第29話 執着

(提案? 笑っちゃうよ。脅迫の間違いでしょ)



 提案と零した声の主に対し、嘲笑の感情を向ける。



「単刀直入に言いますが……反書をこちらで預からせていただけないでしょうか?」


(預かる? 盗むんじゃなくて?)



 彼女は眉を顰め、預かるというワードに対して不信感を抱く。それは声の主にも伝わったのか、その感情を予期したかのような言葉を続ける。



「大丈夫です。返してほしいと言われたら返しますし、盗むなんてことは絶対にしません」


(信用できないなぁ……)



 彼女の心には、相変わらず反書に対する執着が染みついていた。声の主は盗む意図はないと言っていても、あの本を失う可能性が少しでもある以上、それを承諾することはできなかった。



(絶対に嫌だ)



 首を横に振り、声の主に対して否定的な感情を示す。すると、無線の向こうからは小さなため息が聞こえ、少しの沈黙の後、諦めを含んだような声が聞こえてくる。



「そうですか……あ、一旦無線を切りますね」


(は? いや、出してくれないの!? 普通の人ならとっくに死んでるよ!?)



    ◇



 無線を切り、少女が放り込まれている水槽が映るモニターから視線を外す。



「いかがでしたか?」


「最悪ですが……まぁ、概ね予想通りの反応でしたね」


「予想通り、とは?」



 男は側にいた女性の困ったような声を聞きながら、自身の考えを語り始める。



「反書は契約で魔力持ちを縛るもの。水槽の彼女も、恐らくはそれに縛られているのでしょう。しかし、何を縛られているのかが分かりません」



 説明口調で口を動かし、それと同時に自身の考えを整理していく。



「ですが、契約で縛られている者は共通して、『反書に対して異常なほどの執着心を抱く。』という特徴があります。彼女もそうでした」


「それは、文献に?」


「そうです。この情報は、私はかなり信憑性が高いと見ています」



 何冊もの古びた本の事を思い浮かべながら、続けて語り続ける。



「先の質問はその確認です。あれでは、説得して本を引き渡してもらう事は不可能でしょう」


「契約というのは、成就と言うものを達成する事で解約されるのでしたよね? それの内容は分かっているのですか?」



 女性も思い出した内容を語りながら、男に対して問いかけを続ける。それを聞いた男は数舜悩んだ後、視線を動かさずに問いかけに答える。



「成就はその人にとって達成可能なことでなければならないそうです。それは反書が持つ自我にしか分からず、契約を結ばされた側すら分からないとか」


「つまり、把握できていないのですね……もしも成就してしまえば、反書が本来の姿を取り戻してしまうのですよね?」


「ええ。何が出てくるか分からない以上、それだけは避けなければなりません……あ」



 男が声を漏らし、先程まで動かしていた口を止める。



「以前送り込んだ構成員は殺されていた……恐らく彼女が殺したのでしょうが、魔力持ちの狂いの性質からして、その時点で既に血に狂っていても可笑しくない筈」



 ブツブツと言葉を零し続け、混雑していた情報を整理していく。女性はそれを黙って見爪、結論が出るのを待ち続けている。



「それなのに血に狂っていないということは────」



 マスクの中で目を見開き、動かしていた口を止める。



「……どういたしますか?」


「契約は、本人が死ぬことでも成就される。つまり、殺さずにあそこに閉じ込めてしまえば良いわけです。そして魔力持ちは、生命維持に空気も栄養も必要としない」


「では────」



 男はどうやったのか、手足の無い体で椅子を後ろに振り向かせる。



「永続的な空間固定の用意を。一応水槽での封印も試しますが、それには期待しないで下さい。急いで」


「了解しました」



 女性は深く頭を下げ、その部屋から足早に退出した。



    ◇



「ばばばばばばばばばばば」


(あー、暇)



 暇そうに口から泡を出しながら、水槽の外を見つめ続ける。

 男との無線での会話が終了し、既に三十分が経過していた。その間、水槽からの脱出方法を見つけ出そうとした彼女だったが、それらは全て無駄に終わっていた。



(どうしよー……てか、無線を乗っ取ってきた男の人はどうしたんだろ。あれ以来全然話しかけてこないけど)



 最早呆然とすること以外にやることが無くなった彼女は、男が次の行動を起こすまで待つことにする。



(カイナ達は何してるかなー。私の事を探したりしてるかな? でも、見つけられないだろうなぁ)



 助けを期待しつつも、この場所がどこなのか分からないことから、助けてもらえないのではないかと危惧し始める。



(次は何してくるんだろう────え˝っ!?)



