第10話 トラウマ

 翌朝、ミアは失神寸前の状態から気を取り戻していたが、昨日のことがすっかりトラウマになり、檻の奥で怯え、号泣を一人で繰り返していた。ミアは戦闘訓練で優秀な成績を収めていると言えど、痛みに耐性がある訳ではないので、昨日の拷問は流石に堪えたようだ。



「ひぐっ………なんで、私が、なにも……なんで………いやだ………」



 すっかり元の精神状態を維持できなくなってしまったミアを、彼は情けないといったふうに見つめている。彼はミアの苦しみが理解できないわけではないが、その無様な醜態には、それを差し引いても落胆してしまう程だったようだ。



『怯えている暇があるなら、少しは脱出の計画を立てたらどうだ?怯えていてもここからは脱出できないぞ』


「いやっ! 来ないでぇ! なんでもします! なんでもしますからぁ!」



 ミアの目には幻覚が映っている。ラックが近付いてきて、昨日された拷問を再度行われる幻覚のようだ。ラックの顔に対して恐怖しか感じなくなったミアは、幻覚の中のラックにでさえ、酷く恐怖し失禁してしまう程であった。



「わるいこと………なにも………いいこに………おねがい………」



 ミアはその幻覚に対して土下座をし、何かを頼み込んでいるようだ。何を喋っているかは彼でも分からない程、その頼み込む声は酷くか細く、そして悲痛だった。



「おっ、幻覚を見るくらいまでにはなったか? じゃああと一週間くらいか」



 そんなミアがいる檻に、昨日に引き続き機械を持ったラックがやってきた。精神が壊れかけているミアを見る目は実に嬉しそうであり、ミアが失禁しているのを見ると、ラックは更に舞い上がった。



「お前、失禁してんじゃねぇか! そこまで昨日の拷問が堪えたのか! じゃあ、今日は話してくれるよな?」


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………」


「まともに話せる精神でもなくなっちまったか。じゃあ、今日も話すまでやるしかないか」



 ラックはそんな状態のミアを尻目に、昨日とはまた違う機械を取り出す。その機械は先端に細かい針を持っており、その針自体は刺さっても痛くなさそうに見える。

 ミアは、機械を取り出す音に反応し、ラックの方に物凄い速度で顔を向け、檻の奥へ後ずさる。しかし、既に背後は壁のため、ミアはラックから逃げることはできない。

 ミアは壁の方を向き、その壁を縛られた腕を用いて叩く。



「逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ………いや、いやだ!!! 私は何もしてない!」


「何もしてないからこうなるんだよ。まあ、今回のは拷問とは少し違うんだがな」


「ひぃっ⁉ ぐっ、ぐぇぇっ………」



 ラックは檻の壁を叩いているミアの髪を掴んで持ち上げ、顔を一発殴る。ミアはその衝撃でまた吐いてしまい、檻の床を汚してしまう。

 しかし、ラックはそれに怒る事は無く、逆にミアをよくやったと褒めているようだった。



「いいぞ!その調子だ!じゃ、もっといくか!」


「うぇ、おぇええっ………けほっ、けほっ」



 ミアは嘔吐した後、喉の奥に残っている吐出物を一生懸命吐き出そうとする。だが喉の奥で絡まっているのか、中々吐き出す事が出来ないようだ。ミアはその不快感と絡まっている吐出物の異臭を感じながら、ラックの手の中でもがき、逃げ出そうとする。



「おいおい、暴れんなって。また昨日みたいなことをされたいか?」


「ああ、ああっ、いやぁああ!」



 「昨日」という単語を聞き、再び昨日の拷問の事を思い出したミアは、ラックの手の中で更に暴れまわる。体全体を四方八方へ激しく動かし、顔を左右へ力一杯振り回しながら、叫び声をあげる。


 ラックのミアを見る目は汚物を見るような目に変わり、ミアを檻の壁へ投げ飛ばし、叩きつける。ミアはその拍子に目を半開きにし、涎を垂らしながら気絶してしまう。ラックはピクリとも動かなくなったミアを見ながら、頭を掻きむしり、愚痴るように言葉を漏らす。



