第25話 退避

 既に夕暮れになり始めた頃、遠くに見える存在が現実であることを悟ったカイナは、耳を押さえてある場所へ連絡を飛ばす。



「もしもし、先生ですか⁉」



 カイナの頭には最悪の事態が思い浮かんでいた。もしもあの淵駆が人里に降りてくれば、大量の犠牲者を免れることはできない。そのため、一刻も早く教師へこれを報告すべきだと判断したのだ。



「はい……それが、例の依頼を続けていたらwhite typhoonを発見しまして……はい、距離は七千です。まだ気付かれてはいないと思いますが、奴の感知能力を推し量ることはできません。ですので、刺激する前に退避しようかと……」



 その話の内容から、カイナは依頼を中断しようとしているようだった。



「はい……はい……では、私たちは一旦隠れ……もしもし?」



 しかし、その話の途中で様子が明らかに切り替わる。通信に何らかの不具合が発生したのか、彼女は何度も「もしもし」を繰り返す。



「へぇー、white typhoonの強力なジャミング能力ってこれか。こりゃあ、あいつに居場所がバレたな」


「へいへーい、カイナさーん? こりゃあ戦うしか無さそうですよー?」


「正気ですかアルカ⁉」



 カイナはあれと戦うことを拒否したげな様子だった。しかし、アルカはその正反対で、戦うことに期待する様子で彼女へ話しかける。



「国を滅ぼした個体よりは数段弱い可能性もあるし、三等級の淵駆と戦った感じからしたら割といけるんじゃね?」


「勝てる訳ないじゃないですか……」


「お前ら、そんな話をしている間に、あいつがこっちに向かって来てるぞ」



 見ると、数千キロ先に居るその淵駆が、森に大きな獣道を作りつつこちらに向かっているのが見えた。距離があるため、こちらに到達するにはまだ時間がかかるだろうが、それでもその光景は恐怖を感じるのに十分だった。



「……」


「さ、作戦を立てるぞ。このままあたふたしてるだけじゃ勝てないしな」


「ですが、五等級の淵駆にもゼンの砲撃が通じなかったのでしょう? 消耗戦になって負けてしまう未来しか見えませんが」



 当然ながら、white typhoonは五等級の淵駆よりはるかに強い。カイナはそれを鑑みた結果、とてもあれにダメージを与えられるとは考えられなかった。



「そう、問題はそれだ。こいつで五等級個体を仕留められない以上、恐らく俺達の火力では、奴にまともにダメージを与えることはできない」


「奴らの毛皮って零等級でも相当な硬さだからな……カイナの光纏器でようやく傷を与えられる程度だろうな」



 顔に難色を示し、三人で何か策はないかと考えこむ。今まで零等級個体しか相手にしなかった彼らにとって、ダメージを与えられない淵駆は対処のしようがなかった。



「弱点などは無いのですかね……」


「淵駆は基本、口の中か目が弱点だが……そんな位置を攻撃するのはリスクが高いな。しかもあの個体は俺たちにとって初見だ。動きの予測は難しいだろうし……」



 とても自分たちの経験値では討伐する事は不可能、そう三人は考え込んでいた。

 それも当然だ。彼らは、零等級個体以外の淵駆と戦ったことが無いのだから。



「……」


「って、ミア? 何してるんだ?」



 話し合いをしている三人を他所に、ミアはサビとあることを話していた。それに気付いたアルカは彼女に声をかけ、不思議そうに問いを投げかける。



「……いける、かも」


「え?」


「サビなら、多分、やれる」



    ◇



 既に日が落ち、森の中は深い闇に包まれていた。その暗さは大穴の中を彷彿とさせるもので、森を駆けるミアの脳裏には、あの時の記憶が蘇ってきていた。



「そのまま真っ直ぐだぞ。恐らく、そこに『あれ』はある」


「こら、あれとか言わない。一応人の死体だよ? でも、なんでwhite typhoonに近付くことを避けさせるの? 私は攻撃されないんじゃないの?」


「普通はな」



 そう前置きをし、サビは説明口調で語り始める。



「等級と言ったか。それの五より上の個体は、極めて敏感な知覚能力を有している」


「それはデータとして知ってる。それがどうしたの?」


「敵意の有無も感じ取ることができるということだ。故に、例え魔力持ちであっても奴に敵意を抱いていれば、それを感知され、一気に敵視される。気を付けろよ」


「こっわ」



 あれだけ巨体でそれだけ敏感な知覚能力を所持している事実に、ミアは心の底からそう答える。



「着いたぞ」


「……あの人?」


「ああ。男のようだな」



 立ち止まったミアの目の前には、腹から血を流している中年の男性の体があった。周囲の植物にも男性のものと思われる血が飛び散っており、とても酷い目にあったのだと容易に予測できる。



