“空前の英国人”チャーチル

 ダムを爆撃機で破壊し、下流域に大打撃を与える。なるほど、素晴らしい発想だ。しかもその下流域にその国家の心臓部とも言うべき工業地帯があり、その破壊行為によって水浸しにすることができる。実に結構なことだ。だが現実問題として、少し考えてみてくれたまえ。


 それは具体的にどうやると実現するんだ?


 言うだけならば一言であろうが、具体的に考えるとなると、どの爆撃機を使い、誰にパイロットを担当させ、どの爆弾を搭載させ、どの基地から飛び立たせ、エトセトラ、エトセトラ、すべて誰かしらが考えないといけないんだ。戦争をする、というのはそういうことだからだ。


 私の名はチャーチル。ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル。第一次世界大戦に際しては海軍大臣として、そして第二次世界大戦においては首相として、英国の戦争を指揮した。これを言うのはまるで自慢をしているようだがね、両大戦に関わった全ての国家を総覧しても、両大戦の両方で閣僚級以上の役割を演じた人間は、この私一人だそうだよ。もっとも戦争はとっくに終わり、今は悠々自適の老後の中で、回想録の執筆などに勤しんでいるわけだが。


 そもそもダムを力任せに爆破できるだけの爆薬を搭載できる爆撃機は我が軍にあるか? 戦争開始当初、この問いに対する答えはノーだった。いちおう、上流のダムを破壊することでルール工業地帯の息の根を止められるのではないかという構想は、開戦前から、つまりあのチョビ髭の小男がポーランドにその毒牙を伸ばすその前から、あるにはあったんだ。チャスタイズ作戦の決行から逆算すると、四年以上は前から計画が練られてはいた、ということになる。


 この問題を検討するために作られた研究班が最初に提出した報告書によると、四万フィートの高高度から10トンの爆弾を投下すればダムを破壊することが可能である、とされていた。無茶な話であった。そんな重たい爆弾を、そんな高いところまで運んで、しかもそこからダムという目標物に命中させる。現実的な作戦ではなかった。だからこの研究報告書は、当初黙殺された。


 その上、ドイツ側だってダムが攻撃される可能性を考えた者がまったくいないはずもなし、魚雷防御網というのがドイツ国内のすべてのダムに敷かれた。結論だけ言うと、これによって魚雷を用いた肉薄攻撃によるダム破壊という方法論は事実上不可能となった。


 技術上の課題はいくつも、本当にいくつもあった。例えば使用する爆弾の起爆方式をどうするか、といったようなことだ。が、要するに何がしたいといえば、できる限り水中の深い部分で爆発を発生させ、水面下のダムの胸壁そのものに甚大なダメージを与えたい。これに尽きた。ダムというのはものの性質上、その湛えている水そのものが最大のエネルギーを持っている。しかしその一方、水というものは非常にエネルギー吸収性が高く、普通の爆撃機が使う普通の爆薬を水面上で爆発させても、水中の構造体に対して必要なだけの衝撃を加えることは困難なのである。


 今、すべてが終わった今から振り返って最終的にどうしたかということを言うと、神の鞭チャスタイズ作戦の決行に当たっては、専用の爆弾を開発した。この作戦のためだけに開発した、ダムを殺すための爆弾。ダム・バスターというわけだ。開発者はこれを「アップキープ爆弾」と名付けていた。


 アップキープ爆弾を考案・発明したのは、軍事企業ヴィッカース社のバーンズ・ウォリス博士であった。プレゼンテーションの席上で、博士は私に言った。


「アップキープ爆弾は反跳爆弾バウンシングボムの一種です。投下後、水面をバウンドし、つまり水中にある魚雷防御網の上を飛び越えて、胸壁に衝突、水中に沈み、水圧感知式信管の働きによりある程度の深度を得たところで爆発します。4.2トンの爆弾重量があれば、胸壁に致命的なダメージを与えることが可能です」

「ふむ。で、ダムの破壊のために必要な投下距離は?」

「高度60フィート以内で投下すれば、期待値通りの火力を発揮することが可能です」

「……高度60フィート、だと」

「はい。60フィートです。種々の技術上の問題を鑑みますれば、それが限界です」


 高度60フィート。メートル法に換算すると18メートル、ビルの六階程度の高さだ。誰かが敵の対空砲火を掻い潜って地上18メートルすれすれをフライトして、爆弾を投下することによって、この作戦は初めて成功する。この技師はそう言っているわけだ。


 言うまでもなく、そんな困難を極めるミッションを託すことができるのは最精鋭の熟練したパイロットだけだ。そして、そんな最精鋭のベテランパイロットでも、おそらくそんな危険極まりない作戦から生きて帰ってこれる可能性は、2つに1つもあるかどうか、と言ったところだろう。


「ドクター。あなたは天才の名に値する技術者だ。作戦成功の暁には、貴殿の名はこの爆弾とともに永遠に英国によって記憶されるだろう」

「恐悦至極」


 私はしかるべき人員にしかるべき命令を発し、この決死の作戦の、最も重要な役割を担うことになるパイロットたちを選出させた。選ばれた隊員たちは、新規の部隊として編制され、それには英国空軍第617飛行中隊の名が与えられた。中隊長に選ばれたのは、我が空軍でも並ぶ者なき技量と名声と経験を誇るエースパイロット、ガイ・ギブソン中佐であった。24歳。


「ガイ・ギブソン。英国宰相の名において、命令を与える。ドイツ国のダムを破壊し、ルール工業地帯を水没せしめよ。作戦名、オペレーション・チャスタイズ、神の鞭だ」

「イエス、サー」

「一つ言っておくことがある。この作戦において、諸君らの生還は、期さない。ただ目標のみを遂行せよ。それが任務である」

「イエス、サー」


 事実上の死を命じられてなお、中佐は眉一つ動かさなかった。彼は英国軍人の鑑であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る