 ぼんやりと思考を巡らせていると、不意に左の掌が凄まじい痛みに襲われる。

 左手は水槽の底についており、痛みの原因はそれとしか考えらえられない。彼女は咄嗟にその方向へ目を向け、そして驚愕する。



(こ、凍ってる!? まさか、急速氷結!?)



 見ると、水槽の水が底の方から凍り始めており、左手が氷の中に閉じ込められていた。



(まずいまずい! 左手は動かないし、水槽からも出られ────ひぃぃぃー! 滅茶苦茶速く凍ってく!?)



 氷結する速度が急速に高まり、このままでは、彼女の体は一分で氷漬けにされてしまうだろうという速度になる。



(────あ! そうだ! なんで忘れてたんだろう!)



 右ポケットに手を突っ込み、非常用として常備していた光纏器を取り出す。



(よし、起動できた! でも、左手が────)



 光纏器で水槽を壊して脱出しようとするが、既に左手が氷漬けにされているため、水槽を壊しても脱出ができないことに気付く。



(────死ぬよりマシ! サビに治してもらえる! 大丈夫!)



 そしてある考えが浮かぶが、それに伴う痛みに恐怖し、その行動を起こすことに迷いを抱く。しかし、迷っている間にも彼女は氷漬けにされそうになっていく。それを感じたのか、彼女は左手を手首から切断した。


 水槽を光纏器で破壊し、その中から脱出する。



「ああぁぁぁぁ……あ゛あ゛っ!」



 手首から凄まじい痛みが全身に広がっていく。傷口は凍らせて止血しているが、それによって生じた痛みは手首を切断した時以上だろう。



「はやく……脱出しなきゃ」



 大声を出して気合を入れ、水槽が置いてあった部屋をおぼつかない足取りで退出する。



「で、出口は……」



 ぐるりと辺りを見回すと、廊下の先に光の漏れる扉があるのを発見する。それが出口だと確信した彼女は、その方向に歩を進める。



(あと、少し────)



 扉まで十メートルを切ったところで、彼女の体に異変が起こる。



「あ、れ? 目が……耳も」



 彼女の目が突如周囲を視認できなくなり、自身の声を聞き取ることもできなくなった。



「う、ごけない、口も────」



 次第に手足を動かす事もできなくなり、数秒後には、彼女は五感を失ったような感覚に陥り、何もできなくなっていた。



    ◇



「封印完了、ですね」



 真っ暗闇を映すモニターを見ながら、一部始終を見ていた男はそう零す。

 空間固定を収容施設全体に施したことにより、その空間は光を通さなくなり、音も、温度も、匂いも、自分が生きている感覚さえも感じられない空間へと変わっていた。



「良いのですか? 残り数少ない永久機関を使用してしまって」


「構いませんよ。それよりも、彼女をあのまま野放しにしておくことの方が危険です。ですが、残りはより慎重に扱わないといけませんね」



 安心した様子でそう告げ、モニターから視線を外す。



「では、反書の回収をいたしましょうか。あれは触れた生物は即死することが分かったので、ケースとアームを使って運びましょう」


「了解しました」



 先程までの真剣な様子は殆ど無く、男はおつかいでも頼むかのようにそう告げた。



(これで、ようやく安心できる────)



 次の瞬間、カメラの奥で青い閃光が走るのが見えた。



    ◇



 ────暗い。


 何も感じない。自分が何をしているかも分からない。

 手を動かしても、足を動かしても、本当に動いてるのか分からない。



『ミア! 落ち着け! 自分を保つんだ!』



 それなのに、何か見える。

 自分よりも大きい、そして人間ではない者。



『ミ……ア……』



 誰か倒れている。

 こちらも自分より大きい。しかし、その大きさに反して自分よりも弱弱しく見える。



『なになになに────ミア!? 何やってるの!』


『おかあ、さん』



 私が喋った。喋ろうとしていないのに、独りでに。



『わたし、わたし────』



 酷く困惑している私。それに追い打ちをかけるように、駆け付けた父は言葉を放つ。



『ミア! 血を見るな! 血に飢えるな! お前は優しい子の筈だ!』



 何を言っているか分からない。

 しかし、それでも、これだけは分かる。



「────わたし、血が好きみたい。」



 そう言って振り向いた私の顔は、血がべっとりと付いていたが、それでも分かるほど、狂気的な笑みを浮かべていた。

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