「チッ、やっぱりガキか。あの程度痛めつけただけでこれかよ。暫く時間を置いて────あ、そうだ」



 ラックは名案を思い付いたというように相槌を打つ。その目はキラキラしており、これから始まるであろう面白いことへの期待で満ち溢れていた。



「────そうだな………まずは────だとしたら………」



 ラックは気絶しているミアの前で虚空に向かって頷きながら、なにやら考え事をしている。先程まで持っていた機械は要らないという風に投げ捨てられており、ラックはそれを一切気にしていなかった。



「よし! じゃあまずは一週間ほど時間を置くか! 食事は………スムージーを与えておけば良いか。適当に食材をシャーベット状にしとけば問題ないだろ」



 ラックはこれから自分がすべきことを再確認し、それらを全て問題ないと判断する。ミアには家族も親戚も頼れる大人も居ないため、誰かがミアを探し出す事は無い。ラックは調査でそれを把握していたため、セキュリティ等は一切考えていなかった。


 ラックは機械の入った箱を持ち上げ、檻から出ていく。今度はミアを一瞥する事も無く、この施設のどこかへ去っていった。

 ミアの腰でそれらを全て見て、ラックがこれからやろうとしている事も心を見て把握していた彼は、ミアを尻目に独り言をつぶやく。



『実に、実に面白い。正直、この娘を今すぐ斬り捨ててあの男について行きたい。だが────』



 彼はミアを見る。ミアはラックが去った後も気絶しており、目を覚ます気配は一切ない。今日は特に何もされていないにも関わらず、ミアは失禁し、顔の穴と言う穴から体液を垂れ流しにしている。だが、彼は感覚が人間とは違うため、それを汚いとは思っていない。

 普通の人間が見たらすぐに目を逸らしそうな状態のミアを見つめながら、彼はミアに対する疑問を零す。



『昨日の拷問、それに加え、今日のあの男の仕打ち………それらを受けてこの娘は心が壊れかけている。今の状態で、もう一回あの装置を使えば、確実にこの娘は廃人と化すであろう』



 ミアは既に廃人寸前だ。既に何回も淵駆と戦い、修羅場を何度も経験してきた彼女でも、あの悪魔の装置相手ではただただ痛みに苦しむだけだった。その痛みは確実に彼女の心を蝕んでおり、この後助かったとしても自殺してしまう可能性が高いだろう。



『まあ、それは当然だ。あれは人間が耐えられる痛みではない。それを三回も受けたのであれば、こうなってしまうのも普通と言えよう』


「ぁ………っ………ぅ……」



 ミアは気絶している中でもあの幻覚を見ているのか、声にならないうめき声をあげている。目も当てられない状態で声を上げる今のミアは、誰の目から見ても死にかけの人間にしか見えない。



『だが………何故まだ、この娘の心に壊れていない場所があるんだ?』



 彼が見ている人のは、ガラスの塊のような物が溢れる空間だ。そのガラスが人間の考えていることを形として表し、彼はそれを見て人間の心を読み取っている。しかし、心とは漠然としているもので、そのガラスが具体的な物を模ることは、地球に隕石が衝突する事位少ない。



『しかも、この場所だけ見物する事が出来ない………こんな事、人類史が一万年を超えても一人現れるかどうか────まさか』



 ミアの心の中は、元は実に晴れやかな場所だった。とはいうものの、ゆったりとしたような晴れやかさではなく、何事にもずっと前向きに進んでいくような、言わば真夏の快晴のような雰囲気をしていた。

 しかし、今はラックのお陰で血と骨と肉があちこちに散らばる、終末世界のような雰囲気になっていた。彼はその変化に特には驚いていないが、その変化の中でも一切影響を受けていない場所が存在していたのだ。



『いや、有り得るのか?理論上はその可能性が一番高い。だが、そうだとして、何故こやつは────そのことを、忘れているんだ?』



 彼の疑問は、未だ晴れないままだ。

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