第2話 急襲

 少し強めに吹き付ける風に、身を晒しているのが心地いい。


 巨大人型戦闘艦“ピレネー”の外装には、メンテナンス用の格納型タラップやデッキがいくつか存在する。


 今、『傷物』がいるのはそのうちの一つ、腰部をぐるりと周回する、幅一人分の中腹にあるデッキだった。


「事情はわかった。しかし、我が祖国の現状が厳しいことは承知のはずだ。戦力増強にピレネーは必要になる。その住み着いた種族、何とか追い払えんのか」


 多目的携帯端末で通話をしていた。相手は母星の惑星ウィッカにいる本隊の上官。表向きは紳士に振る舞うが、時折、『傷物』たち『土上がり』の身分への侮蔑の言を吐く、恒星教に染まった男だった。


「ウィッカは星全土で、未開惑星保護条約に批准しています。手荒な真似は出来ませんよ。村に迷い込んだバイソンを、ウィンチェスター片手に追い払うのとは違うんです。譲歩と友好による解決には時間を要します」


 全長五〇〇メートルを超えるピレネーである。腰部でも充分な高さがあり、ここから見下ろす惑星ホルガの森は、風に吹かれた木々の葉が波のようにさざめき、傾いた陽光を反射して絶景だった。


「しかし、委託機関が提出した事前調査とは違うな。まさか航行可能圏内に、意思疎通が可能なレベルの種族が未発見でまだいるとは」


「詳しくはまだ聞き出せていませんが、どうやら元いた住処を追われ、この惑星ホルガに逃げ延びてきたようです。民間人ですら遠くの砲撃と破裂の音を目覚ましにする時代。珍しくないことです」


 受話口の向こう、コンと机を爪先で突く音。苛立っているなと『傷物』は察する。


「事は急ぐ。応援は要るか?」


「大尉の寄越す応援とは、飯場の給仕とストリップ劇場の踊り子の区別も付かない連中でしょう。大勢で囲んで、怯えさせてどうなるっていうんです」


「ならば?」


「一人でやりますよ。種族は違っても同じ女です。私も拳と拳銃しか知らぬ身ですが、幾分かはマシでしょう」


「識別番号KSN8823」


『傷物』の名を呼ぶ上官の声色に、威圧の色が混じった。


「『土上がり』の身分とはいえ、君も恒星レイナーの陽を浴び、ウィッカの土を踏んで育ったはずだ。恩義と忠誠を忘れてはいまいな」


 毎度の恒星教のご説法。うんざりする。


「まさか」


「では、示せ」


 溜め息を漏らすのを、『傷物』は寸でのところで留まった。


「恒星レイナーの加護を受けたウィッカは、主に選ばれた誉れ高き星です。光は常に天上にあり。我らの行く末に闇などあらず」


「結構。……とにかく、増長したモグラどもを、再び穴倉に追い払わねばならぬ。救世の巨人の、早急な回収を願う」


 そこで通話は終了し、『傷物』は本当に溜め息を吐く。


 恒星とは例として太陽のように、自らが光を放つ星を指す。


 本来、陽の恵みを与える恒星への感謝から生まれたはずの信仰『恒星教』は、やがて自然光で暮らす人々を優性とする傲慢と、人工の光源に頼らねばならぬ人々を劣性とする侮蔑を生んだ。


 科学技術の進歩は人々の分断を埋めはしない。経済政策の失敗の埋め合わせとして始まった戦争は、板紙細工の張りぼての大義と化した恒星教を身に纏い、こうして今も断続的に続いている。


「あの上官だって芯から信じているわけじゃない。それはわかる」


 落下防止の柵に両肘を置き、『傷物』は黄昏に浸る。


「こんな悲惨、酔わなきゃやっていられないのだろう。教養を伴わない主義は、密造された粗悪なアルコールの如し、か」


 天を仰ぐと、腹と胸の先、トンガリ帽子を被ったような巨人の頭部が聳える。


 ――半世紀も前に建造された戦闘艦を今更呼び戻さねばならないなんて、我が星の敗色は濃厚だな。


 『傷物』が内心でそう思ったのと、デッキへの出入り口がガチャリと開き、あの発光する種族の姉妹が顔を見せたのは同時だった。



* * *



 アスタ。姉妹のうち、あの食堂で声を上げた姉の方はそう名乗った。


 姓を尋ねると、「あたしたちには血族の概念はないの。言うならば種全体が家族よ」と返された。


「機密もある。軍属専用エリアへの立ち入りは控えてくれと言っただろ」


「ごめんなさい。でも、もう一度、歎願したくて」


 明るい場所でじっくりとアスタを見るのは初めてになる。


 改めて、容姿は自分たち人間と大きく変わりはない。滑らかな白髪が草原の風に揺れ、朱色の唇とすっと通った鼻筋が、そこはかとない気品を湛えている。しかし、一時間前に出会った時のような妖しい発光はしていなかった。


「この巨人の中に置いてくれませんか。あたしたちには、行く場所がないのです」


 気の毒。そう思うから『傷物』は目線を逸らし、けれど言った。


「悪いけど、これは祖国に持ち帰らなきゃならない。こんな骨董品を頼みにしなきゃいけないほど、戦況は芳しくないんだ」


 正面の美女の顔にただ影が差す。なじられるのでも泣かれるのでもない反応がツラくて、『傷物』は空回り気味に話を続けた。


「確かに置いてはおけない。でも、強引に放り出すって気はないんだ。


 ここから去れない理由を教えてくれ。事情次第では、君たちが安全に生きていける場所を一緒に探して――」


 上滑りする言葉を、それでも懸命に吐いている最中だった。


 ――眼下に広がる大樹の森から、地を揺らす咆哮が響いた。


 腰部デッキには『傷物』とアスタ、それからもう一人、アスタの妹であるピュウがいる。容姿は幼いが、成長すれば姉のような美人になると想像できる片鱗があった。


 その彼女は今、姉の脚にしがみ付いてへたり込み、この世の終わりのように泣き叫ぶ。


「また、アイツが来た! あたしたち、助からないんだ!」


 あの森の木々は百メートルを超える。それがベランダの観葉植物程度の大きさしかないのではと錯覚を起こしそうなほど巨大な猿が、樹を脚でへし折りながら、真っ直ぐとこちらに向かってきていた。


「食べられました」妹の頭を抱きながらアスタが言う。「この星に逃げ延びた時は百人近くいたあたしたちの同族は、寝床を探して彷徨っているうちに、ホルガに先住するあの獣に捕食されたんです」


 下顎から生える鋭い牙を剥き出した口、その端からはダバリと涎を垂らしている。大猿の鼻息は荒ぶり、自分たちを餌と見なしていることは明白だった。搭乗ハッチの大きな爪痕が何だったか、ようやく合点がいった。


「一緒に獣の腹の中……っていうのは御免だね」


「巨人の中に戻りましょう。しばらく隠れていれば、きっと諦めます」


 アスタの提案を、しかし『傷物』は却下した。


「いや、追い払う。壊されはしないだろうけど、大事な機体にそう傷を付けられちゃ堪らない」


 口角をニッと吊り上げると、『傷物』は手の甲で外壁をコンと叩いた。


「五〇年はさすがに寝すぎだ。そろそろピレネーに起きてもらおう」

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