泣いていようが一向に構わんね!」

 緊迫した空気が、漢咲と国滅の間に漂った。因縁が、二人の姿を球場に際立たせた。

 「時は来た。それだけだ」と漢咲が呟いて、「お前が死ぬ時がな」と国滅が呟いた。そうして、二人は互いに視線を外した。

 百八発目の打ち上げ花火が青空を彩った。弾けた火の粉が儚く散って、漢咲たちはそれぞれの代表の列に戻った。

 「続きましては、大会歌の歌唱です! 国民的アイドルグループ、エンジェルイレブンの新曲、第23回夏の公私宴テーマ曲、鬼畜丸フォーエバー、世界初披露です! エンジェルイレブンの方々、どうぞ、ステージへ!」

 アナウンサーが言い終わると、公私宴球場上空に三機の大型ヘリがやってきた。スーパースタリオンが一機と、チヌークが二機である。二機のチヌークから、五人ずつ、計十人の少女が空へ身を投げ出した。観衆は落下してくる少女たちを見つけ、悲鳴を上げた。少女たちは、観衆の心臓を停止寸前まで追い込んでから、パラシュートを開いた。そうして、少女たちは、ヘイロー降下を成功させ、公私宴球場のステージに降り立った。悲鳴が歓声に変わり、観衆の熱気が高まるなか、スーパースタリオンから一人の少女が空へ身を投げた。彼女もまた、ヘイロー降下を成功させる。その少女がステージに降り立つと、ステージに設置されていた大量のスパークラーが一斉に火花を噴き上げた。

 「皆さん! 聞いて下さい!」最後にステージに降り立った少女がグループのセンターポジションに立ちながら言った。「私たちエンジェルイレブンの十八枚目のシングル、鬼畜丸フォーエバー!」

 Jポップの典型みたいな演奏が始まり、エンジェルイレブンの少女たちが踊り出す。手の指先にまで意識が向いた、素晴らしい踊りだ。少女たちが歌い出す。その歌声もまた、発声の基本からしっかりと磨き上げられた素晴らしいものだった。少女たちのパフォーマンスは、技巧に裏付けされて、ほぼ完璧なものに仕上がっていた。その完璧さにケチを付けているのは、国滅を終始称賛するプロパガンダ丸出しの歌詞と、グループのセンターポジションを務める少女よりも端っこのポジションを務めている少女のほうが遥かに技巧が優れている点くらいのものだった。そういった点に違和感を覚えない観衆たちは、少女たちのパフォーマンスに満足し、熱狂のあまりに失神する人が続出するほど盛り上がった。

 エンジェルイレブンのパフォーマンスが終わると、割れんばかりの歓声と拍手が球場を包み込んだ。それらの音にかき消されないよう、アナウンサーは喉ちんこが飛び出しそうになるほどの大声で、「続きましては、出場者退場です!」と叫んだ。

 出場者たちがレフト側のゲートから退場していく。順番は、入場した順の逆だった。東東京代表チームが大歓声を浴びながら退場を済ませ、出場者退場は終わった。

 「公私宴史上、最高の開会式でした!」看板アナウンサーが言った。「この開会式で司会を務めさせて頂きました栄誉を、私は一生涯忘れません! ご来場の皆さま、また、テレビの前の皆さま、ラジオをお聞きの皆さま、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました! これにて、第23回夏の公私宴開会式を閉会します!」

 開会式の閉会が告げられた瞬間、雲一つない空に稲妻が走った。現実離れしたその現象は、天の動揺によるものだった。天は知っていた。この夏の公私宴が、日本の命運を懸けた壮絶なものになることを。

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