第6話 シャッターの裏から

桔梗は、その日、家に着き、眠りに着くまでにやけた顔が治らないままだった。


次の日、桔梗は昨日決めた通り、いつもより一時間前に家を出て、校庭の花壇に急いだ。駅からずっと走って、走って校庭に滑り込んだ。すると…、

「!」

そこには、花壇のアマリリスにカメラを向けるネリネがいた。


『おはよう!ネリネ君!』


と、大声で言いかけて、グッと堪えた。ネリネがあまりに熱心にシャッターを切っていたからだ。


そ―――…と二、三歩後退して、ネリネがいる花壇はもう草を取ったから、別の場所へ行こう。と、静かにネリネから離れた。


鞄の中から昨日ネリネにもらった軍手を引っ張り出し、残り三分一を出来る限りやろうと、草をむしり始めた。

しかし、草ばかり見ていたから気が付かなかったが、花壇は草をむしると、ほぼ、何も植えていないし、さして咲いている花もほとんどが元気をなくし、今にも散りそうだ。


『花壇なんて誰も興味ないのに』


そう言った、環境委員の先輩の言葉を思い出した。

「こんなに少ないと、ネリネ君、撮る花、あんまりないよね…?」

ネリネの夢を知ってから、環境委員魂に火が付いた桔梗。

「よし!草全部取れたら、花、植えられないか委員長に聞いてみよう。そのためにも、草、絶対校舎の周りの花壇もむしってやる!」


長い一人言のあと、桔梗は、時たま現れる虫に少し怯みながら、黙々と雑草を取って行った。


昨日残してしまった校庭の花壇は三十分程で終わらせることが出来た。

(この次は…)

と、校舎の周りの花壇に場所を移して、また黙々と作業をした。

昨日、洗った軍手はみるみる内にまた汚れていった。

しかし、汚れれば汚れるほど、その軍手は桔梗の勲章になった。

そんな不純な想いと、何処か誇らしい、そんな風に思う桔梗は、この花壇が美しく咲き誇り、ネリネのカメラをカラフルな写真にしてほしい…。

(やっぱり不純んだ…ふふ…)

只、そんな想いでドラマや映画みたいに、軍手で顔を拭くたび軍手の泥が顔に付いてどうすればそんなに汚れるのかと言うほど、桔梗のまだ剥いてない奇麗なゆで卵のような顔は、土まみれになった。


「ふー…」


とやっとこ一息ついて我に返った時、

「桔梗!」

ごわし!!!

「ぎゃぁ!」

突然、顔に冷たい何かがこすれた。

「来てんなら言え。顔すげーぞ」

「あ、ネリネ君!お、おはよう!」


声に振り返ると、ネリネがどアップで桔梗の目の中に飛び込んできた。

「ほら」

「え?」

「『え』じゃねぇ。顔拭け。もうすぐ授業始まる」


いきなりのネリネのドアップにドギマギしていると、昨日差し出してくれた軍手のように、今度はハンカチを水で濡らして、顔をぐしゃぐしゃ拭いた。笑顔に見えた。

「あ…、ありがとう」

「お前って結構のめり込むタイプなのな。笑える」

そう言っているのに、顔は全く笑っていない。しかし、桔梗には笑顔に見えた。

「へへっ。そうみたい」

桔梗は初めて笑って見せた。

「…」

桔梗の予想していなかった素直な笑顔に、ネリネはくるっと半回転し、桔梗に背を向けた。

「?ネリネ君?」

ネリネの態度に、桔梗は戸惑った。何かいけない事をしたのかと思ったのだ。

「…」

それでも無口なネリネに、桔梗も何も言えなくなった。

そっと貸してもらったハンカチで顔を拭きながら、桔梗はネリネの機嫌が戻るのを待った。


何分そうしていただろう?

授業開始の予鈴が鳴るまで?

イヤ、そんなに時間は経っていない。

もしかして、何分どころか、ほんの数十秒だったのかも知れない。

無口でいるのがしんどくなってきた桔梗が口を開こうとした瞬間、

「あ…」

「え?」

突然、ネリネが口を開いた。


背中を向けたまま、そっと右手を伸ばして、桔梗に何かを差し出した。

「四葉のクローバー。見つけたから、桔梗にやる」

「あ…ありがとう」

自然と、意識しなくても桔梗の顔が赤くなる。

「今日…良い事あるね…、きっと」

ボソッとネリネにお礼に次ぐお礼を言った。



「…桔梗が普通の奴で良かった」

「え?ど…(う言う意味)?」

と言おうとした瞬間、シャッターの音がした。

ネリネが桔梗にファインダーを向け、何枚も何枚もシャッターを切った。



「え?や!こんな泥まみれの顔!」

カメラで顔を隠しながら、

「先行く」

そう言うと、そそくさとネリネは教室に行ってしまった。

「ネリネ君!」

慌てて叫んで呼び止めよとしたけれど、ネリネの姿はもうなかった。

「普通…。良い意味?悪い意味?どっち?」


シャッターを切られた直後の、ネリネの背中に、問いかけたけれど、答えてはくれなかった。


答えをもらえないまま、桔梗は、もやもやしながら、顔を拭き教室へ急いだ。

席に着く前に、ネリネの姿を探したけれど、なぜか、ネリネは教室にはいなかった。


そっと呼吸を整えて、ネリネにもらった四葉のクローバーを生徒手帳に大切に挟むと同時に、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。



ネリネの真意を知りたくてネリネの登場を待ったけれど、その日、四時間目が終わってもネリネは姿を見せなかった。



「よいしょ…」

お昼休み、おばさん臭く言いながら、いつもの様に、桔梗は陽当たりの良い花壇の裾に腰かけた。

「あー、チューリップ、さっぱりして嬉しい?奇麗だね」

雑草がなくなり、生き生きと咲くチューリップの花に、思わず話しかけて、は!と慌てて辺りを見回した。

「良かった…誰にも聞かれてない。こんなとこ見られたら危ない人だと思われちゃう」

良かった。桔梗にも自覚はあるようだ。


この一、二週間で、一気に花が好きになった桔梗だったが、ネリネへの想いがまさかと呼ばれるものだとは思ってもみなかった。


桔梗は、小さな頃から、目立たないタイプで、勉強が特別出来る訳じゃなっかったし、かと言って、スポーツが得意なわけでもなかった。

本当に、ネリネが言った通り、だったのだ。


何処にでもいる、女子高生が何故、ネリネの目に留まったのか…。

考えれば考えるほど、嬉しくて、恥ずかしくて…、 

…この感覚は初めてではないような…。


桔梗が知らない所でそれは、入学式から少しずつ知られてゆく。

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