第35話 安心安全の逃走
「……は? 殺人……?」
心当たりが無いという様子で、ミアは首を傾げる。周囲にいた生徒も驚いた表情で彼女に視線を向けており、その場にいた誰もが、現在の状況を理解できていなかった。
「詳しい話は署で聞きます。抵抗しないで下さいね」
黒服はミアが逃げられないよう、周囲を取り囲み逃げ場を無くす。その内の一人が彼女に接近し、手に持っている枷を彼女の手首に嵌めようとする。
ミアはされるがままに手枷を嵌められそうになるが、それを妨害するように、アルカが大声でサビに指示を飛ばした。
「サビ! ミアと一緒に逃げろ!」
「流石に拙いか。 であれば、取り敢えず家に」
「あっ、こら! 待ちなさい!」
黒服の一人がそう叫び、ミアの腕を掴もうとする。
しかし、サビが瞬時にその腕を斬り落とし、彼女の自宅へと瞬間移動した。
「逃走しました! 救援を!」
「はい! 今すぐ!」
ミアの姿が急に消えたのを見た黒服は動じず、リーダーらしき人物が指示を飛ばし、その場から去っていった。
それを見ていたアルカは頭を掻き、ある場所に向かって走りながら、呟く。
「何なんだ……一体────!」
◇
「ミア、大丈夫か?」
「え────あ、う、うん。大丈夫」
「先程の連中はなんだ? 何故お主を捕まえようとした?」
「さっきのは……」
サビが瞬間移動したのは、ミアの部屋だ。
瞬間移動した直後、ミアは茫然として一切動かなかったが、サビがそう呼びかけた事で、ようやく口を動かし始める。
「えっとね、さっきのは多分警察だよ」
「ああ、法の番人とかいう連中か。何故、それらがお主を捕まえようとしたのだ?」
「それは……」
サビにそう聞かれても、ミアには何がなんだか一切分からなかった。
アルカと別れたら急に声をかけられ、囲まれ、逮捕されそうになったのだ。対応力が高く、常に冷静な彼女でも、あの状況を完全に理解することはできなかった。
「分からない……殺人の容疑とか言ってたけど、なんのこと────」
頭の中を整理し、そこまで呟いたところで、ミアの頭の中で一つの推測が立てられる。
しかし、それは誰にもバレる筈のない事で、とても逮捕される理由としては考えられなかった。
「いや、それはない……お兄ちゃん達はちゃんと食べたし……家には誰も入れてないし……」
「で、どうするのだ? 殺すか?」
「ごめん、それは待って」
サビの提案に、ミアは迷わずそう答え、ベッドに腰かけ、顎に手を添えて考え込む。
ブツブツと何かを言っているが、それは人がギリギリ聞き取れるかどうかという声量で、その内容は、どうやって警察の追跡を撒くかと言うものだった。
「私たち籠亜の生徒は対淵駆が得意なのに対し、警察は対人にとても慣れている。だからできるだけ戦闘は避けたいし、魔法もできるだけ使いたくない。反撃して警察を殺しちゃえば更に追跡されるだろうし、だからって殺さないように戦っても公務執行妨害で捕まる……」
籠亜は「学校」と銘打ってはいるが、その実は軍隊のような教育機関だ。
六歳になれば入学でき、その頃から英才教育を施され、淵駆に対抗する人材として育成される。ミアもその一人で、小さい頃から厳しい訓練を受けてきていた。
対して警察は、籠亜で取得できる「指導免許」を取得できた者だけが所属する事ができる機関であり、籠亜の育成システムも相まって、精鋭揃いの組織となっている。
それを出来るだけ魔法を使わず、格闘術だけで相手取るなど、ミアにはとても考えられなかった。
「どうしよう……別の国に逃げようかな」
「────ミア、来てるぞ」
「え?」
「反応は一人だ。だが、先の黒服の連中とは少し性質が異なる」
サビの言葉に、ミアは瞬時に警戒心を高める。しかし、続く彼の言葉で疑問を抱き、確認するように言葉を返す。
「それって……アルカ達?」
「いや、違うな。少なくとも、私が直接会ってはいない人間だ」
「サビが直接会ってない人……?」
ミアは頭を悩ませ、誰が家の外にいるのかを考える。
サビが直接出会っている人物はそれほど多くは無いが、それは彼女も同じだ。そのためかなり少数まで候補が削られるのだが、その人物達は彼女の記憶に薄く、顔すらも思い出せないようだった。