「手に何かある?」


「連絡装置だろうな。それで淵駆の出現を知らせたのだろう」


「……凄いね。一般人なのに、凄い執念だよ」



 ミアはその死体に合掌をし、弔うような仕草を見せる。しかしサビは、そんな彼女を一切気にせず、淡々と指示を飛ばす。



「よし、その男に私を突き刺せ」


「死体損壊罪⁉」


「うるさい。早くしないと奴らが死ぬぞ」


「……ああ、もう! サビってやっぱり悪い奴だよ!」


「はいはい」



 ミアはサビに文句を言いながら、男の心臓の位置めがけて彼の切っ先を突き刺した。



『……やはりな』



    ◇



 少し時間は遡る。しかし、それでも辺りは暗闇に包まれており、木々に身を潜めるアルカとカイナは、暗視ゴーグルを装着していた。



「……そろそろか?」


「そうですね」


「よし、じゃあ確認だ。なるべく奴の背中に回って攻撃する。これでいいな?」


「攻撃が来そうになったら何があっても一旦下がる、も追加でお願いします」


「オーケー」



 瞬間、空気が変わる。

 急に体が重苦しくなる錯覚に襲われ、あまりの急な出来事に二人は何も反応できずにいる。



「────ッ!」


「ま……おい、これヤバいんじゃね」



 依然としてwhite typhoonの姿を確認することはできない。木々が倒れていくような音も聞こえず、周囲の景色は何の変化も無いように思えた。



「……武器を構えてください。あと、延命機器も起動を」


「……ああ」



 死にかけた時のための延命装置を起動する。心臓の位置からモーターが回転するような音が響き、暫くしてその音は消えていく。



「……距離は今どれくらいだ?」


「……分かりません。そもそも、あの淵駆自体がマップに映っていないんです。映っているのは、四等級個体が二体と五等級個体が一体です」


「……自分たちの感覚を信じるしかない、ってことか」



 加速度的に空気が重くなる。それは二人に件の淵駆の接近を知らせているような物で、二人もそれに応じて警戒を高める。



「……そろそろか?」


「……どうでしょう。気配は感じるのですが、音が何も────」



 背後、冷たい、しかし暖かさもある風が吹きつけられる。



「────ッ!」



 断続的に続くその風は、それがただの風ではないことを示している。夜風にしては暖かいその風を感じ取りながら、アルカは懐から発光煙を取り出した。



「……行くぞ、カイナ」


「……はい」


「三、二、一────!」



 その合図で、アルカは背後を振り向き、暗闇めがけて発光煙を放つ。



「下がれッ!」


「はい!」



 発光煙は闇に紛れ込むナニカに当たり、辺りに眩しく発光する煙をまき散らした。



「武器は起動したか!」


「問題ありません! 出力は正常です!」


「よし、じゃあ指揮権をお前に移す! 頼んだぞ!」


「分かりました! では、まず暗視ゴーグルを外してください! 辺りを光球で照らします!」


「了解!」



 二人がほぼ同じタイミングでゴーグルを外す。カイナはそれを確認せず、反射的に懐から一つの球を取り出し、それを空高く放り投げた。



「光ります! 三、二、一────」


「きた! あいつはどこだ⁉」



 カイナの合図と共に周囲一帯が激しく照らされ、まるで昼間かのような明るさとなる。



「近くにいる筈です! しかし…………」


「デカいくせに隠密能力も高いってか! クソッ!」



 アルカたちが先程まで潜んでいた場所の付近には、どんな獣の姿も無かった。明るくなってもなおそれは変わらず、ひょっとしたら勘違いだったのではないかと思えるほどだ。



「一体、どこに……」


「こういう時は大体……そう、上だ!」



 勢いよく空を仰ぐ。アルカの顔が喜色に染まり、瞬時に靴を起動してその場から離れる。



「────ッと、あぶねぇ!」



 先程まで立っていた場所に土煙が舞い上がり、凄まじい衝撃が周囲を襲う。



「大丈夫ですか!」


「平気平気! んなことより────」



 徐々に土煙が引いていき、アルカを襲った存在が姿を現す。

 その体は十メートルどころか二十メートルはあり、双眸は二人をしっかりと捉えていた。



「初めまして、だな。white typhoon────!」

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