神の鞭作戦発動せよ

きょうじゅ

軍需大臣と英国宰相

“悪魔の建築家”シュペーア

 ボールベアリングだ。ボールベアリングだ。肝心なのはボールベアリングなんだよ、君。分かるかね。戦争に最も必要なものというのは何だと思う? それは、ボールベアリングなのさ。


 おっと、申し遅れた。僕の名はシュペーア。アルベルト・シュペーア。1905年マンハイム生まれ、ドイツ人。職業は建築家だ。……だった。ほんの去年までは。今は大ドイツ国、すなわち総統アドルフ・ヒトラーのもとで、軍需相つまり軍需・軍事生産大臣という役職に就いている。もっか第二次世界大戦に邁進中の広いドイツという国全体の、軍事に関するあらゆる生産活動を僕が一手に掌握している。


 さっきも言ったように僕は本来建築家なので、軍需生産なんてのは専門外だった。別に自分から手を挙げてやらせてくれと頼んだわけじゃないんだ。他にやれそうなやつが誰もいないからお前がやれと、頼まれたんだよ、我が友ヒトラーに。向こうがどう思ってるかは知らないが、僕の方ではひそやかに彼を親友だと思っているからな。僕が軍需相として役に立てるかどうかはさておいて、頼られたことそのものは悪い気はしなかった。


 で、軍需相になったんで色々勉強してみたんだが、僕が一番痛感したのは戦争の遂行にもっとも重要なのはボールベアリングだ、という事実だった。もう一回聞くが、戦争に最も必要なものというのは何だと思う? 兵隊? そりゃあもちろん重要だ。武器と弾薬? それも必要だ。だが、ボールベアリングがないと、まず歯車や軸が作れない。歯車や軸が作れなくてはほとんどの機械部品が作れない。機械部品が作れなくてはエンジンが作れないし、エンジンが作れなければ戦闘機も戦車も作れない。他にも色々あるが、とにかくつまりボールベアリングが作れなければ、戦争なんて三月と続けていられないんだ。


 そのボールベアリングはどうやって作るかというと、ざっくり説明すれば専門の工場で作る。ベアリング工場だ。具体的にどう作るかももちろん僕は勉強したが、そこまでは説明しなくてもいいよな。ともかく、軍需相になってからというものこの方、僕はドイツ国のボールベアリング生産量と睨めっこをしながら日々を過ごしているという次第だ。


 これもざっくりとした話になるが、わがドイツのベアリング工場は具体的にどこにあるかというと、だいたい主にはルール地方にある。ルール工業地帯はわが国の工業生産の生命線だ。ルールが破壊されれば、その瞬間にドイツは滅びるのである。言っては悪いが、わが国の戦争遂行能力というその一点に的を絞って論じるならば、わが友ヒトラー総統の生命よりもルール工業地帯の方がよっぽど重要だ。国家の生命線とはそういうものだ。


 ルールというのはどういうところかというと、渓谷だ。川がたくさん流れている。もともと多いし、その上あとから作られた運河も少なくない。なぜかというと、工業にもっとも重要なのは物流で、物流にもっとも重要なのは水運だからだ。川は工場で使う石炭などを運ぶのに便利だし、また工場で作った製品を運び出すのにも便利だ。そうしたわけで、ドイツでも屈指の水利に恵まれた地域に工業が発展し、その一帯がやがてルール工業地方と呼ばれるようになったというわけだ。


 しかし世の中、なにごとにも光と闇の両面というのがあるものだ。あっちもこっちも川だらけのルール地方のその上流域には、ダムがある。一つではない、いくつかある。例えば仮にもしもだ。そのダムが全部決壊してルール地方がまるごと水浸しになったりしたら、どうなると思う? それは、その瞬間にわがドイツの敗戦が確定するということだ。


 で、困ったことには、実際にそうなりかけたんだ。1943年の、あの5月17日に。これは後で知ったことだが、その一連の軍事攻撃を、あの忌々しい英国人どもは、神の鞭チャスタイズ作戦と呼んでいたそうだ。


 そう。神の鞭作戦とは、『ダムを爆撃機で破壊し、下流域に大打撃を与える』という発想のもとに行われた、人類の歴史上初めての作戦であったのだ。

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