「分からない。私もちょっと見てみる」
「ほう、天眼を扱えるようになったか?」
「いや、サビのよりは性能は下だよ。多分ね」
そこで言葉を止め、一旦目を閉じ、その場で深く集中する。
室内に一時の静寂が降り立ち、外で吹いている風の音が響く。数秒後「ボッ」という音と共にミアの両目が青い炎を放ち始め、瞳が赤く輝き始める。
瞼を上げたミアは小さくため息をつき、鏡で自身の目を確認する。
「良い完成度だ」
「そう? でも、これ使うのに十秒くらいかかるんだよね」
「最初はそんなものだ。それより、飛ばす事も出来るのだろう?」
「そうだね」
ミアがそう零すと、瞳が更に輝きを増した。
周囲の景色に大きな変化はないが、ミアは何かを探すように、室内をキョロキョロと見渡し始める。
「これで成功してる筈だけど……あれー? どの場所に視界を飛ばしてるかが分からない」
「普段見ている景色と色々と異なるだろうからな。その内分かるようになる故、別に今探さなくとも良いと思うぞ」
「そうかな……ま、良いや」
ミアは半ば諦めのような声を零し、室内を見渡すのをやめ、再びベッドに腰かける。
そしてベッドの上に置かれているサビを見やり、不思議そうに言葉を零す。
「でも、サビがどこにいるかはハッキリと分かるんだよね。なんで?」
「私が魔力の塊だからだ。因みに、私の周囲にいる火の玉、それがお主だぞ」
「あっ、これ⁉」
ミアの視界には、ガラスのような物と、炎と、サビのそのままの姿が写っている。
その中の火の玉がまさか自分だとは思わなかったようで、彼女は大きく声を上げ、気味が悪そうに言葉を零す。
「なんか……お化けみたい」
「更に、様々な形をしているガラスがあるだろう? それらは魔力を持っていない道具だ。魔力を持っていない人間は宙に浮かぶ球体のように見えるから、よく覚えておけ」
「ふーん……」
目に写っている物が何なのかを理解したミアは、遊ぶように視界を動かし始める。
彼女の視界は現在、360度の全方位を写しており、とても直ぐには慣れることができない。そのため、視点を動かすだけでも、相当な集中力を使っていた。
「────訓練で似たようなVR機器があったから少しは慣れてるけど……これ、完全に扱えるようになるには結構な時間がかかりそうだね」
「お主なら問題ないだろう。魔力持ちの中でも、魔法を扱うに関しては、かなり才能がある方だからな」
「そっか……」
ミアは息を吐くようにそう返し、サビの1メートル上空から、彼を見つめる。
今の彼女の目には、サビの姿は、剣の形に赤く輝く、とても綺麗なロングソードが映っていた。
その姿は普段の錆びている彼の姿からは想像もできない程優美で、誇り高く、彼女は少し見入ってしまっていた。
「何を見つめている」
「いや、綺麗だなって」
「それが私の本来の姿だろうな。どうだ? 少しは錆を落とす事にやる気が出たか?」
「そうだね……」
ゆったりと話しながら、時間だけが過ぎていく。
警察に追われている事も忘れ、2人(?)で穏やかに雑談し、いつもの休日のような静かな雰囲気がそこにあった。
────ピンポーン
そんな雰囲気をぶち壊すように、家のインターホンが鳴り響く。
半ば茫然としていたミアはそこで我を取り戻し、思い出したように言葉を零す。
「外の人、忘れてた……」
「おお、そうだったな。どんな奴だ?」
「えっとね────」
自宅の外へ視界を飛ばし、玄関先に居る人物を見やる。
そこにはふよふよとガラスの球が浮かんでおり、サビの言う通り、それが外にいた人物のように思えた。
「あれは……」
ミアは、今の視界で見ても、姿かたちからはそれが誰なのかを知ることはできなかった。
しかし、そのガラスの球を見た瞬間、記憶から呼び覚まされるように、一人の人物が浮上してくる。
「あれは……あの時の────エネルギー兵器専門店の、店員さん?」
「────何故?」
2人の脳内を、無数の疑問符が埋め尽くした。
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