第11話 やさしさ
『目覚めの時だ』
ミアの心の中の決して壊れない個所について考えていた彼は、その疑問が晴れないことを悟ると、すぐに休眠状態に入っていた。やがて消費した体力も回復し目を覚ますと、檻の中からからかすかに見える空は、既に暗くなっていた。
いつもであれば、ミアは既に夜のバイトを終わらせ、既に家に帰っている時間だ。しかしそのミアは今、拘束され捕らわれているため、そんなことはできていない。
彼の視線の先にはその拘束された状態のミアがいる。ミアは既に目を覚ましており、倒れていた体勢から起き上がり、壁に背を預けながら床に座り込んでいる。しかし、ミアの様子は彼が眠る前と大きく異なっていた。
『これは────自傷行為でもしていたのか?』
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない………死にたい」
ミアの腕には、青い痣がいくつも出来上がっていた。ミアは左腕を失っているので、もう腕は右腕しか残されていない。その腕には、壁に何度も何度も叩きつけたかのような、痛々しい痣が出来上がっていた。
指も当然無事ではなく、全ての指の関節が本来は曲がらない方向に折れ曲がっている。ミアはそんな腕をだらんと垂らしながら、足首の所で縛られている両足を右側に流し、光の無い目で俯いている。
「父さん、母さん………誰か、助けて……っ」
『その歳で親を頼るな………とは言えないな。だが、少しは自分でも解決策を考えたらどうなんだ』
ミアは、呼んでも決して来ないであろう両親の事を思い出す。彼の見た記憶では、ミアの両親はミアと遊んだり、どこかに出かけていた記憶は殆ど無かった。全く存在しない訳では無いものの、その記憶は極端に少ない。それでもミアの記憶に鮮明に残っているという事は、それだけその記憶が自身にとって大事な物なのだろう。
『あの男も今日はもうここには来ないだろうな。あれを実行するのであれば、暫く対象を一人にする必要がある。特にこの娘はな』
彼はこれからラックがすることの結果に興味を抱いていた。ラックがしようとしていることはこの上ないほど悪辣であり、一般人であれば凄まじく嫌悪するような内容だが、もしも成功した場合、ラックにされている依頼は達成され、ラック自身の欲も満たされるという、一石二鳥な効果を持つ。
「誰か………誰かっ………!」
『今は助けてもらえることしか考えられないか。そのうち自身で助かるよう行動するか、それともずっとこのままか………ふっ、見ものだな』
ミアは両足を抱え、うずくまるような体勢になる。今の彼の目からは見えないが、恐らく泣いているのであろう。ミアは鼻をすすりながら、自分を慰めるように言葉を漏らす。
「分かってる………誰も助けになんか来ないって………」
ミアに味方がいないことは、ミア自身が一番理解している。勿論、誰もが彼女に罵倒を飛ばしているわけではないが、皆心の中では自身のことを嫌っているとミアは考えていた。最後に誰かと食事をしたのだって、もう何年も前だ。
「でも………でも………っ!」
しかし、人間の性と言うべきか、それでもミアは助けを期待せずにはいられなかった。今の精神状態を保つためか、はたまた根拠のない期待かは分からないが、ミアは誰かが自身をここまで探しに来てくれると信じている。
「誰か………私を、助けて………!」
★★★★★
「ん………んぅ?」
いつの間にか眠りに落ちていたミアは、横たわっている自分の体を、ボロボロの右腕で何とか起き上がらせ、床に座ったまま壁にもたれかかる。外は既に明るくなっており、それを見たミアは乾いた笑いを零す。
「は、ははっ。バイト、二つともサボっちゃった」
ミアは自身が行っている二つのバイトを思い出し、それらを────訳アリとはいえ────サボってしまったことを後悔する。
「首、かなぁ。はぁ………」
ミアはバイトで首になることをかなり恐れている。自身が生活するために必要である事は当然のこと、首になったら再度バイトに受かるか分からないからだ。
勿論、この程度でバイトが首になる可能性はかなり低いが、ミアの元々の体質もあり、バイト仲間や上司からも嫌われるため、普通よりも首になる確率が高いのだ。
「せっかく、数年続いたバイトだったのにな………帰りたい」
ミアは折れている指で床をなぞりながら、帰ったらどうするかを考える。それは一種の現実逃避であり、あの拷問で得た痛みを忘れるためでもあった。
「学校は………別にサボってもいいか。どうせ行ってても煙たがられるだけだし」
学校での日々を思い出す。登校するとミアの周りには必ず五メートルほど空間ができ、皆はその空間に決して入らないよう気を付けている。ミアから見たらそれはかなり辛く、慣れられるものでもなかった。
そんな感じで独り言を呟いているミアの檻にラックが現れる。
「よぉ、元気か?」
「ひっ!」
「おっ、少しは気持ちが落ち着いてきたな。結構寝たからか?」
ラックがミアのどこを見てそう考えたのかは分からないが、ミアは確かに落ち着き始めていた。依然として心はズタボロになったままだが、トラウマを呼び起こされたりしなければ、話はできる状態に戻っていた。
彼女はラックを見たとたんに目を逸らし怯えだすが、それは昨日程ではない。それでもラックは恐怖の対象なため、ミアはラックを直視する事が出来ない。そんなミアの前に、ラックは緑色のスムージーを差し出した。
「持てるか?………あー、無理そうだな」
「………ぇ?」
ミアは差し出されたスムージーに対し、困惑を隠す事が出来ない。ラックはミアの指を見ると、懐を漁って太めのストローを取り出し、それをスムージーの中に突き刺す。
「ほれ、持っといてやるから。早く飲め」
「な………なん………」
ラックはミアの口元に突き刺したストローを近付け、それを飲むよう促す。ミアにはその行動が理解できず、飲めという言葉にあたふたしてしまう。思わず疑問を口にしようとしたが、ラックのことが怖いため、上手く声を出す事が出来ない。
「ああもう、めんどくせぇな」
「んむっ!」
「ほら、吸え。安心しろ、毒は入れてないから」
ポカーンと開いているミアの口に、ストローが強制的に入れられる。ミアはそれに驚愕するが、ラックの言う通り、そのストローからスムージーを吸い上げる。
ミアはお腹も空いていたし、喉も乾いていたため、でかめのコップに入っていたスムージーをかなり短時間で飲み干してしまう。その影響か、ミアはお腹が重くなったのを感じた。
「………」
「うし、飲んだな。じゃあな」
ミアがラックの一連の行動に疑問を抱いていると、その間にラックが檻から出て、どこかへ去っていった。腹を満たしたためかミアの思考は先程よりも鮮明になり、周囲が少し明るくなったと錯覚する。
「一体、なぜ急に………」
ミアは先程飲んだスムージーの味を思い出し、舌を口の中で遊ばせた後、独り言を呟く。
「………美味しくない」
そう呟きながら、ミアは少し微笑んだ。
その一部始終を黙って見ていた彼は、檻からかなり離れた遠くの部屋で気持ち悪い笑みを浮かべているラックを見る。その笑みには先程ミアに向けたような優しさは一切存在しておらず、ミアが今思っていることとは全く真反対であった。
そんな対照的な二人を交互に見ながら、彼は心の中でほくそ笑み、ミアを嘲笑するように言葉を漏らす。
『全く、悪趣味な男だ』
そう呟く彼からは、ラックに対するマイナスの感情は一切見られなかった。
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