第5話 交渉

 ピレネーの操縦室にはナシププの実が山のように積まれている。


 アスタの妹・ピュウが朝昼晩と持ってくるからだ。



 『傷物』、改め、アリィが、ナシププの実を「美味しい」と褒めたことがあった。ピュウがあまりにもしつこく、自分の収穫した果実の味を尋ねてきたからだ。


 ナシププの実に栄養素はほとんどないし、アリィには数ヶ月分の食料の備蓄があった。だから、この果実を口にする理由は全くないのだが、先の一言で気を良くしたピュウは、軍関係者の専用エリアに立ち入らないよう注意しているにも関わらず、頻繁に操縦室の前に収穫した果実を置いていく。


 ストックしておいても意味がないし、食べないでいると様子を見に来たピュウに文句を言われる。だから仕方なく、少しずつアリィは口にした。


 そんなことを何度か続けるうち、活動維持のためには不必要なこの果実も、食べると確かに美味くて悪くないんじゃないかと思い始めた。


 事件が起きたのは、そんな時だった。



* * *



「武力排除? アスタたちをですか!」


 アリィの声が思わず大きくなった。多目的携帯端末の向こうから、予想外の命令が下ったからだ。密室の操縦室で行われる、本隊への定時連絡でのことだった。


「そうだ。既に増援も送っている。そちらに着くのはウィッカ基準時でおよそ二十一時間後だ。着陸予定座標はSNJ14。到着次第、君も合流しろ」


「なぜです? 彼女たちとは友好な関係を築けています。このまま説得を続け、どこか安全な惑星に移住させることが出来れば――」


「決まったことだ」上官の重たい声が、アリィの反論を遮る。「増援部隊と合流後、ピレネーに住み着いたジョシュ族を排除しろ。それまでは待機。彼女らを常に監視し、決して逃がすな」


 惑星ウィッカが此度の大戦で置かれている状況は芳しくなく、乏しい戦力を補うため、一刻も早く人型戦艦ピレネーを回収したい気持ちはわかる。しかし、そのために強硬手段を取るのは性急に思えた。


「武力排除って……保護条約に違反しますよ。――そうだ、星間移民支援協会に連絡を取ってください。そうやって穏便に――」


「もう一度言う。決まったことだ。素直に従え」


 取り付く島もなく、上官から通話を切られる。


 携帯端末を腰のポーチに仕舞いながら、腹落ちしない感覚に囚われていた。


 会話の中で上官は「アスタたちを逃がすな」と言っていた。


 ――なぜだ。彼女たちがピレネーから去ってくれれば、事は全て片付くはずじゃないか。これではまるで、ジョシュ族を殺すこと自体が目的のようだ。



 ゴン、と何かが床に落ちる音が鳴る。


 驚いて後ろを振り向くと、アリィの視線の先、そこには開いた操作室の扉と、その向こう側に立つピュウがいた。床にはナシププの実が一つ転がっていて、ピュウが腕一杯に運んできた山から落ちたようだった。


 アリィは即座に、上官との会話を聞かれたと悟った。


 自分を見るピュウの表情が恐怖で強張り、小刻みに身体を震わせていたからだ。



* * *



 脱兎のごとく踵を返し、操縦室前から逃げ出すピュウ。


 アリィはそれを追った。


 十歳のピュウに追いつくのに時間が掛ったのは、捕らえた後にどうするか、答えが思い浮かばなかったからであろう。



「何? 何があったの?」


 巨人体内の民間人居住区にある休憩スペース、並ぶ長椅子の一つで物思いに耽っていたアスタの後ろに、ピュウは身を隠す。汗だくで息を切らしながら、その空間に駆け込んでくるアリィ。状況が飲み込めず、アスタは妹とアリィの顔を相互に見比べた。


「アリィがあたしたちを殺すってさ!」


「違う! 誤解なんだ、話を聞いてくれ!」


 ピュウの言葉を打ち消すように、アリィは呼吸も整わないままに叫ぶ。姉の衣服をギュッと掴むピュウの手を震えているのに気付き、アリィはそこから視線を逸らした。


「どういうこと? アリィ、詳しく話して頂戴」


 些細な喧嘩ではない切羽詰まった様子に、アスタはピュウの頭を撫で、腰を上げてアリィと向き合った。


 真っ直ぐな眼差し。下手な嘘は通じないなと、アリィは即座に悟る。


 だから、上官との会話の内容を正直に話した。


「そうなんだ。……そうなのね」


 アリィの話を聞き終えて、アスタは放心した様子で言葉を零す。


「でも、早まらないでほしい。きっとこれは本隊の命令ミスだ」


 二十日ほどの交流で少しずつ通じ合ってきた、アスタの心を離したくない。その思いから、アリィは必死に弁明する。


「だって理由がない。ピレネーから立ち退いてほしいだけなら、武力を使わなくても他に移せる場所を探せばいいのだから」


「理由はあるわ。きっと、あたしたちを殺したいのよ」


 アスタは妹の頭に置いた手を離し、首に下げていたネックレスを外す。


 そのネックレスには、鮮やかなグリーンの水晶が埋め込まれていた。


「これね、母さんなの」


「アスタのお母さんの……遺品?」


「遺品でもあるし、母さん自身でもある」


 アスタは水晶を顔の前で掲げ、口だけで薄く笑む。


「この水晶は母さんの脂から精製されたもの。ジョシュ族の脂から作られた水晶は、光波をイプシロン波長に変換する唯一の物質。あたしたちは巨人のパーツとして

列強種族から狩りの対象、滅亡の危機に瀕している一族なのよ」


 アリィの口が微かに開かれた。


 しかし、唇は微かに開いたままで固まり、そこから言葉が発せられることはなかった。


 だから、アスタが会話を続けた。


「ねえ、アリィ。あなたは自分の記憶を買い戻すため、そのための資金の為に傭兵をしているんだったわね。


 だったら、あたしがあなたを雇うわ。


 まだ、こんな見知らぬ星で死ぬ気はないの。だから、あたしたちが安寧を手に入れるまで護ってほしい」


 アスタの身体が、あの蠱惑的な翡翠色の輝きを放つ。


「報酬はあたしの身体よ。きっとこの身体から作られた宝石は高く売れる。あらゆる星が決まりを侵してでも奪おうとする希少品だものね。


 逃避行の途中であたしが息絶えたら、あなたがあたしを好きにして」

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